持て余し気味の科学者
「行ってきます」
出発の日の朝、玄関扉の前でわたしは母に告げる。にこにこと笑顔で手を振る母。その様子に少し安心した後、扉を開けてハーブの生える小道を何歩か歩き、外の通りに向かう。ハーブ類は「実用的だから」と母が色んな種類を植えている。一度も食卓に上がったことはないのだけれど。
門の前でもう一度母に手を振る。笑顔で小刻みに手を振り返す姿に苦笑した。わたしは知っている。通りを歩き始めると途端に母の顔が寂しそうで、心配そうな顔に変わることを。毎回、この時だけは苦手だ。胸が苦しいのは罪悪感からなのか、わたしも単純に寂しいからなのか。
『魔法使いになりたいの』そう言って学園に通わせてもらえることになった時は、まさかこんなに家を空ける親不孝者になるとは思わなかったな。子供の頃は「魔術師=冒険者」という図式が出来上がっていなかったのかもしれない。
白い豪華馬車に繋がれた馬二頭は今日も意気込みを鼻息で表している。アズナヴール邸前、早朝だからか屋敷の方は静かだ。
「またコレで行くのか」
腰に手を当てアルフレートが唸るとローザが怒り出す。
「しょうがないでしょう!?あたしだってやーよ!でも王宮に直接行く、って言ったらお父様が乗って行けってうるさいんだもの!」
「貴族が集まってるからって事?そんな張り合わなくてもいいじゃん……」
わたしは言ってもしょうがない文句をぼやくと、静かに馬車に乗り込んだ。今日も御者席にはフロロとイルヴァ。二人に悪いな、と思ったが本人達はあまり嫌ではないらしい。
「全く、『もうちょっと落ち着いた色に出来ないか』って言ったら、お父様ってば『白が嫌ならピンクにでもしようか』とか抜かすのよ!?」
喚きながら乗り込んでくるローザはわたしの隣りに座るとフローラちゃんを窓枠に置いた。今回はフローラちゃんの里帰りでもあるわけだ。それを知ってか知らずか小首をしきりに傾げている。馬車の狭い空間ではこの時間から暑くてしょうがない。わたしは窓を全開にした。走り始めれば風で涼しくなるだろう。
「全員乗った?」
ヘクターが扉を閉めながら馬車内を見回し、御者席に繋がる小窓を叩く。一瞬の間の後、馬車は静かに動き始めた。
フロロの先導が良かったのか馬の機嫌はすこぶる良く、快適に走り続けた。元からそう遠くない道のりだ。懐かしの、とまではいかないが数ヶ月振りのチード村に着いたのはお昼ご飯の時間より少し早いぐらいだった。
「何だ?これ」
馬車を村の入り口に停めた後、村の様子を見たフロロがぽかん、とした顔で指差す。馬車から下りた直後で固まった腰を伸ばしながらわたしも中を窺い見る。
「こんなのあったっけ?」
わたしが言うのは村のあちこちに掲げられた旗だ。カナリヤ色の布に茶色で絵が描かれている。丸い顔に半月のような目、笑っているようにも見える口元といいこれは猫だ。猫のイラストが村中に踊っているようにも見える様子は少し不気味にも思える奇妙さじゃないか。
「とりあえずバレットさんところ行ってみよう」
ヘクターの言葉にわたしとフロロは頷いた。歩き出してすぐにすれ違った人が、ヘクターに肩車されるフロロをじっくり、というよりじっとりと見て行く。
「な、何だよ」
「猫……に関係あるみたいね」
慌てるフロロに答えるローザは少し面白そうだ。しかし前回の訪れよりも人が増えているような。前も場所の割には人の多い所だな、と思ったものだが。そんな事を考えていると横から声がかかる。
「あら、あなた達、また来たのね」
そうわたし達を見て声を掛けてきたのは箒片手に笑顔を見せる女の子。女の子、といっても少し年上だろうか。
「あ、ここのウェイトレスさんね」
彼女の後ろに見える看板を指差しわたしは答える。前回来た時に寄った酒場兼大衆食堂の元気のいい店員さんだ。彼女はにこにことしながら頷いた。
「そうよー!よく覚えててくれたわね。……何、またバレットさんのお使い?」
「うーん、ちょっと違うけどそんなようなものね。『お使い』に出した人が違うけど」
わたしの答えに首を傾げるのを見て、付け足した。
「バレットさんの方にお使いに頼まれたものを取りに行くの。ところで、これ何?」
彼女の店にも掲げられた猫の旗をわたしは指し示す。ぱっと後ろを振り返った後、彼女は苦笑した。
「ああ、これ?村興しの一環っていえば良いのかしらね」
「バレットのところの猫か?」
アルフレートが首を突っ込んでくる。彼女はまた苦笑すると「まあね」と低音を響かせた。わたし達の顔を見たのかもう少し話してもいいか、という様子で彼女は話し出す。
「実はもうちょっと西にいくと渓谷があるでしょう?アルフォレント山脈の。そこをぶち抜いてシェイルノースなんかの北の町とウェリスペルトを結ぶ街道を作る計画があるのよ」
「山をぶち抜くってこと?大丈夫なのかしら……」
ローザの心配にはわたしも同感だ。乱暴なやり方に聞こえるが、きちんと計画あってのことなんだろうか。
「なんでも北側の町が乗り気で進めてる計画みたいなの。もしその街道が出来上がればこの村に訪れる人も減ってしまうでしょう?それで何か村の特色を出そう、って話しが出たのよ」
なるほど、北との行き来が楽になればウェリスペルトなんかは「ああ便利になったな」ぐらいだけど、南に比べて人の少ない北の町にとっては躍起になる問題なのかも。そうなると確かにこの村に寄る必要は無くなるなあ。
「バレットさん達もあなた達が帰っていったぐらいから随分村に溶け込んできたのよ。それであの珍しい猫さん達がうろうろしてる姿を立ち寄った旅の人が『可愛い』って言ってたから、こんな事になったってわけ」
見せ物……ってわけか。本人達の許可は取ったんだろうか。珍しい種族の彼らだもの。人が増えると誘拐とかに会わないか心配だ。目の前の彼女があまり良い反応では無かったわけが分かった気がする。
ウェイトレスの女の子と別れ、村の端にあるバレット邸へとやって来たわたし達は屋敷の様子に少し驚く。無機質に感じる薄いグレイの箱のような建物は変わっていないが、前庭には花が咲いていて玄関までの道が華やかになっていたからだ。きっと猫達が作ったのであろう木彫りの人形が所々に設置してあるのが微笑ましい。が、チャイムを押す前にゆっくりと開いていく門を見ると、いかにもわたし達を待ち構えていたといった様子で尻込みする。
「さて、今回はどんな遊びに付き合わされるやら」
アルフレートはそう言うと敷地内にずかずかと入って行く。皆もそれに続くように足を踏み入れた。今の言葉でわたしの頭の中に前回二回目に訪れた際のバレット邸の暗い廊下が浮かんでいた。外門が開いたというのに出迎えの顔は出て来ない。入ってこい、という意味だろうと受け止めたのかヘクターが扉に手を掛けた。
「わくわくしますねー」
というイルヴァの声と共に開かれる扉と、少しずつ見えてくる屋敷内。全開になってから暫し、わたし達は無言になる。
「また張り切ったわね」
ローザの呟き通り、中は初めて訪れた時とも二回目の時とも随分違うではないか。広い吹き抜けのホールに奥には階段。階段の上は左右二股に別れて先にどちらも扉が見える。ホールの左右にも扉があり、いかにも迷ってくださいという感じだ。白い大理石のような床に真っ赤な絨毯、朱色に金の細かい模様が入った壁紙は豪華な屋敷内にも見えるがどこか暗く、このご時世に蝋燭の炎が赤く照らすのは不気味さを煽っている。しかしバレットさんを知っている人間からすると『演出』なのだ、と分かってしまうから魅力減だ。
全員がホールに入ってから扉の閉まる重い音がする。顔を見合わせた時だった。
『ふはははははは、ようこそ迷える冒険者達よ』
くぐもったような不思議な声が響いてくる。どう聞いてもバレットさんの声だが姿は見えない。それに声の発生元はホールの広さでやたら声が反響するせいか、いまいち分からない。ま、別に良いけど。
きょとん、としたわたし達の反応に不満だったのか暫く静寂に包まれた。それでも新しい反応が起きないことに諦めたのか声が再び響く。
『私の迷宮に足を踏み入れた君らを待つのは死か名誉か……。さあ、私の元までくるがいい!』
「またこの展開?あんまり時間掛けたくないんだけど」
腕を組むローザのぼやきにわたしが頷いた時、新しい声が聞こえてきた。
『たすけてにゃー」
タンタの声だ。思わず顔を上げて何もない空間を眺めてしまう。しかし棒読みにも程が有るだろ、という台詞にタンタがあまり気乗りではない様子が窺えた。
『聞いたかね?君らとも知り合いであるかわいい猫ちゃんだよ!助けたければ君らに逃亡という選択肢は無いのだ!』
「いやあんたに用があるんだよ」
フロロの的確な突っ込みが虚しく響く。続く台詞が無いか少し待った後、何も無いのを確認してわたしは口を開く。
「……じゃあ、とりあえず行きましょうか。付き合ってあげないと話しも出来なそうだし」
全員の頷きを見ると「どこから行くか」という話し合いを始めようとする。やっぱり一階からかな、と考えた時、またホールは騒がしさに包まれた。
『……ふいー、じゃああの子らが来るまでお茶にしようか』
『旦那さま、お茶とコーヒーどちらにしますかにゃ?』
『ビールが飲みたいのう』
『……少しだけですよ?昼間からお酒はあまり感心しませんにゃ』
『旦那さまー、こないだ貰ったクッキーの箱あけて良いかにゃー』
『おうおう、構わんぞ。でもあの子らが来たら一緒にお昼だから、控えめにね。……おーいトントン!あそこにあるナッツの缶取ってくれい』
『にゃんは丸いクッキーがいいにゃ!』
『あ、やべ……』
ぷつり、というロープを切ったような音を最後に静寂が戻ってくる。
「……明らかにオンオフのスイッチ切り忘れてたわよね」
呆れたローザの声にフロロも続く。
「付き合ってやるんだから、せめてちゃんとして欲しいな」
ふう、という全員の溜息の後、イルヴァの勘に任せるというこちらもいい加減な理由で一階の右手から回ることに決まった。