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「何を望む、冒険者達よ」
左腕を肘掛に乗せた王は朗々たる声でわたし達に問い掛ける。ここに連れてこられるまでの自分の扱いに不満はあったものの、反発心より好奇心が上回ったわたしは、すぐさまベンチ型の長椅子に腰掛ける。この一国の王が何を言うのか興味がある。
ここは何の部屋なのだろう。フェリクス王の腰掛ける長椅子と、それの正面に位置するわたし達の座る椅子、蝋燭の炎が揺らめく他には窓も見当たらない。
「真実を」
アルフレートがはっきりした声で答えると、フェリクス王の眉間に微かに皺が寄った。
「それによってお前達にもたらされるものは何だ?一時の自己満足か」
その問いにすぐさま「違う」と答えそうになるが、そうかもしれない、とも思う。隣りに座るヘクターがゆっくりと身を乗り出した。
「……仲間の一人が怪我を負っています。今は回復していますが、それに全員が突き動かされてる」
「復讐か?」
「……そう思われても構いません」
ヘクターの淡々とした答えを聞くとフェリクス王は短く息を吐く。その隙を突くようにアルフレートが口を開いた。
「碌な話し合いも出来ない隠密集団とその親玉に復讐しよう、っていうんじゃない。勿論、陛下の生活を壊したいわけでもない」
ぴくり、と王の肩が動く。わたしはアルフレートと王の顔を見比べた。
「あの集団を動かしてたのは国王……陛下だったんですか?」
「いかにも」
裏の無い真っ直ぐな答えに面食らう。
「えっと……何故です?」
口篭りながら出てきたわたしの単純な問いに王は暫く無言になった。
「……お前達も既に知っているだろう。盗賊の盗み出したエメラルダ島への鍵、その奪還もしくは破壊を命じた」
それを聞いてあの石の玉を浮かべ、本物だったんだ、と思う。トマリの小躍りする姿が目に浮かぶようだ。と同時に思い出す。
「レオンをサイヴァ教団に渡したところを目撃されたから、では無く?」
わたしの質問に室内がぴりっとした空気に変わる。しまった、と思う。『女のような手だった』というトマリの言葉から、一番遠いこの国王が犯人とは思わないが、触れて欲しくない話題だったに違いない。
その空気を破ったのはアルフレートだった。ぐっと身を乗り出すとフェリクス王の顔を見据える。
「クーウェニ族の男は現場に居合わせたが、犯人の顔は見ていないそうだ。鍵は私が破壊した。聞いていないのか?」
「……ならその盗賊を追う理由は最早無いわけだな。それが事実なら、な」
王はそう答えて組んだ手の指を絡ませる。前半は真実だ。が、後半は嘘だ。わたしなら目が泳いでしまいそうだが、アルフレートはじっと国王と視線を合わせる。王は深い息をついた。
「一先ず信用するとしよう。それにお前達には負い目がある」
「負い目?」
わたしの返しにフェリクス王は深く頷く。
「仲間の剣士の怪我だ。私の命では『無関係の者を傷つけるな』と伝えてある。……まあ、これも信じてもらえるか分からないがね。その事に関しては深くお詫びする」
頭を下げる国王にわたしもヘクターも慌てる。どう反応していいか分からないし、怪我をしたのはアントンにも半分は責任がある気がするし。
「命令の伝達が上手くいってない焦りがあるんじゃないか?」
隣りからした声に驚いたのはわたしだけではなかったようで、王、そしてブルーノも顔を上げる。全員の視線を浴びてもつまらなそうな顔のまま、アルフレートは組んだ足をブラブラさせた。
「誰か他の者が絡んできている。陛下、貴方より先にエメラルダ島へ渡ろうとしている人間がいるのだ。そして、それが自分の一族の誰かだと考えているんだろう?」
アルフレートの言葉にフェリクス王は少し頬が上気する。ブルーノが前に踏み出した。が、王はそれを手で下がるよう示す。
「そうだ。そう考えている。だからこそ、その者を止めなくてはならない。……エメラルダ島には宝など無いのだからな」
「え……」
わたしは思わず驚きの声を漏らすが、同時に納得もする。この王が鍵の奪還か『破壊』を命じたのは、鍵は必要ない、どころか混乱をもたらす存在だと考えているからだ。他にも気になる事が頭の中をぐるぐると回るが、それを遮るようにフェリクス王は語り出す。
「そこで一つ、私から頼みがある」
「何でしょう?」と答えるわたしの目を見ながら、王は再び肘掛に寄りかかる。
「私の弟、シャルルの事だ。その日記は私も探していたのだがな。……まさか母が鍵を保管していたとは。彼の足取りを追ってもらいたい」
「はあ?」
わたしは正直に『訳が分からない』という声を出す。しかしフェリクス王は話しを続けた。
「追うのは私の暗殺を企てた男。彼は私の弟、シャルルではない。本物のシャルルは現在、エメラルダ島にいるのだ」
知ってますよ、と言いたくなるがどうも様子がおかしい。目を閉じて回想する王の話しの続きを待つ事にした。
「シャルルが島に渡って何年になるだろう」
そう呟く王の瞳は少しぼんやりとしていた。話しが上手く飲み込めないので黙っていることにする。沈黙が広がった。
「この城の礼拝堂には行ってみたかね?」
王の問いにわたしは首を振る。
「いいえ……仲間が行ってみたそうですが、随分立派なものだそうですね」
帰るまでには是非、と付け加えるとフェリクス王は頷いた。
「この城の礼拝堂も町にあるフローの教会も、サントリナ中にあるフローを祀る建築物は全て、扉がラグディスの大神殿に向けてある。信仰の中心はラグディスである、という意味だ」
「へえ……」
わたしは感嘆の声を上げた。ローラスの方はどうなんだろう。もしかしたら同じようにラグディスに向いているのかもしれない。
「私も、先王も、その前の王もずっとラグディスで洗礼を受け、ラグディスの法王から神官の地位を授かってきた。同じように長い間ずっと『サントリナに神殿を』という声もある。サントリナに信仰の中心地を、という事だ。ラグディスはサントリナではない。ローラスの一部だからだ」
アルフレートがつまらなそうに頬を触る気配がする。前々から思ってたけど、アルフレートって信仰とかそういうのが好きじゃないよね。
「私の一族は常に彼らのような意見とぶつかってきた。自国でないから新しい神殿を造るなど、信仰とは言わない。信仰心とは立派な建物を笠に、威光を振りかざすものではない」
「その……分かりやすく『保守派』とでも呼ぶか。陛下が即位した後も、王弟を保守派の輩が担ぎ上げようとしていた、って事だな?」
アルフレートの言葉に王は驚いたようだった。腰を浮かすように背伸びする。アルフレートは手に持った王弟の日記を示した。それにフェリクス王はくくっと笑う。
「シャルルが愚痴を書いていたか。そう、シャルルはそのように利用されようとし続けていた。弟の性格を考えると堪えられない苦痛だったみたいだな。……とはいっても、それは私などに向けた家族愛からでも、溢れる愛国心からでも無い。弟はひたすらにマイペースな人間だったからだ」
「日記の文面からも窺えました。学者肌だったようで」
わたしは日記の内容を思い出しながら答える。わたし自身も似たようなところがあるので、王弟の気持ちはよく分かる。
「そうだ、シャルルは鳥や蝶の小難しい学術名はすらすらと言えるのに、昨日会ったサントリナ貴族の名前すら曖昧になるような男だった。一人でふらふらと町へ出掛けたり……『護衛がいないと庭にも出られない生活なんてぞっとする』と私に言った事もある」
王は奔放な弟を思い出したのか苦笑した。兄、フェリクス王はまさにそんな生活を送っていただろうに、何ともはや。イザベラと真逆な性格、といった感じだろうか。フェリクス王はその中間みたいな雰囲気なのかな?
「その環境が嫌になって島に渡った、って事ですか?なら時期はいつ……?」
ヘクターの疑問はよく分かる。王弟がエメラルダ島に渡ったというなら、鍵が盗まれる前になる。鍵が盗まれた日はレオンが消えた日。なら暗殺事件は誰が起こしたというのだろう。正直、王の先ほどの発言は身内を庇いたいが為のものだと思ったのだが、エメラルダ島に渡ったのが本当だとすれば確かに王弟には不可能になる。
「それで『何者か』ですか……」
わたしは唸る。フェリクス王の頷きを見るものの、現場にいたのは貴方達ですよ、と言いたくなった。王の断罪した相手は誰だったのだろう。
「シャルルがエメラルダ島に渡ったのはエミール達が生まれる一年前だ。だから十三年になるわけだな。ある日突然だった。『エメラルダ島に渡り、帰らないつもりだ』と告げられた。私以外には、母親にさえも伝えないで欲しいと。もちろん止めた。説得もした。無駄だったがね」
王は一息つき、肘掛けに置いた指でコツコツと叩いて音を鳴らす。アルフレートが軽い調子で手を挙げた。
「王弟の女性関係は?結婚の予定だとか、親しくしていた者は?」
「結婚の予定は無かったが女の影が一切無い堅物、というわけでも無かったな。ああいうタイプはそれなりにもてはやされるようだった。ただ家族に紹介する程の仲になった女性はいなかったな」
「なら島に渡る前、一年以内に王弟の周りにいた女性は?家族も含めて」
アルフレートの返しに王は目を見開いた。でもそれは一瞬の事で、すぐに元の落ち着いた様子で「何故だ?」と尋ねる。アルフレートは再び日記を示す。
「日記が書かれなくなる直前の日付に『あの女は危険だ』との記述が。固有名詞は無かった」
アルフレートのその答えに王は暫し黙る。そしてゆっくりと答え始めた。
「町に何人か親しくしている女性がいるようだった。名前までは知らぬ。魔術師協会で知り合ったり、学者仲間という感じか。後は城の兵にも女性はいる。ぱっと浮かぶのは魔術師のヴェロニカぐらいだな。母グレース、姉のイザベラ、叔母のルイーズ……こんなところか」
アルフレートは「ふうん……」と言ったまま黙ってしまう。代わりにわたしが質問してみることにする。
「王弟がエメラルダ島に渡った時のことと、その後の話を聞いてもいいですか?」
「もちろん」
王はそう言うとまた目を閉じ、深い考えに沈むようだった。