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王太后グレースは暫くの間、わたし達を眺めながら手に持った扇を優雅に振っていた。扇につけられているのであろう上品な香水の匂いが緩やかに漂ってくる。
「ここにお座り」
いきなりの台詞はとある一点を見つめながら発せられた。視線を辿ると予想通り、困惑顔のヘクターが自分の顔を指差している。
「そう、お前だよ。ここにお座り」
ぴっ、と扇が指すのはグレースの斜め前に配置された肘掛け椅子。ごくり、と喉を鳴らす音に気の毒になるが、ヘクターはゆっくりと椅子に近付く。
そのまま座り込んだ彼の顔から目を離さず、グレースは扇をびし!と閉じた。その先をヘクターの顎に近付け、顔を上げさせる。
「……良い顔だ。銀の髪を見るにスノーイムの方の出だね?」
「母が……そちらの方の出身です」
それを聞いてグレースは「やっぱりね」と笑う。スノーイムはローラス、サントリナの北に位置する小さな国だ。国、というより集落が点在する一帯、といった方がいいかもしれない。
「彼自身はここ、サントリナ出身だがね」
アルフレートの余計な一言に案の定、グレースは目を輝かせた。
「そう!確かにこんな上品な空気はスノーイム出身者には無いね。お前、サントリナの人間なの」
ほほほ、と太后が笑うと彼女の胸元に張り付く豊かなものがゆさゆさと揺れる。色っぽいというより怖い。ひたすら怖い。
暫くゆっくりとヘクターを観察していたが、グレースの扇がわたしの顔を捉える。
「お前はここにお座り」
ヘクターの座る椅子とグレースを挟んだ反対側を指され、わたしはびくりとした。てっきり『女は立ったまま』なんて事を言われるかと思っていたので予想外だ。
恐る恐る椅子に腰掛けると、早速扇の先が襲い掛かる。顎を取られ、じっくりと顔を見られた。
「……金髪は好きだよ。王家の色だ。緑の目も良いね。裏が無い子が多い」
にっと笑う顔は本気なのかどうか分からない。遠まわしに『嘘はばれるよ』と言われている気がしてしまった。でも髪を下ろしていたのは偶然とはいえ、良かったのかもしれない。とりあえずの印象は良かったようだ。しかしアルフレートが『いやなババア』というのも分かるな、これは。
その間にアルフレートはさっさとヘクターの隣りに腰掛ける。それを見てからグレースは再び扇を開き、ゆったりと背もたれに寄りかかる。
「ブルーノを黙らせた、なんてどんな子達かと思ってたよ。……エルフまでいるとは予想外だったがね」
ラグディスでの一件を言っているらしい。それに対してエルフは「私は何もしてない」と素っ気無い。こんな態度に怒り出しそうなものだが、グレースは「あ、そ」と目を細めただけだった。昨日だけで大分打ち解けているのか、もしくはこういう奴はしょうがない、と思っているのかもしれない。
侍女が紅茶を配り、頭を下げてから部屋を出て行く。ぱたん、という音が消えるとグレースは口を開いた。
「で、お前達はどう考えてるの?」
「……はい?」
ゆっくりとわたし達の顔を見回す視線に戸惑う。わたしの間抜けな声に女帝はほほほ、と笑った。
「かわいそうなレオンを表に放ったのは誰だと思ってるのか、聞いてるのよ」
わたしとヘクターがぎょっとして目を見開くのとは対照的に涼しい顔のアルフレートに思う。こういう話しになるなら始めに言っておいて欲しかった。
黙ったまま、正しくは何を言うか浮かばないだけなのだが、そんなわたしにアルフレートは大きく息を吐く。
「『誰が』を考えるからややこしくなる。『何故』を考えていけば良い」
そんな事は分かっているがその『何故』も分からないし、王太后の前で変な事を口走ってしまわないかが不安なのだ。しかしフォローもなくわたしの顔を見ているアルフレートに諦めの気持ちを抱きながら、わたしは現段階で考えていた事をゆっくりと話していく。
「……単純に考えれば王位、だと思います。現国王のお世継ぎが生まれて、その直ぐに連れ去られたんですから」
グレースはゆっくり、深く頷いた。
「でも、そうなると分からないのがレオンだけだった事です。王位を狙うなら二人同時に消さないと意味がありません。現状、エミールが第一王位継承者なんですし……レオンが消えて得をしたのは、この双子の片割れであるエミールだけです」
大分口が悪い事は分かっている。でも正直に話したつもりだ。勿論、赤ん坊だったエミールの仕業、というのは端から論外だ。グレースは嬉しそうに笑い出し、扇を揺らす。
「頭の良い子は好きだよ。どれ、もう少し聞かせて欲しいわね」
わたしは今度は安堵の息を吐く。機嫌を損ねたところで『首をお刎ね!』とはならないだろうが、この女帝には何ともいえないプレッシャーがある。わたしは続けた。
「レオンを連れ去ったのはサイヴァ教団の一味だったわけですけど、彼らの目的からすればレオンだけで十分だったんです。彼らは混沌を引き起こす事だけが目的ですから。でも『差し出した側』から考えると話は別です。先程言ったように王位が狙いだった場合、二人じゃないと意味が無いんです」
なるべく淡々と話したつもりだったが、最期にはつい力が入る。グレースは暫くわたしの目をじっと見ていたがふ、と下を見た。
「シャルルの時の事を思い出すね。あの時も目的が分からずに皆、言いたい放題だった」
「王弟の事か。確かに世継ぎが生まれている段階で国王を暗殺しようと、自分には王位は回ってこないもんな」
アルフレートの言葉にわたしは「え?」と返す。
「王弟の暗殺事件ってレオンの事件の後なの!?」
そう声を上げながらもファムさんの話を思い出す。そういえばレオンの事件の時はファムさんはお城に勤める前で、王弟の事件の時は勤め始めた後だったんだっけ。うわあ、見事に勘違いしてた。実は頭の中で王弟は除外していた為にわたしは唸る。
「って事は王弟がレオンの事件の犯人の可能性だってあるんじゃない。まあ目的が分かんないのには変わりないけど」
言ってしまってから「しまった」と思う。確か王弟って王太后のお気に入りだったんだっけ。案の定、グレースはむっとした顔になるが、それも一瞬の事だった。疲れたように背もたれに寄りかかると深い溜息をつく。
「頼みたい事があるのよ」
ちらりとこちらを見る顔には怒りは無かった。それだけでほっとする。「何でしょう?」と返すとグレースは黙って後ろを指差した。その方向に目をやる。細かい細工がふんだんに入ったチェストがあった。首を傾げるわたしにもう一度指を後ろに向ける。どうやらそちらに行け、ということらしい。
立ち上がりチェストに向かうわたしに、グレースは「一番上の左よ」と告げた。開けろ、という事だろう。花を模したような華奢な作りの取っ手を掴むと引き出しを開ける。中身は一つだけだった。
「鍵?」
そう呟くと、
「持っておいで」
との声。次々に命令する人だ。一度もこちらを見る素振りも無いというのに。アンティーク物のような金の鍵を肘掛椅子の元まで持ってくると、再び座るよう合図される。
「シャルルの部屋の鍵だよ。私の命令でそのままにさせてる」
それを聞いて固まっているわたしに女帝はにやり、と笑った。
「訳が分からない、って顔だね?私はね、シャルルを信じたいのよ。あの子が家族をめちゃくちゃにしてやろう、なんて考えてたとはどうしても思えない。それを使って探ってきて頂戴」
わたしはごくりと喉を鳴らす。わくわく感なのか、プレッシャーなのか、自分の中で渦巻き始める感情がよく分からなかった。
「後悔する結果ならどうするんだ?」
アルフレートがにやっと笑うが、
「この歳になれば後悔なんて無いよ」
グレースはあっさりと言い放った。
その時になって漸く、わたしはグレースがヘクターの左手を撫でているのに気がつく。
「ちょっとおお!!」
何してんだ糞ババア!という言葉は飲み込むが、非難を隠さない顔で指差すとグレースを睨む。
「鼻の穴大きくするんじゃないよ、はしたない。良いじゃないか。男は触れた女の数だけ磨かれるんだよ」
「は、はしたないのはどっちよ!」
睨み合うわたしとグレースにアルフレートが割って入る。
「まあまあ、これなら良いだろう?」
そう言うとヘクターの空いた左手を取り、ゆったりと撫でる。ヘクターの顔に鳥肌が立つ様子がここからでもはっきり分かった。
「……冗談はこのくらいにして、あなたはどう考えてるんです?」
ヘクターが二人の手を退かしながらグレースに問う。女帝は「冗談なんかじゃないよ」と流し目を送るが、直ぐに真顔に戻った。
「私はエリーザベトをどうも良く思えない。だから公平な目で見れないね」
エリーザベト……誰?という顔を見たのかアルフレートが「王妃の名前」と呟く。ああ、嫁姑問題ね。
「でもまさか王妃が自分の子供を、なんて考えてませんよね?」
わたしが身を乗り出すとグレースは首を振り、ふんと鼻を鳴らす。
「やりかねないよ。あの子はね、サントリナ王室を恨んでる。結婚に乗り気じゃなかったらしいから。……元々政略結婚なんてする玉じゃないのさ。馬に乗ってきつねを追いかけるほうが幸せな娘だ」
一般のお嬢さん、という意味だと解釈する。それにはわたしも同意だ。花のようなオーラはあるが王室のような身分の威厳、とはちょっと違う気がする。もっと天真爛漫なものだ。
「父親がそもそも『候』を名乗ってるがね、あれは成り上がり。本人の野心よりも有能が故に担ぎ上げられた、私から見れば被害者だね」
「……すごい暴言」
思わず漏れるわたしの一言にグレースは「その通りなんだからしょうがないだろ」と涼しい顔だ。でもはっきりとした政略結婚なのね。そう聞くと王妃に同情してしまうのが乙女心。
「まあエリーザベトだとしても何で自分の子供片方だけを不幸にしたかったのかは謎だけどね」
この発言には「レオンは不幸なんかじゃないわ」と言いたくなる。でも黙っていた。幸せの価値観の話しにまで及びたくない。
「他はどうだ?例えば……イザベラとか」
アルフレートが意味有り気にグレースを見るも、女帝は優雅な顔のままだった。娘の名前を出されようが微塵も動揺が無いのがこのバアさんらしいといえばらしい。