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夕食が終わり、また寂しそうなエミールの顔に見送られて各自自室に戻る。部屋で待っていたファムさんが扉を閉めるわたしに駆け寄ってきた。
「夜間見回りの兵の交代時間は〈菫蝶の時〉より前だそうです」
「本当?じゃあ今からでも仕度しないと」
眉を寄せるわたしにファムさんは声を低くする。
「……大丈夫でしょうか。王弟の自室のある西の建物は私達も普段から立入禁止なんです」
「多分大丈夫、だと思う。自信たっぷりなエルフがいるし」
そう答えるしかないわたしは、顔は普段の気丈そうなままだが手を落ち着きなく合わせるファムさんに肩を竦めてみせた。
侍女達も入れない一角に侵入するのは確かに不安だが、そんな場所の兵士の交代時間を調べてきてくれた彼女にも応えたい。
「でも王弟の自室がまさかそのままだったとは、私も驚きですよ」
「まあとっくに国王の周りが散々調べてはいるだろうけどね。ファムさん達が入ってないなら多少の埃にまみれるのは覚悟しとかないと」
そう言うとわたしは髪を結い上げる。夏場なので元から服装は身軽だ。わたしの髪にヘアピンをつける作業をファムさんが手伝ってくれる。それが終わるとぽん、とわたしの背中を叩いた。
「お気をつけて」
「任せて!」
わたしの返事を聞いてファムさんはにこっと笑い、部屋を出ていく。
さて、今の返事が安請け合いにならないよう、気を引き締めないと。
廊下の方が扉の閉まる音で騒がしくなる。意味は無いかもしれないが、わたし達が王弟の部屋に忍び込む間、他のメンバーに「お互いの部屋を行き来してくれ」と頼んだのだ。三人が長時間消えてる事に不信感を持たれないように、という気休め程度のごまかしだ。
こんこん、とわたしの部屋の扉も叩かれる。開けるとヘクターの姿とその彼の後ろで指を振り「急げ」という合図をするアルフレートがいた。
「……行き方は?」
「この城は大部分の造りが左右対象だ。大丈夫だろ」
アルフレートはわたしの問いにそう答えると、さっさと歩き出す。
階段の踊り場に来た時、アルフレートに手で止まるよう示された。
「インビジビリティ」
アルフレートが低い呟きで唱えたのは確か視覚的に姿を消す呪文だ。それは分かっていたものの、実際にぱっとアルフレートとヘクターの姿が消えると慌てる。しかし直ぐに腕を掴まれる感触がした。またぱっと二人の姿が目の前に現れる。
「『存在の認識』の共有だ」
アルフレートがわたしとヘクターの腕を掴みながらぼそぼそと呟いた。
「これでわたし達三人の姿は他の人には見えないってこと?」
「そうだ、間違っても兵士の体に触れたり、足音は立てるなよ」
その注意にわたしとヘクターは頷いた。大抵の兵士は立ちっ放しなのだし、廊下は両端以外は絨毯敷きだから足音も大丈夫だろう。でも便利な魔法だな。今度教えてもらおうっと。
一階に下りるとまだ忙しそうに歩き回る侍女や執事の姿がある。この時間帯を選んだのはアルフレートが「日が沈んだ後、でも夜間警備の配置に変わる前が良い。出来れば交代間際の兵の気が緩んでいる時間帯」と主張したからだ。確かにまだ他の働き手の足音も煩いし、ちょうど良かったようだ。
ファムさんが教えてくれた王弟の自室の詳しい位置は『西側の建物、一階の一番北側』とのことだった。立入禁止なだけあって近づくにつれ、警備の兵以外を見掛けなくなる。渡り廊下に兵士だけが立っている箇所に来ると流石に緊張する。
本当に見えて無いのかな、と目が合うことはない兵士の前で思う。手を振り確認したくなったが、アルフレートに睨まれたのでやめておく。
位置的にそろそろ?という所まで来ると、ヘクターがわたし達を止めて前を指差した。茶の重厚な扉の前、一人の兵士が眠そうに立っている。思わず名前を呼びそうになってしまった。王弟の自室と思われる扉の前に立っていたのはお酒の席で一緒になったヤニックだったからだ。
アルフレートが辛うじて聞こえる程度の小声で何か呟くと、床をぽん、と叩く。すると丸々としたウサギが現れたではないか。真っ白な姿が薄暗い中、とても目立つ。
ウサギはぽてぽてと走ってヤニックの方へ近づいていく。ヤニックがはっとして床を跳ねる丸い体を見ると、ウサギは今度は踵を返してこちらに戻ってきた。
「う、ウサギ……?」
ヤニックが怪訝な顔をしながら走ってくる。ウサギ、ヤニック共にわたし達の前を通り過ぎ、角を曲がって行った。と同時にアルフレートに腕を引っ張られる。その合図に急いで扉に走った。
今にもヤニックが戻ってきそうで心臓がばくばくいっている。見張りを頑張っていた彼には申し訳ないけどまだ戻ってこないでね、と祈りながらポケットから鍵を出した。が、扉を見たところでわたしは固まる。
鍵穴がどう見ても小さい。グレースから受け取ったアンティーク調の鍵に比べて、この扉の鍵穴はもう少し近代的なものだ。ここじゃない?それともグレースに騙された?
ぐるぐると考える中、冷や汗をかいているとアルフレートがドアノブに手を掛ける。すうっと難無く開く扉に三人で顔を見合わせた。
ともかく急げ、という風に扉の中に滑り込む。暗い部屋の中、鍵と二人の顔を見比べて「どういうこと?」と目で訴えるが、返ってきたのはアルフレートの肩を竦める仕草だけだった。
窓から差し込む月明かりしか無い部屋は、お互いの顔がようやく判別出来る程度だ。扉の向こうから鎧のかしゃかしゃという金属音がする。ヤニックが戻ってきたのだろう。
わたしは背中の短剣を引き抜くと静かに床に置いた。
「ウィンドプロテクション」
小声の発動によって短剣を中心に光が広がっていく。床、壁、天井まで淡い光が届くと、すうっと染み込むように消えていった。
「……風の防護張ったから多少の音は漏れないと思う」
そう説明するものの、緊張から小声になってしまった。アルフレートが脇から窓辺に忍び寄り、カーテン留めに纏められた布の束を撫でる。
「真っ黒のカーテンねえ……。こっちは助かるが、普段からどんだけやましい事してたのかね、王弟は」
首を傾げながら一度窓の外を窺い、カーテンを閉めていった。続けて指を軽く振ると小さな光の精霊が漂い始める。さて、とわたしは部屋を見回した。
とても大きな事務デスクは本の山で埋まり、脇にあるサイドテーブル、椅子も本が積み重なっている。床も本が山積みなっていて酷い有様だ。壁の一辺を埋める書籍棚は空になっていた。
「予想通り、調べ尽くした後みたいね」
わたしはそう呟きながら足元にあった本を拾い上げる。経済学の本のようだ。中をちらりと見ても理解出来そうにない単語が並んでいる。その間にヘクターが違う本の山を見て、背表紙の連なりを指でなぞった。
「歴史の本ばっかりみたいだ。サントリナの本もあるけど、ローラス、アルケイディア……アガティア帝国?」
「今は滅亡しちゃった帝国ね。こっちは経済学、経営学の本が多いわ。すごい、哲学の本もこんなに」
そう答えている間にも純文学の山を見つける。私小説やわたしが読んだ事のあるような娯楽小説まで幅広い。王弟の博識振りは凄かったんじゃないだろうか。
じっと黙ったまま何かを見つめるアルフレートに気がつく。無残にも本だらけになってしまった天蓋付きベッドを見つめる彼を見ていると、わたしの視線に気がついたのか振り返る。こちらに指で「来い」と合図するアルフレートにわたしとヘクターは寄っていった。
「期待外れのタイトルばかりだがね、これはこれで興味深い」
アルフレートが顎で指す、光の精霊によって辛うじて読めるタイトルを見ていく。
「……魔術書?基礎の物が多いわね。精霊魔法とか、黒、白魔術……セシルの書いたマナ理論もある。怪しい物は無いみたい」
数百年前の最も名を残した偉大なる魔導師の書いた理論書、その複製品を手にしてわたしは唸る。こんなのわたしも持ってるようなものだ。
「フロー教の本も多いね」
そう言ってヘクターの指差す先、ベッドの脇にあるサイドボードにきちんと整理された本達がある。ここを調べた兵士達もフロー関連の本の扱いは別格のようだ。
「確かに、これじゃ『サントリナ王族らしい王族』の部屋じゃない」
もっと悪魔信仰やらサイヴァ教関連の本、はたまたサイヴァ以外の邪神を信仰するような本、エメラルダ島に触れた書籍なんかがあると予想していたわたしは拍子抜けだった。
「まあ怪しいものは隠してあるか、没収されたかもしれないがね」
アルフレートの言葉にわたしは「あ」と大きめの声が出る。思わず口を塞ぎながら扉の方へ振り返るが、この程度の声なら大丈夫だったようだ。わたしはポケットに素早く手を突っ込む。
「鍵って、その隠してある場所へ入る為の鍵なんじゃない!?」
わたしは鍵を二人に突き出しながら部屋を見渡す。この自室そのものの鍵では無く、更にある秘密の一室へ侵入する為の鍵だとすれば説明がつく。隠し扉、なんていかにもお城に存在しそうじゃないか。それこそフロロがいて欲しい状況だけど、隈なく探せば見つかりそう。だって在るとすれば王弟が使ってたはずなんだし。
自分の閃きに思わずアルフレートの顔を見る。隠し扉からの隙間風とか彼なら分からないだろうか。
「……この状況でシルフの姿を探せって?無茶言うな。今も私に纏わりついてきてるっていうのに」
アルフレートの眉をしかめる顔に、先程風の結界を張ったことを思い出す。そうか、部屋の中は風の精霊で一杯なんだ。
「じゃあ丁寧に探していくしかないね」
ヘクターがそう言って部屋を見渡す。わたしとアルフレートも頷き返すと、三方向に散って部屋を探索することにした。
二人が壁際に手をかざしたり家具の隙間を覗く姿を見て、わたしはベッド付近を調べることにする。壁紙に切れ目は無いか、不自然なところは無いか、と見ていくが、先程も見た魔術書についつい目線が動いてしまう。
精霊語や古代語の基礎を学ぶ本や、魔術理論の本もそこまで突っ込んだ内容の物は無い。デーモン、悪魔の生態を書いた本もあるが、歴史にも登場するような有名どころを紹介するものだ。そこまで怪しいとは思わない。色々な学問の片手間に魔術も学んでいたような感じだろうか。
でもこれはカモフラージュなのかもしれないのだ。隠し部屋には邪教信仰や悪魔召喚の本がずらっと並んでいたりするのかもしれない。何しろ王弟は「神からのお告げ」といって国王を暗殺しようとした危険人物なのだから。