4
「あの子が喪に服してから何年になるのかねえ……」
少し苦しげに息を吐くグレースは漸くイザベラに対して母の顔になる。
「レオンがいなくなって直ぐのように感じたけど、いつの間にか季節は一周してた。それで一年経ったのか、なんて気付く有様だったよ。昼は汗ばむ陽気で夜は雨で冷やされる。……今みたいな時期さ。当時は最悪の気分だった」
そりゃそうだろう。グレースからしてもレオンとイザベラの子供、と孫二人を一気に失ったわけだ。娘の不幸に心痛めてる気持ちは勿論あるのだろうし。
「イザベラはエリーザベトと真逆な子だよ。結婚してからは城に近付きたがらなかった。自分の夫と息子のアシル、それだけいればいいって。……でもあの子は根っからのプリンセスなんだ。褒め言葉じゃないよ。貴族の名前を覚えるのも晩餐会での振舞い方も完璧だったけどね、馬の乗り方一つ知らないお姫様だ」
グレースはそこで肩を一度竦める。
「私が禁止したわけじゃないよ。小さい頃からの、生まれ持った性格だね。だから結婚して子供が生まれて、あの子の求める環境が『家庭的なもの』に変わった時は私じゃなくても驚いたもんさ。多分夫であるモーリスが良い人だったんだろう」
それだけ自分の家族が大事だったんだ。その最愛の二人を亡くした、っていうのは惨い話しだな。
「イザベラは……馬に乗れなかったのね」
わたしのこの一言でグレースは何が言いたいのか分かったようだ。深く頷く。
「そう、だからあの子は無事だった。家族を助けられなかった、とも言える」
かなり正直な言葉だが、グレースの瞳は微かに潤んでいた。
「乗馬での事故で亡くなったらしいな。どんな状況だった?」
アルフレートが間を置かずに尋ねる。それをちらり、と見るとグレースは扇を振った。
「何が言いたいか分かってるよ。本当に事故だったのか、だろう?答えは『そうとしか言えない』だね。機嫌損ねた馬が暴れ出して、二人同時に投げ出されたらしい。夫のモーリスは打ち所が悪くて即死。相乗りしてたアシルは可哀想に馬の下敷きになったんじゃないかって。どれも現場に居合わせたわけじゃない警備兵の検証だけど、あまり信憑性は疑ってないよ」
アルフレートは軽く頷くと、もう一つ尋ねる。
「何所に出掛けたんだ?」
「トットムール平原さ。東にある、見晴らしの良い平原。めったに小動物以外が出ないような所だから油断もあったんだろう」
なんか聞き覚えがあるな、と記憶を辿り浮かんだのはあの不思議生物学者ボン氏だった。あのおっさんが行き先に告げていた平原だ。でも今おっさんは関係ないな、と首を振る。
「今は城に戻ってあの子本来の姿に戻ったわけだ。皮肉なもんだね。とても幸せとはいえないだろうに。ま、母親である私がこんな事言うのもおかしな話だけど」
グレースは一度重そうなお尻を浮かせて座りなおす。それを見届けてからわたしは口を開いた。
「後は……まだ聞いてない人っていうと、先王の妹さんの方の一家ね」
「よく下調べしてあるねえ」
グレースは何故か嬉しそうにくっく、と笑う。
「ルイーズは事件に関係あるとは思えないけど、ついでに聞かせてやろうかね。私が嫁いで来た時にはもう結婚して子供、ユベールも生まれてたんだよ」
「ああ、病弱だって話しの……」
わたしはそう言いかけて止める。大病患ったってだけで、病弱とは言わないか。でもどうも覇気が無いイメージの話しばかり聞かされてきたので、枯れ枝みたいなおじいさんを想像してしまうのだ。ヘクターがぽん、と膝を叩いた。
「旦那さんがあの『太陽みたいな男』って人か」
「そう!世界中の女が自分を愛してると思ってるような男だよ。そのせいで嫁も息子も影になってばかりなんだがね」
グレースはそう言ってから「私も嫁いで来た当時は口説かれた」と付け加える。うわあ……。
「なんて顔するんだい。私だってまだ十代の時だよ。そりゃあ花のある姿だったんだから」
わたしの嫌そうな顔にグレースは眉を上げる。
「いや、義理の兄の嫁を口説くのはおかしいでしょう」
「ああ、そっちかい。まあ私は王に惚れ込んでたからね。私の鼻にも掛けない態度にショック受けてたよ。あの時の奴の顔といったら……」
「へえ、先王も素敵な方だったんだ」
わたしとグレースの話の盛り上がりにアルフレートが「んんー!」と咳払いする。しまった、どうも人様の恋愛話しには弱い。
「こんな感じの一家でルイーズもユベールも城に来るのはあまり好きそうじゃなかったね。ルイーズは家に篭ってお茶飲んでる方が良い、ってはっきり言ってた事もある。息子もそんな風な母親そっくりで、王室の権威より昆虫図鑑の方が好きなような子。病気の後は自宅からも出ないみたいだし」
「何の病気だったんだ?」
アルフレートが問うもグレースは首を傾げる。
「消化器官系、ってことしか。ヴェロニカが言うには心臓は丈夫だったんで助かった、って話しだったね」
ヴェロニカ、ヴェロニカ……聞き覚えがあるな。
「あ、このお城にいる魔術師さんね」
わたしは兵士達の飲み会の席での話しを思い出した。『ブルーノ連れの嫁さんに対抗して』云々は言わないでおこう。
「少し捻くれてるけど良い子だよ」
というグレースのヴェロニカ評に、
「捻くれてる時点でダメだろ」
とアルフレートが返す。が、聞こえなかったかのように話を続ける。
「専門は別らしいけど神官としての腕もこの城一番なのよ。ヴェロニカがいたからユベールは後遺症も無く回復出来たと思うんだけどね。歳取ってから一度気持ちが萎えちゃうとダメだわね。今じゃ私も会うのが聖誕祭くらいだよ」
少し話しがズレてきた、と思ったのか「そうそう太陽の男だったね」ともう一度座りなおした。
「セルジュ・ジル・バルテルミー、サントリナの貴族家庭出身の男だよ。八十近い歳の今でも女の前じゃシャキシャキしてるらしいから、生き甲斐って大事ね。ルイーズを初めて会ったパーティーで口説き落としたくらい、精力的な男だけど野心家とは違うわね。王室内での地位よりも自由になる時間が大事のようだった」
「まあある意味、魅力的な人ではあるわね」
わたしは唸る。結婚相手には御免だけど。
「そう、女好きなだけでなくポンと出す発想やアイデアも素晴らしかったから、先王も随分可愛がってたよ。でも重要ポストを与えると逃げちゃうんだもの。でもいるだけで場が明るくなる人だった。……似たような孫にはお前達も会えるんじゃないの?」
グレースの意味深な視線にわたしは答える。
「レイモンね。誕生日会に来るっていうのは聞いてます」
にやっと笑うグレース。暫く優雅に扇を振っていたが、ゆっくりと口を開いた。
「誰もに人気者だったセルジュにそっくりな孫、を気取ってるけどね、あの子の本質はそんなものじゃないよ。人当たりが良いのも、有能な所も確かに引き継いでいるけど」
「……というと?」
アルフレートが低い呟きのような声で問い返した時、扉がノックされる。
「あの、もう少しで夕食の席になります」
ここまで案内してくれた侍女が顔を覗かせた。グレースは黙って頷きながら扇を振り、下がらせる。
「野心の塊なのよ、あの子は。でもかえってあんな子が一族に生まれて良かったと私は思ってる。庶民に生まれてたなら革命家にでもなってたろうね。あの子の目は危険すぎて、ぞくぞくするの」
グレースの言葉を受けてしん、とする室内にアルフレートの含み笑いだけが響いた。
「なるほどね、やっぱり貴族様の話しは面白いもんだ」
半分嘲るようなアルフレートに女帝はにんまりと笑う。
「そうよ、ここでは誰もが本質を見せないように振舞ってる。唾吐き掛けたい相手にもにっこり笑ってハグするのが賢い生き方なの。……お前達が誰に注目したのかは知らないけど、それを覚えておくことね」
そして「そうそう」と付け加えた。
「この私も同じこと。今までの話が嘘だってことも、私が全ての元凶だって可能性もあるのよ」
立ち上がるわたし達を眺めながら面白そうに言うグレースに、わたしは首を振った。
「それは無いかと」
「……なぜだい?まさか今のお喋りで気を許したんじゃないだろうね?」
目を細めるグレースにわたしは答える。
「ここに一切、兵がいないからです。あなたがもし今も表舞台を動かす気概があるなら、こんな大胆な事は出来ないですよ」
グレースは大きく目を見開くが、直ぐに体を揺らしながら笑い出した。
「ほほほ、面白い子だこと。いいわ、お前達からの報告を楽しみにしてるよ」
この言葉を貰い、わたし達は女帝の部屋を出る。誰もいない廊下に思わずふ、と溜息が出るが、あえて緊張を削ぐ素振りとしたりと面白い人だった。
侍女に頭を下げられながら見送られ、離れを出たところでヘクターが口を開く。
「でも何で、自分じゃ調べないんだろう」
その質問にわたしは自分のポケットに入った王弟の自室の鍵を握り締めた。アルフレートが答える。
「あのばあさんの現在の立ち位置じゃ動きにくい、っていうのもあるだろうが、一番の理由は『怖いから』だろ」
怖い、とな。首を傾げるわたし達にアルフレートは続けた。
「信じたい、けど王弟がやったのかもしれない。こっちの遊びに付き合うつもりで、背中押された感じじゃないか?」
はあ、なるほど、と思いつつ重要な事を思い出す。
「あ、でもこういう仕事におあつらえ向きなフロロがいないんだよね。どうしよう」
わたしはアルフレートにフロロへ仕事を頼んだ事を説明した。彼の目が面白く無さそうに細まる。
「……まあしょうがない、このメンバーで行くしかないんじゃないか?」
わたしとヘクターは頷いた。残りのメンバーでいうとシーフが残っているものの、あのドジっ子だしね。
「とにかく今は腹ごしらえだ」
似合わない台詞を言うアルフレートにわたしは笑ってしまった。