5
ランプが一つの明かりを灯す以外は暗い部屋の中、微かな寝息が聞こえる。何かの薬品の匂い、床に描かれた魔法陣の跡、普段より小さく見えるサラの背中。
「どう?」
わたしはサラの隣に腰掛けながらアントンの顔を見た。暗がりの中だけど普段と変わらない顔色に見える。今にも起き出して不服を喚きそうな眉間の皺に、思わず小さく笑う。
「……私、何も出来なくて……」
サラが小さく呟いた。真っ直ぐアントンを見る顔は表情が無いのが逆に痛々しい。
「そんな、しょうがないよ。わたし達もアルフレート以外はパニックだったもん。それにサラは昨日の晩にはちゃきちゃき動いてアントンの怪我治してたじゃん」
わたしの言葉にサラはふるふると首を振る。
「ローザちゃんが先に動いたでしょう。それを見て『あ、私がやらなきゃ』って思ったの。きっと、あの行動で『私はアントンの事、許してあげるのよ』ってアピールしてた。自分でも生意気で横柄で、最低だったと思う」
わたしは言葉に詰まってしまった。確かにあの時あの行動を見て、サラがアントンに対して本当に嫌悪感を持っているわけではないのだな、という印象を持ったからだ。サラがふ、と笑う。
「そんなズルイ考え持って行動することは出来るのに、いざ本当に瀕死の仲間がいたら何も出来ないんだもん。私、今まで何やってきたんだろう。学園でも、旅の間も」
少し自分とかぶる思いに胸が苦しくなる。わたしもいつも思うことだから。あんなに勉強して、何度も寝不足になって学園に行って、旅に出てからは何も出来ない自分に気づかされてばかりだ。
「でもね、サラ、ローザちゃんは随分前から学園長のお手伝いなんかしてるから慣れてるんだよ。場数が違うもん。サラもきっとこれからだよ。サラは頭良いし、真面目だし、普段は冷静だもん。すごいヒーラーになるんだろうな。あ、だって同じクラスの時はすごい成績も良かったじゃん。羨ましかったもん」
わたしの「口説き文句かよ」という押しの言葉に、サラは漸く笑顔になる。少しぎこちない物だったけれど。わたしがほっとした時だった。サラの大きな目からぶわっと涙が溢れる。あまりにも一瞬の出来事に仰天した後、ふと思う。
そういえばわたし、サラが泣いてるの初めて見たんだ……。一期生の時の懇談合宿で怖い話をした時も、三期生の終わりの時、進級試験に受かった皆で泣いた時も、サラって皆を慰める役だった気がする。
ぼたぼたと涙が膝に落ちる音を聞いて我に返ったわたしは慌ててサラにハンカチを差し出した。無言で泣き続けるサラを見て「優等生が失敗に弱い、って本当だったんだな」などと考えてしまった。
暫く鼻をすする音の中、サラの落ち着きを待っていると「私ね」とサラは話を始めた。
「すごく、怖かった。怖かったの。アントンが肩を怪我した時も、雨の中デイビスに背負われて帰ってきた時も。怖くて動けなかった」
「うん、わかるよ」
わたしも怖かったもの、と同調しようとすると意外な言葉が返ってくる。
「なんでアントンばっかり、って思った。あんな、私と喧嘩した後でアントンばっかり……。私、心のどこかでアントンの不幸を願ってたのかもしれない、って。そんなわけないって分かってるけど、もし私がそう思っていたからアントンばっかり怪我したのだとしたら、って思ったらすごく怖くて」
ぐしぐしと泣き続けるサラを見ながら、わたしはぼんやりとしてしまった。
なんだ、そんな事考えてたのか……。やっぱりサラは「良い子ちゃん」じゃないか、と思う。そんな脱力感に襲われていると、
「お前にはそんな力があんのかよ」
急にした低い声にびくりとする。のっそりと不機嫌全開の顔で起き上がったアントンは、変な感覚でもするのか腹部を撫でる。そしてわたしとサラの方を向いた。
「すげえ力だな。神様にお祈りすれば思い通りに相手を不幸に出来るのか?あ?最強じゃん、もう何でも出来るじゃん」
そこで床に足を下ろすとサラの顔を覗き込む。
「んなわけねえだろ」
アントンのサラを睨みつける顔にわたしは思わず立ち上がった。
「あ、あ、あんたねえ!」
「お前は黙ってろ、チビ」
復活するなり絶好調の男に「不幸になれ!」と言いたくなる。が、この分だと呪いも跳ね返されそうじゃないか。
「わけ分からなねえ事言ってぐずぐず泣きやがって。嫌いな相手が不幸になったら高笑いするぐらいになればいいじゃねえか……。いいか、お前にそんな力は無え!」
びしりと指を突き出すアントンにサラは立ち上がり、
「わ、分かってるもん!!」
顔を真っ赤にして叫び返した。
再びぎすぎすする二人の空気を前にしながら、わたしは目をぎょろつかせる。
どうしよう、気まずい。よく考えてみれば今、この場でわたしが二人に投げ掛ける言葉が彼らにとって重要な意味を持ってくるかもしれないのだ。
わたしはのしかかるプレッシャーに喉を鳴らす。
「と、とりあえずさあ、お互いに言いたい事を言ってみるっていうのはどうだろう?」
言ってみてからしまった、と思う。これって二人の関係が修復不能なところまで行く可能性秘めた爆弾じゃないか?しかし今更「やっぱ止めよう」というのもおかしいかな、と迷っていると二人は鼻息荒く座りなおした。
アントンが腕を組み、ふーっと息を吐くと口を開く。
「俺が言いたいのはいきなり怒りだしてぶん殴ってくるより、その場その場で不満を言って欲しいってことだ」
「あら、まともな意見じゃない。サラは?」
わたしの司会進行が不満なのか「てめー!このチビ!」などと騒ぐ男は無視する。
「私がアントンに言いたいのは」
そう言ってサラはアントンを睨んだ。
「そういう意見交換も大事だけど、そうとは言えない不満をすぐ言うのを止めて欲しい。もっと皆の輪を考えて、穏やかに行動して欲しいの。喧嘩なんて以ての外よ」
暴力を嫌うプリーストらしい意見だ。わたしも殴り合いの喧嘩なんて二度として欲しくないけど。
アントンの舌打ちに「そういうのも」と厳しいサラ。こりゃあ長引きそう。
お茶でも持って来ようか、と言い掛けた時だった。
「お前さあ、あいつの事好きなんだろ」
アントンの言葉に立ち上がりかけた足が止まる。あいつ、って誰だ?デイビス?イリヤ?いや、話の流れからして……つまり、
「ヘクター?」
わたしがぽろっとこぼす名前にアントンは嫌そうに頷いた。サラが勢いよく立ち上がる。
「な、何言ってくれるのよー!リジアもいるっていうのにー!」
噴火する火山の如く、なサラにわたしは椅子から転げ落ちる。う、嘘でしょ?
「お前が殴ってきたのだってあいつと喧嘩した時じゃねえか。それにお前の言う穏やかで、輪を乱さず、ってあいつのことじゃねえの?」
「そ、そうよ!?彼は優しいし紳士的で、穏やかで静かで素晴らしいじゃない!でもアントンの言う『好き』とは違うわよ!大して話したことも無いのに……」
「何で話さない?」
すうっとアントンの目が細められる。一気に変わった彼の雰囲気にわたし、そしてサラの動きも止まる。静まり返る室内は空気までも硬くなったように感じた。
アントンが面倒くさそうに頭をかく。顔を伏せると息を吐き出した。
「……俺に遠慮してんだろうが」
サラは答えない。否定しないってことは、そういうことだ。
下を向く二人を呆然と眺めてしまったが、わたしは床から漸く起き上がる。
「えっと、要するにサラはアントンが嫌がるからヘクターとかうちのメンバーとあんまり話さないの?」
「……だって怒るじゃない」
そうぶっきらぼうに答えるサラの顔は真っ赤だ。
暫くの間呆気に取られていたわたしは、思い切りの声で扉に向かって叫ぶ。
「バカだー!とてつもないバカがここにいるぞー!!」
「ちょっとリジア!ひどい!」
覆いかぶさってくるサラを椅子に座らせ、わたしは胸を張ると二人を交互に見た。
「あのねえ、わたしが丁寧にも纏めてあげるから、よーく耳かっぽじってお聞きなさい!サラはアントンの事が大事なのよ。大事な仲間なの!だからかもしれないけど、勝手にそれを足枷にして、自分で自由を無くして勝手に息苦しくなってるだけ!それとアンタ!」
わたしに指差されたアントンはびくりとして身を引く。
「気づいてたのに言わないってことは、あんたもそれに胡坐掻いてたんじゃない!……まあ言いたいことをその場その場で言う、っていうのにはわたしも同意だわ。あと、サラの言ってたあんたが『横柄で粗暴で馬鹿』っていうのも同意よ」
「そ、そこまで言われてねえ!」
わたしに突っかかってきたアントンはサラに袖を引かれて、気まずそうに振り返る。眉間に皺を作った彼女が首を振ると、つまらなそうにベッドに倒れこんだ。と思ったらすぐに起き上がり、わたしを見る。
「なあ、勝負しようぜ」
「な、何をよ?」
嫌な予感に反り返っていた胸が勢いを無くしてくる。アントンはにやっと笑った。
「俺がサラを落とすのと、お前が『あいつ』を落とすの、どっちが早いか勝負しようぜ」
「な、何、何を……」
ふがふがとしつつサラを見るが、
「……それで、アントンが優しくなるなら良いよ」
渋々、といったように答えるサラに「よくねえ!」と言いたくなる。
問題を鮮やかに解決した恩人に何を考えてるんだろう。揃ってこちらを見る顔にそう思って睨みつけてしまった。