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切り立つ崖の上から眼下に広がる夜の湖の景色を見て、わたしはささやく。
「本当にうまくいくのかな?」
「さあね」
心篭らない声で隣りに立つアルフレートは答えた。
昼間遊んでいた湖岸よりも東に来たここは、水面から陸地まで随分な高さがある。夜中のこの時間に水面に目を凝らしても真っ暗な闇が微かに蠢いているようにしか見えない。アルフレートと二人だけのこの状況は彼の指示によるものだ。
『中途半端に揃ってると、他のメンバーは何をしてるのか、なんて考えさせるだろ』
とのことだが、なんでわたしなんだ、と思ったりする。確かに黒ずくめの男に『その女』呼ばわりされたのはわたしなんだけど。
緊張からわたしはもう一度アルフレートに話し掛ける。
「この湖も大昔は川の一部だったんだって。不思議だよね。今はそんな面影無いし」
が、アルフレートに手で遮られる。闇の中から物音一つさせずにゆらりと影が現れた。
「この早さで来てもらえるとは、仕事の出来る人間は違うね」
アルフレートが現れた影二つに語りかける。相変わらず目元だけ覗いた黒装束の男が二人、黙ってこちらを見ている。アルフレートが足元に転がる物体を軽く蹴り上げた。
「……ふぐう」
トマリの苦痛の声が響く。それでも男達の顔は少しも乱れなかった。
「いきなり巻き込まれたもんでかえって好奇心が湧いた。この男は何をしたんだ?」
アルフレートの問いに男達は答えない。それも予想済み、というようにアルフレートは話しを続ける。
「こいつが最後まで手放そうとしなかった、これは何だ?」
そう言って掲げるのは丸い石。白みがかった灰色の綺麗な球体。それを見て二人の男の内、後ろに立つやや小柄な男の肩がほんの少しだけ動いたのを見たのはわたしだけではないはず。
「答える理由も、義務も無い」
前に立つ男は声からして昼間も会ったリーダー格の男のようだ。
「そうか」
アルフレートが答えるや否や、彼の手の中にあった石がぱん!とゴムボールが破裂するかのようにはじける。風に破片がキラキラと飛ばされていく様は綺麗だった。
「貴様!」
後ろの男が身を乗り出す。前の男がそれを黙って止めた。トマリも拘束された体をばたばたさせつつ激しい唸り声を出す。
「争いの種など潰すに限ると思わないか?」
「それには深く同意しよう」
意外にもリーダー格の男はアルフレートの問いに頷いて見せた。それを受けてアルフレートは淡々と話し続ける。
「我々としてはこの男の仲間だと思われるのも避けたいところだが、君らのような人種に協力するのも不本意なもんでね」
アルフレートはそこまで言うと転がるトマリの頭を持ち上げた。デイビスに殴られたせいで腫れ上がった顔がある。
「協力は出来ない、と。ではどうするかね?」
腫れ上がった顔をちらりと見た男の問いにアルフレートは黙ってトマリを転がす。
「こうするのさ」
最後の一押しによってトマリは崖の下へと落ちていく。
「ふごおおぉ……」
ご丁寧に口輪までされた哀れなクーウェニ族は断末魔の悲鳴まで情けないものだった。どぽん、という水中に落ちた音の後、暫く水の跳ねる音が続いていたがそれも止んでしまう。小柄な男の方が後を追う体勢になるがリーダー格の男はそれも止めに入る。意外な判断だな、とわたしは思った。
「さてどうする?やり合うか?」
アルフレートが腕を組んだまま楽しそうに問いかける言葉に内心わたしは焦る。が、目の前の男は抑揚を感じない動きで首を振った。そして一歩足を後退させる。
「好奇心だけで動くのはここまでにした方がいい」
そう言い残しじわじわと闇と同化していく男に問い詰めたくなる。ざあ、という音は男達の立ち去った足音だったのか、風の音だったのか。
少し間を置いてからわたしはアルフレートに尋ねる。
「うまくいったのかしらね?」
「さあね、こっちも始めからちょっとした時間稼ぎのつもりだ。後は『下の連中』がどうしたか、だな」
「……お宝ってやっぱり嘘だったのかなあ」
『鍵』であるはずの石の玉を破壊された時取った男の反応を思い出してわたしは呟く。アルフレートが首を振った。
「『鍵』が嘘なのかもしれない。『お宝』が嘘なのかもしれない。……こっちの猿芝居に付き合う気がないのかもしれない」
そう言って肩をすくめた後、歩き出すアルフレートについて行きながら考える。
偽物だってばれちゃったのかな?それとも向こうはお宝とやらに、手をつけるつもりが端からない?
わたしの頭の中に解くことは無い封印の扉が想像されていた。
「イテーよぉ、イテーよぉ」
硝子玉のような目からぽろぽろと涙を流すクーウェニ族の男を見て、流石に同情してしまう。
「二、三発殴られた後に落ちた衝撃で肩が外れたくらいでビービー泣きなさんな」
アルフレートがローザの治療を受けるトマリに言い放つ。相変わらず冷酷な奴だ。
ここはフローラちゃんの中。狭い空間にわたし達、操縦席には役目を終えたヴェラがぐーすか寝ている。
「おらヴェラ、ベッド行って寝ろよ……」
デイビスがヴェラを持ち上げるとフローラの中から出て行った。トマリと顔を合わせ続けるのも気まずいように見えてしまった。
「にしても乱暴過ぎるぜ、旦那……。それにあの程度で騙せたんかな?奴ら日が昇れば湖を徹底的に探すぜ?」
治療された肩を回しながらトマリがアルフレートを見る。視線を送られたアルフレートはふん、と鼻を鳴らした。
「時間稼ぎに成れば十分だ。その間に城へ戻ればいい。お前もある程度経つまではここにいてもらうからな」
トマリは初めこそ『ラッキー』というような顔をしていたが、徐々に不安げな顔になっていく。
「トイレとか……風呂とか」
むにゃむにゃ口を動かしていたが、アルフレートに睨まれてそれも止まる。
『とにかく時間を稼ぐ』というアルフレートの主張により起こった先程の一幕。
まず黒装束の男達に向けてトマリとの関係をはっきり否定する。そのためにデイビスが「悪く思うなよ」などという悪役っぽい台詞を吐きつつ、トマリの顔を変形させた。
ボロボロのトマリを男達の前に出し、暗い湖に沈める。上からは死角になる位置にヴェラを乗せたフローラちゃんに待機してもらい、トマリが落ちた所を救出してフローラの中に戻ってもらう。……というわけだ。
最低限の明かりはローザに用意してもらったとはいえ、ヴェラも暗闇の水中で大男を救助するなんて良くやってくれたと思う。
治療を終えたローザが目を細め、アルフレートに向き直る。
「で、そこまでしてこの人を匿うのは何で?まさかアンタが『見殺しにしたくないから』なんて言わないわよね?」
ローザの何かを匂わせる質問にアルフレートは中々答えない。わたしが代わりに答える。
「アルフレートは『お宝』があると思ってるんでしょう?」
肩を竦めるアルフレートの後ろ、トマリが弾かれたように立ち上がる。
「そ、そうだよ!鍵!石の玉!何てことしてくれたんだよお!」
喚くトマリの鼻先にアルフレートの手が突き付けられた。その手に持つのは灰色の石の玉。トマリは目を白黒させていたが石に震える手を伸ばし、ほお擦りする。
「偽物を用意すると言っただろうが」
「殴られた後は気絶して覚えてねえよ!」
アルフレートとトマリの言い合いの脇からわたしは口を挟む。
「壊れなかったんだって、こっちは」
「試したのかよ!?」
またしても顔色が紫色に変わるトマリにわたしは指を突き付けると彼の目を真っ直ぐ見据える。
「……反応するところはそこ?『壊れなかった』のよ。普通の石ころならどうなったか、あんたも見たでしょ?」
トマリはぽかん、としていたがしげしげと手の中にある物を見直す。
「やっぱ、力を持ってるってことか!」
「そういうこと。本当に宝の鍵かは知らないけど」
わたしはそう言いながら石の玉を見る。魔力の類いは見て取れない。魔法とは違う何かの力が働いているのか、掛かっている魔法が高度過ぎてわたしには感知出来ないのか、それは分からない。
「とりあえず表出ない?いい加減、休まなきゃ」
ローザに言われ、表へのスイッチへ足を向ける。
「あんたはここ!」
当然のように着いてこようとするトマリを手で制すると、フローラの中を後にした。
室内の明るさに目を細める。先程まで話し合いをしていた応接室のテーブルの上にフローラがいる。ソファーに座るヘクターの横、こちらを見るのはオグリさん。
「あ、帰ってたんですね!」
わたしの掛けた声にオグリさんはゆっくり頷いた。
「城へ戻る許可が出ました。明日の朝からでも大丈夫です」
思わずわたしは皆の顔を見回す。
「順調に行き過ぎて怖いね。まああの王子が頑張ったんだろうが」
アルフレートはそう言うと、わたしの頭をぽんと叩き扉へ向かう。
「寝ておけ。あと何時間かは寝られる。城に戻ってから昼夜逆転なんて生活出来ないぞ」
アルフレートの言葉にローザも深く頷いた。
「そうそう、こういうのは早めにきっちり直しておかないとね」
そう言われて大欠伸を見せたのはわたし達ではなく、大分お疲れ顔になっているオグリさんだった。