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「というわけでついて来てください」
ベッドの上、わたしはローザに土下座する。荷物を整理する手を止めてローザはこちらを向いた。
「それなら尚更一人で行った方がいいと思うけど」
困ったような顔をするローザにわたしは激しく首を振る。
「無理よ!そういう空気に耐えられそうに無いもん!」
そういう空気とはどんな空気か、と問われるとわたしにも上手く説明出来ないのだが。気付いたが最後、まともにエミールの顔を見て話せそうにない。たとえ『ちょっと仲良くなりたいな~』程度だとしても、苦手なものは苦手なのだ。
必死で頼み込むわたしにローザは「王子かわいそう~」と呟いた。
「じゃあヘクターに頼んでみれば?」
ローザからの提案にわたしは飛び上がりそうになる。
「ダメ!無理無理むり!」
「なんで?いいじゃない、案外良い方に働くかも~!王子が必死にご機嫌取る横でヘクターも嫉妬の炎が燃え出したりするのよ。『あれ、この気持ち……』なんて、やだあ!少女向け小説みたいだわあ!」
一人で勝手に盛り上がるローザを睨むが、そんな事はお構いなしにはしゃぎ続ける。
「あたしそういう展開大好きなのよねえ。あんたもね、この機会に『男を手のひらで転がす』態度ってものを身につけるべきだと思うのよ」
何言ってんだコイツ、と思いつつローザに尋ねる。
「わたしがそんな器用な人間に見える?」
「見えない」
「じゃあ駄目じゃない!とにかく、ヘクターは連れて行かない!説明するのが恥ずかしい!」
声を張り上げるわたしの横でローザは不服そうな顔をしていた。尚も何か言われそうな空気になってきたところでわたしは先手を打つ。
「ヘクターを連れて行くぐらいなら一人で行くわよ!」
「じゃあ行ってらっしゃいな」
手をひらひらとされ、わたしはぐっと詰まる。その間にローザは畳み掛けてくる。
「実はね、あたしもこれから訪ねたい人がいるのよ」
「え、それってこのお城に?」
「そうそう」
初耳な情報に面食らっているとローザは説明を始めた。
「うちのコックの知り合いがここの厨房で働いてるらしいの。その人からも何か聞けるかもしれないでしょう?知り合い相手なら口も多少軽くなるもんだし」
うちのコック……。金持ち感全開の言葉にくらりとする。そんな風に戸惑っている間に、
「じゃあ、頑張ってきてね」
と言いながら背中を押され、部屋から追い出されてしまった。
ばたんと閉められた扉から目を外すと、廊下で待っていたファムさんと目が合う。
「……行きます?」
「はあ……しょうがない、行こうか」
王子の部屋へ歩き出したところでファムさんがにっこり笑った。
「大丈夫、エミール殿下は紳士的な方です。いきなり獲って食われるようなことはありませんよ」
「……さすがにその心配はしてないわ」
まだあどけなさいっぱいの少年の顔を思い出してため息をつく。疑問があるとすれば気に入られた理由だ。代々『金髪に弱い』とかあるんだろうか。
建物を出て中庭に出ると「盗み聞きしたようで申し訳ないのですが」と前置きして、ファムさんが話し出す。
「確かに殿下の気持ちを利用するのは有りかと思いますよ。色々な話も聞けるでしょうし、頼み事もし易いじゃないですか」
その言葉にわたしは「うーん」と唸ると、ファムさんを見る。
「良い子ぶりたくないけどさ、そういうの出来るような人間に見える?」
「見えません」
ファムさんの即答に悲しくなる。別にいいんだけどさあ……。
夏の色鮮やかな花が咲き乱れる花壇の脇に、赤い髪が揺れているのが見えた。
「セリス、イリヤ」
名前を呼ぶと何か話し合っていた二人が振り返る。どうしたのか尋ねようとしたところで先に答えを言われた。
「怒られない範囲で色々見て回ろうと思って。今、注意事項を確認してたってわけ」
彼らも情報収集に回るということだ。セリスに「そう」と返してからイリヤを見る。
「気をつけてね」
何しろアルフレートから『一番の要注意人物』だと指摘された彼だ。気をつけて欲しい反面、やっぱりイリヤの力は頼りにしたいところでもある。
「修行だと思って頑張ってみるよ」
苦笑しながらの答えが返ってきた。
「デイビスとヘクターも兵舎みたいなところ回ってみるって。あんまり期待しないでくれ、とは言ってたけど」
セリスが髪をいじりながら建物を指差す。細長い塔の頭が見えた。兵士達の詰め所らしい。
「じゃあ後で報告会になるわね」
わたしが言うとセリスは肩を竦めた。
「報告するような事を掴めたらいいけどね」
「リジアは何処行くの?」
イリヤからの質問にわたしはなるべく平静に答える。
「エミール王子の所。部屋でお話ししよう、って」
「へえ、なんでまたリジアだけなんだろうね」
首を傾げるイリヤの頭にセリスが拳を入れる。さっさと歩き出すセリスに頭を撫でながら追いかけるイリヤを見送った後、ファムさんと顔を合わせてわたしもエミールの部屋へ歩きだした。
「どうぞ、入ってください!」
溢れんばかりの笑顔に迎えられてエミール王子の部屋に入る。ブルーのストライプに合わせた家具に銀の調度品が素敵だ。入る直前にファムさんは音も立てずに消えていた。寂しいけど仕方が無い。ずっとついてる方がおかしいもんね。
「わー、やっぱすごいわ……」
部屋を見回し正直な感想を漏らす。部屋の奥、テーブルの前にいたブルーノが一礼すると扉に向かっていった。彼も出て行ってしまうのか。でもまあ、いられても突っ込んだ話を色々聞きたいわたしには都合が悪い。
さてどうしようか、と思っているとエミールが棚をごそごそとし、何かを運んでくる。
「これ、やりませんか?ルール分かります?」
エミールが持つ升目が描かれたボードと小箱に入った駒を見て理解する。領土取りを簡素化したようなルールのボードゲームだ。辛うじて知っているが、あまりやったことはない。
「あんまり詳しくはないけど、一応出来る、くらいね」
「じゃあ良い勝負かもしれません。僕……私も弱いんです、これ」
つっかえるエミールにわたしは、
「『僕』でいいよ、わたししかいないんだし」
と伝える。照れくさそうだが何とも嬉しそうな顔が返ってきた。来るなりゲームをやりたいという要望にも、この表情にも改めて彼を「可愛い人だな」と思う。と同時に罪悪感も湧いてきた。この王子を『利用する』なんて芸当はちょっと無理かもしれない。
「並べ方これでいいんだっけ」
自軍になる駒を列に並べながら尋ねる。エミールは指を動かしながら確認していった。
「ええとキングが右で……はい、合ってますよ」
「これ黒から始めるんだっけ?白からだっけ?」
「えっと……リジアからでいいですよ」
意外と大らかな性格のようだ。少し笑ってしまった。
「じゃあお言葉に甘えて。……こういうゲームとかお父さんお母さんとやったりしないの?」
わたしは白い駒を動かしながらエミールに聞いてみる。あえて国王王妃、ではなくこんな聞き方をさせてもらった。エミールも駒を眺めながら答える。
「父とはたまに。母とはそういえばやったことないですね。たぶんルール知らないと思います」
ふうん、確かにこの手のゲームって男の人の方が好きだな。うちのお父さんも好きだし。
「お母さんとは何したりするの?意外と普通の家と変わんないのかな」
「母とは……本を読んでもらったり、馬に乗ったりでしょうか」
「馬?」
思わず聞き返す。あの王妃さまが馬を乗り回すとは。
「ああ見えて母はじっとしていられない人なんです。馬の扱いも父より上手ですよ」
早速意外な面を聞けた。……あんまり『実』はないけど。
馬の形をした駒を動かしながら、またエミールに質問する。
「これ、こうやって動かせるんだっけ?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ありがとう。……ああ、そういえばレイモンを見かけたわ。エミールのはとこっていう。金髪で体の大きな人よね?こんな髪型の」
両手でウェーブした髪を作るとエミールは頷いた。
「そうですそうです、別荘地で見たんですか。レイモンは歳が離れてますから、あまり一緒に話すことはないですがよく気にかけてくれる良い人です」
「ふうん……、女の人と一緒だったわ。すごい美女!って感じの」
わたしが言うとエミールは「レイモンはモテるんです」とにっこりと笑う。
あんまり『モテる』って人の態度じゃなかったかな……?まあ、あんまり言うと悪口になってしまいそうなので止めておこう。
「前に言ったように大叔父は体を悪くしてから篭りがちで、それでこちらにはあまり来られないんです。それでレイモンが代わりに訪ねてくることが多いんですよ。式典参加も大叔父の代わりに欠かさず来てますね」
「式典か。王族の方は忙しそうね」
わたしの呟きにエミールはまた笑顔でこちらを見る。
「父は分刻みのような生活を送っていますが、僕はこうやってリジアとゲームをする時間もあります」
エミールの言葉に急に恥ずかしくなってくる。わたしは「ああ、うん、そうだね」と口をごにょごにょさせた。不自然でない程度に話しを戻すことにする。
「でもその大叔父のユベールさんだって、そんな歳じゃないでしょう?レイモンのお父さん、っていうくらいだし」
「ええと、六十超えたくらいなはずです、たしか。大病を患ってから、精神的にも弱ってしまったようだと。特に人前に出ると疲れが出てしまうようなので」
エミールの言葉を反復させながら考える。ってことはユベールにはあんまり顕示欲みたいなものは感じないわね。代わりにレイモンには逆の傾向があるように見える。ふむ、面白いな。
「リジアの家族はどんな方です?」
急に振られた話題に「そんなどうでもいいことを」と思うが、こちらばかり根掘り葉掘り聞くのも不自然だろう。わたしは迷いながら話し始めた。