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「こんな話し面白くないでしょ」
家のお父さんの職業から始まり、最近犬が脱走して大変だった話しまでを終えてからわたしは我に返る。が、エミールはにこにことしながら、
「いえ、とっても面白かったです」
と答えた。王子にとっては別世界の話しで逆に新鮮だったのかもしれない。面と向かってつまらない、と言う人ではないけど。
「次は学園の話しも聞かせてください」
そうエミールが言った時だった。ぱたん、と静かな音を立ててブルーノが部屋に入ってくる。
「エミール様」
「あ、もうそんな時間なんですか?」
眉を下げるエミールにわたしは目の前の白い駒を振って見せてから、かつんと音を立ててボードに置いた。
「チェックメイト。……楽しかったよ、エミール」
一瞬、呆気に取られた顔をしていたが、エミールは笑い出す。
「あんなに話し込んでいたのにしっかり進めていたんですね。やっぱり僕とは頭の回転が違うみたいだ」
わたしが立ち上がり、扉に向かったところでエミールがブルーノに声を掛ける。
「リジアを部屋まで送ってください」
「かしこまりました」
そのやり取りにわたしは慌てて手を振った。
「い、いいよ、そんなの」
「いえ、まだ城内も不慣れでしょうから」
そう言ってブルーノに頭を下げられる。むう、余計な行動取らないように見張りに付かれるんだろうか。と、素直に好意を受け取らないのはわたしの悪い癖だな。
「じゃあまた、夕食の席で」
エミールが扉の前まで来て挨拶してくれる。わたしより少し小さい背の彼が真っ直ぐわたしの目を覗き込んだ。レオンと似てるけどやっぱり雰囲気はまるで違うから、今両方並んでも見間違えることはないだろうな、と思う。神殿で会った時はあんなにそっくりに見えたのに。
初めてブルーノと二人きりというのはエミール以上に緊張する。ちらりとブルーノを見るがラベンダー色の髪の下にある顔は何も読めない。
部屋を出て廊下を行き、下に降りる階段に足を踏み出した時だった。隣りを歩くブルーノが口を開く。
「エミール様は君の身を案じている。何せ初めて家族以外で『執着』を見せた女性だ」
何を言われるかと身構えていた体が恥ずかしさで熱くなってくる。
「そ、そうなんだ。でもわたし達はアサシンに狙われるような生活送ってないもの。王子の方にこそ気を配った方がいいと思うけど」
別荘での出来事を誤魔化すようにわたしは答える。ここまでくると押し付けがましいか。上手くいったとは思えないが、ブルーノは頷いていた。
中庭に出ると再びブルーノから声が掛けられる。
「王室の話しは面白いか?」
今度はしっかりと嫌味と警告の色を感じる。わたしは笑顔で答えた。
「まあね。異世界の話しみたいで面白いわ。現実感が湧かない分、今なら何でも出来る気分よ」
「勇ましいことだな」
ふっと苦笑するブルーノを見て思う。また雰囲気が変わっている。戻ったというべきか。あ、分かった。イリヤがいないからだ。そう考えるとわたしのような小娘の方が相手の油断を誘うには向いていたりして。
そんなことを考えていると、中庭を向こうから歩いてくる集団に気がついた。今度はセリスとイリヤではない。そしてイザベラと取り巻きの集団でもない。
「王妃さまだ」
わたしはそう零す。向こうからやって来たのは王妃と数人の侍女。楽しそうに談笑しながらやって来る姿にこちらから声を掛けていいものか迷う。やっぱり王子以上に纏うオーラが独特だからだ。花のように美しく朗らかな雰囲気だが、その辺を歩く人間とはどこか違うのだ。
笑顔を振り撒いていたはずが、こちらに気がついた王妃の顔から笑みが消える。わたしは一気に鼓動が早くなり、ひやりとする。まるでこちらをいないものと扱うように通りすぎていく彼女達にショックを受けてしまった。
少女のよう、と感じていた彼女に初めて見たキツイ部分に落ち込んでしまったのもある。
ばくばくという胸に手を置いているとブルーノがこちらを見る。
「気にしなくていい」
そう言う彼の顔をわたしは無言で眺めてしまった。動くことは無い表情で声が続く。
「嫌悪されているのは君ではない。私だ」
それを聞いてぎょっとする。なぜ?という顔でブルーノを見るものの、彼は既に前を見て歩き出していた。その後姿を見て「なぜ嫌われてるの?」という質問は無意味だと分かる。イリヤではなくてもそのくらいは読めてしまった。
「リジア」
入りかけた建物の廊下を歩いてくる二人のうちの一人、ヘクターがわたしの名前を呼ぶ。なぜだがひどくほっとしてしまう。
ブルーノに目をやると「どうぞ」という風に手で促された。
「では、私はこれで」
そう言って去ろうとするブルーノに「ありがとう」と返すが、彼が振り返ることはなかった。
昼食の用意された部屋は良い意味で質素な部屋だった。窓が少なく昼間でもランプをつけているが、それがまたいい雰囲気。また高い天井と響く声の元で食事することになるのかと思っていたわたしはほっとする。
「なあ、俺もそろそろ動き回りたいんだけど。もう何所もおかしくねえよ」
座るなりアントンがサラに詰め寄る。一人、部屋に待機させられていたので元気が有り余ってる感じだ。
「おかしい所、あるじゃなーい」
セリスがアントンを指差し笑う。その視線を辿り、自分の頭を触ってアントンは赤くなった。
「お前なあ!」
「セリス、アントン」
サラが静かに二人を睨む。肩を竦めるセリスの横でアントンが身を乗り出した。
「俺も!?今の俺も悪いのかよ!」
「……どうしてそう、唾飛ばしながら喚かなきゃいられないの?」
サラの厳しい顔の前にアントンは「むきょー!」と叫びながら頭を抱えていた。傍から見てるだけだと面白いものだ。
「やいやい、うるせえぞ」
不機嫌さをいっぱいに表した顔で入ってきたのはフロロだ。珍しく攻撃的なオーラにみんな彼に注目する。背を丸めて歩く姿はまるでチンピラじゃないか。
「どうしたのよ」
わたしが聞くとフロロは頭をかきながら椅子に飛び乗った。
「どうもこうもないぜ!あの野郎、一向に尻尾出しやしねえ」
「ヴォイチェフね?」
ローザの問いにフロロは何度か頷きを見せる。わたしは慌てて「ちょっと……」と部屋を見回す。こちらが何を言いたいのか分かったようだが、フロロはふんと鼻を鳴らした。
「別にこれくらい聞かれてたとしても構わないだろ。……こっち着てからもずっと張り付いてたけど、何度もまかれた。いくら地の利は向こうにあるっていっても、こんなの初めてだぜ」
そう言い終えるとフロロはファムさんが運んできた飲み物を一気に飲み干す。
「まく、ってことは何かあるんじゃない?隠す事があるってことで……見失ってる間、何かしてるんだろうね」
わたしが聞くとフロロは「だろうな」と答える。なら引き続き頑張ってもらうしかない。
「聞かれても構わん、っていうなら私の話もそうだな」
アルフレートが覇気の無い顔でグラスを傾けながら呟いた。わたしは彼の方へ向き直る。
「何?そういえばアルフレート何してたの?」
「先王の妻、王太后に会って来た」
「よ、よく会えたわね」
ローザが感心半分、呆れ半分というように声を漏らした。アルフレートはつまらなそうな顔のまま続ける。
「離れにいる、って聞いてたからな。どうせうるさい警備は少ないだろうと行ってみたら、案の定だった。ちょっと顔出してみたらあっさり部屋に入れてくれたよ。エルフは物珍しいんだろ。暇でしょうがない身分だろうし」
「へえ……で、どうだった?」
ヘクターの質問にアルフレートは即答する。
「嫌なババアだった」
ぶっ、と何人かが噴出するが当人は軽く肩を竦めるだけだった。
「口が悪いエルフねえ……。太后には失礼な態度取ってないでしょうねえ?」
ローザがそう窘めるがアルフレートに限ってそれは無いな、と思う。
「典型的な嫌な歳の取り方した人間、って感じだったな。延々、いかに先王が素晴らしくて今の王室が堕落してるか、って話しをされた」
アルフレートの話しで彼のこの態度の理由が分かる。とことん『好きじゃないタイプ』にはつまらなそうな顔をする奴なのだ。と思ったら何かを思い出したように、少し笑う。
「唯一面白いと思ったのは自身の子供への評価かな。太后のお気に入りは長男である現王じゃなく、次男だったらしい。気が触れる前は切れ者だったそうだ。この辺の愚痴も多かったが、どうも『かわいそうな王弟と愛の無い兄』って雰囲気丸出しで……。話しだけのイメージだと国王がエミールのようなタイプで王弟がレオン、って感じか」
国王がエミール……ねえ。レオンが切れ物タイプっていうのは分かるけど、あの親子は雰囲気からして結びつかないな。今は中性的な顔立ちの王子だけど、大きくなったら国王のような男らしい顔つきになるんだろうか。
食事を進めているとアルフレートに肩を突かれる。
「ちょっと頼まれてくれないか」
本当に色々な人間を使う奴だな、と思いつつ「わたし?」と聞き返す。
「規模の大きい図書館に行って調べものしてきてくれ」
そう言って二つ折りの紙を渡される。わたしは口を尖らせた。
「そう言われても図書館ってどこよ?」
「城から近いよ。俺が連れていく」
ヘクターからその言葉が出てくると途端に顔がにやける。が、渡された用紙の中を見てぎくりとしてしまった。アルフレートの達筆な字で、
『エメラルダ島』
の文字が書かれていたからだ。
思わずアルフレートを見返すが、黙って食事を取る彼の顔には「何も言うな」と書いてあった。