消えたのは誰
壁を探る作業に戻ってから、どのくらい経っただろうか。
「おい」
アルフレートのぶっきらぼうな声がする。振り返るとわたしとヘクターに向かって手招きする姿があった。両開きの衣装棚の扉を開け放っているアルフレートに少し首を傾げる。隠し扉発見、という雰囲気ではない。中に何か気になるものがあるらしい。
「これを出してくれないか?」
アルフレートは後ろにやってきたヘクターにそう尋ねると、わたしには「鍵を出しておけ」と言う。ヘクターが「これ?」と指差す先を見る。衣装棚の中に大きな箱があった。宝箱のような形だが、大きな星マークが描かれていたり派手な装いから子供のおもちゃ箱なのだろう、と推測する。意外なものを大事そうに取っておく人だ。自分の中での王弟のイメージがまた変わっていく。
ヘクターが「よっと」という掛け声と共におもちゃ箱を取り出して、床に置く。蓋を見てはっとする。この大袈裟な鍵穴、きっと貰ってきた鍵に合うものに違いない。わたしはしゃがみ込むと直ぐに鍵を突っ込んだ。回すことで起きたカチっという軽い衝撃が手に伝わってくる。
「……開いた」
わたしの緊張した声に二人も床にしゃがみ込む。ゆっくり開いていくと、蓋はぎい、と鈍い音を立てた。
「ん?」
現れた中身を見てわたしは思わず疑問の声を上げる。くまのぬいぐるみ、ブリキの汽車、握り拳程あるメダルなどの玩具が詰まっている。箱の外見同様、中身もおもちゃじゃないか。
「これが王弟の本来の姿、とかいう意味じゃないだろうな?そりゃあ母親から見たらそうなのかもしれないが……」
アルフレートも不満げに眉を上げている。ヘクターが「とりあえず中身を見ていこうよ」と言うが、あまり期待は膨らまなかった。
「でもよく取っておいたわよね。わたし、子供の頃のおもちゃ、こんなに取っておいてないわよ」
半ば呆れの気持ちでおもちゃを一つずつ出していく。ぬいぐるみの類いは幼少期のものなのだろう。かなり汚れている。ブリキ製のおもちゃは始めに目に入った汽車の他に鎧姿の騎士もあった。木製のパズルからややこしいルールのボードゲームと、少年の好みの移り変わりを眺めているようで面白い。
「楽器のセンスは無かったらしいな」
未使用に見える綺麗な状態の横笛を取り出しながら、アルフレートが笑う。すると一番底にある物が目に付く。皮張りの本に見える。何故か妙にそれが気になったわたしは、急いで上に乗るおもちゃをどかしていった。
アルフレートも気付いたようでガラス玉の入った瓶を取り出し床に置くと、本を引っ張り出す。
「……日記だ」
中を開き、呻くように呟くとにやっと笑った。わたしとヘクターも彼の後ろから中を覗き込む。丁寧な字でびっしりと書きこまれた日記帳。嫌でも好奇心が湧いてくる。
「二十代からの日記みたいだな。随分と長い。『何も無し』で終わっている日も多いがね」
日記を眺めるアルフレートにわたしは提案した。
「気になるところを読み上げてくれない?文の見過ごしはアルフレートが一番少なそうだし」
それを聞くとアルフレートは「珍しいお褒めの言葉だ」と冷やかすように答える。が、直ぐに始めのページに戻ると指でページをなぞりながら読み上げていった。
「……『地竜の月二日、アダムス候に会う。兄と同伴で良かった。どうも貴族と会うのは好きではない』『地竜の月三日、前々から探していた海鳥の本が手に入る。明日は部屋に引きこもりたいものだ』……四日、記載無し」
「なんか既視感のある人物像だね」
ヘクターの漏らす感想にわたしは頷く。グレースも兵士達にも言われていたユベールの人物像を思い起こさせる人だ。
「ここの王室の人って王者、っていうより学者気質な人が多いのかもね」
わたしはそう言いながら国王やエミールの顔を思い出していた。国王も即位前はあそこまで威厳たっぷりじゃなかったりしたのかな。アルフレートの読み上げが再び始まる。
「『風鬼の月十八日、ラグディスより大神官二人が参られる。教典の話以外にも話題が豊富な方で大変有意義だった』『黄龍の月五日、大臣達には僕に教会内部へ行って欲しい気配がある。王位は兄が継ぐ。それで僕には教会へ、というわけか。王位を継ぐことはない事にほっとしていたのは事実だが、神に仕える道もあまり気乗りしない。僕にとっても信仰は大事な心の拠り所ではあるけども』」
アルフレートが抜粋しているから、というのもあるけど色んな意味で興味深い書き込みばかりだ。王位に興味は無い、と。暗殺事件を起こしたのは本当にご乱心なだけだったのかしら。
アルフレートのページをめくる手が止まる。そして気になる箇所を見つけたらしく、先程までよりやや大きな声で読み上げ始めた。
「『氷竜の月一日、予てより希望していた魔術師協会への参加が決まった。母は渋い顔をしていたが、魔術師の集まりというより学者達の会合のような雰囲気がとても居心地が良い。月一でいいから参加出来ないだろうか』」
「魔術師協会……そこも話し聞きに行きたいわね」
わたしは答えながら魔術師協会の建物内部を思い出していた。サントリナの協会は行ったことがないのでウェリスペルトの協会内部ではあったけれど。
アルフレートの読み上げる日記の内容は、大抵が貴族と会談した話し、読んだ本の話しだった。サントリナの貴族以外にもウェリスペルトの議員アレックス・レイノルズ、なんて名前も出てくる。
少し様子が変わってきたのは最初のページから五年程経ったと思われる日付からだった。
「『水妖の月六日、騎士団領より未来の王妃がやって来る。噂通り花のような女性だ。並ぶと美女と野獣だ、とからかうと兄も笑っていた。エリーザベトの美しさもさることながら一緒に来た異種族の姿に驚いた。人間には無い髪色といい物憂げな顔といい、妖精のようだ』『氷竜の月二十七日、反国王派の動きが目立ってきた。兄はどうも甘くてダメだ。兄も気付いているはずなのだ。なのに動かない。僕の元へ寄ってくる連中も日に日に増える。理由は分かっている。世継ぎが生まれる前に僕を担ぎ上げたいのだ』」
アルフレートが眉を上げた。
「急に国内情勢に触れ始めたな。歳を取ったからか、彼の中での負担が増えてきたからなのか……『火竜の月二日、あの女は危険だ。蛇のような……。僕も早く気付くべきだったのだ。いや、僕が消えるべきか』」
「何、それ?」
わたしは思わず読み上げる声を遮る。アルフレートも急な展開に面食らった顔だ。
「あの女って王妃様のこと?」
ヘクターはそう口にしてから、はっとしたようにわたしとアルフレートを見る。
「女、だけで王妃とは限らないと思うけど……正直、よく分かんないわね」
呻くわたしをアルフレートは面白そうに見た。
「ただ日記に登場する『女』は今のところ王妃だけだ。まあ読み落としがある可能性はある。それにこの学者肌の書き手だ。他も話が飛びすぎで、これもいきなり登場した『女』の話しかもしれない」
そう話していたアルフレートの顔が強張った気がした。ヘクターも腰を浮かせてこちらを見ている。「何?」と尋ねようとするが、息が止まった。
「動くな。……今度は遊びじゃないぜ」
聞き覚えのある声と首筋に当たる冷たい感触。がっちりとわたしの肩を掴むのはごつごつした大きな手だ。ウィル・オ・ウィスプの放つ淡い光が首筋に当たる刃物をきらりと瞬かせた。
「どうする気だ?」
ヘクターがわたしの背後を睨みつける。後ろにいると思われる男……ヴォイチェフがにやりと笑った気がした。
「ついて来て貰おうか」
簡潔な低い声にアルフレートが溜息をつく。
「まさか出し抜かれるとはね。やっぱり本職は違うな」
「真正面からぶつかったら旦那には勝てないからね」
ヴォイチェフはそう答えるとぐっとわたしの肩を掴み、立ち上がらせる。何所へ行こうというのだろう。感覚が麻痺しているのかそこまでの恐怖は感じないが、やっぱり足に力が入らない。
「テラスから出て貰おう。見張りはいないぜ」
後ろの男は右手に見えるテラスへの扉を顎で示す。ガラス張りの扉は窓同様、黒いカーテンが引かれている。アルフレートはそれを小さく開けて外を窺った。
「出たら正面に立つんだ。……そう。次は壁際に沿って歩いてもらう」
ヴォイチェフの指示を聞きながら二人は絶えずこちらを見るが、手出しは出来ないようだった。常にぐっと当たる刃物の感触にヴォイチェフの場慣れした感がする。
その後も「テラスから降りろ」「右手に行け」という指示が飛ぶ。暗がりでよく位置が分からないが、王宮のちょうど裏手に来たんじゃないだろうか。
「その建物に入るぜ。……そう、その扉からだ」
月明かりに照らされる塔は本殿にめり込むような形でくっ付いている。石造りの大分古いものに見えた。ヘクターが木の扉を引くと乾いた音を立てる。中も真っ暗だ。
その頃になって漸く、わたしはアルフレートの手に先程まで読み上げていた日記がそのままあることに気付いた。ヴォイチェフも気付いているはずだ。でも彼は特に咎めるような事は言わない。
「すぐ階段があるぜ。さあ、どんどん上っていって貰おう」
ヴォイチェフの言葉に従い、ヘクター、アルフレートと続き、わたしも半ば持ち上げられるように闇の中の階段を上り始める。古い建物だからか随分と急な段差だ。
大体三階分くらい上っただろうか。前に明かりが現れる。前を行く二人のシルエットが浮かび上がった。
「そのカーテンの向こうに入れ」
ヴォイチェフはそう言い終わるとわたしからすっと離れる。予想外の行動にひっくり返りそうになってしまった。
「……え」
分厚いカーテンが幾重にも重なる先に潜り込んだヘクターが呆けたような声を出す。アルフレートに続いてカーテンを抜けたわたしは、中にある長椅子に身を預ける人物に目を見開いた。
「こ、国王」
数日前に顔を合わせたこの城の主が、翡翠色の瞳でじっとわたしの目を見ていた。傍らにはブルーノの姿もある。
「座りたまえ」
サントリナ国王、フェリクス王は綺麗に整えられた髭の中から、何とも威厳ある声を響かせた。