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ボートを止め、アルフレートの元に戻ると仁王立ちした彼が待っていた。
「遅かったな」
「ごめん、実は予想外の展開だった」
洞窟の話しをしようとしたわたしをアルフレートは手で制してくる。
「……雨が来る。早く引き上げるぞ」
もうそんな時間?と空を見上げるが、青い空が広がっているだけだった。雨の匂いでもするんだろうか。すうっと息を吸い込むと夏の緑濃い匂いを感じる。
すたすたと行ってしまうアルフレートに「放っておかれて拗ねてるんだろうか?」とも考えるが、そんな訳は無い。お腹空いたのかもな、と思いながら荷物を持ち追いかける。
「腹減ったなー」
「口開けばそれね」
デイビスとセリスの会話と皆の持つ荷物のがちゃがちゃいう音を後ろに歩いていると、アルフレートが「しっ」と静止を求めてくる。林の中、虫の羽音と葉の揺れる風の音だけがする。
数秒だったはずだが長く感じた静寂に口を開きかけた時だった。アントンの唸るような声が聞こえる。林の木の影から物音一つ立てずに現れた黒い人影にわたしも息を飲んだ。
真っ黒な装束に身を包んだ男が三人、道を塞ぐように立ちはだかる。ヴェラの小さな悲鳴に後ろを見るとそちらにも三人、目元だけ覗かせた黒い姿がある。囲まれたってことだ。
「トマリを渡せ」
男の一人が言った言葉でようやくカンカレの町での出来事を思い出す。あのクーウェニ族を追っていた集団だったのか。彼らの恐ろしさを垣間見ているわたしはどっと汗が出る。
「は?誰だよ」
アントンの即答に男達は目を合わせる。嘘の無い様子に何かを確認し合ったのかもしれない。
「クーウェニ族の男だ。その女は知っているはずだ」
わたしは指差されたことで動揺するが、なるべく冷静に答える。
「あいつが何処にいるかなんて知らないわよ。大体こっちもトマリって男には迷惑掛けられたから、それであの時は追いかけてたんだから」
再び沈黙が続く。得体の知れないプレッシャー。言葉の選びに間違いは無かったか、ぐるぐる考えてしまう。
「……嘘は無いようだな。もしこの先、トマリを引っ掛けることがあれば我々に引き渡してもらいたい」
とりあえず戦闘の意思は無いらしい。一先ず息つくが、こんなのと関わりあうのはごめんでもある。
「あんた達が何者なのかわかんなかったら渡しようが無いわよ」
身元を聞く為の引っ掛けではない。単純にそう思って出た言葉だ。トマリとも勿論、二度と会いたくも無いし。
「なに、その辺に転がしておいてもらえれば拾いにくるさ」
そう軽口を叩くように言った男の顔は笑みが浮かんでいない。目元しか見えないのもあるが、瞳孔一つ動かない様子に寒気がする。早く、早くこの話し合いを終わらせたい。
「おい、まさかそんな事の為に大事な肩切られたんじゃないよな?」
アントンの野犬の唸りのような声に冷や冷やする。男はほんの一瞬目を細めるだけだ。
「腕の良い護衛がいたことを幸運に思った方がいい」
動かないわたし達に話しを続けていた男が軽く手を上げる。木の葉や枝が散らばる林の中だというのに足音一つ立てない不思議な動きで、全員がその男の元に集まった。
「失礼した。楽しい夏を」
短い挨拶の後、一斉に男達は駆け出す。それをただ見送っていた、つもりだった。
頬を風が撫でたことにはっとする。
「よせ!」
ヘクターの叫び声が耳に響いた。男達の方向へ駆けるアントンの背中に気付き、息を飲む。ダメ、行ってはいけない。
最後尾にいた男が振り返ったところまでしか、わたしの目では追えなかった。アントンがカタナを落として倒れ込む。
「ヴァイスダート」
アルフレートの放つ光の矢を避けるように、再び男は走り出し、消えていった。矢は木の幹に当たり、四散する。
全てがスローにも感じ、断片的に見えた気もする。はっと気がつくと「この馬鹿が!」というデイビスの怒鳴り声と、彼がアントンを抱えている姿があった。
「一先ず横にしろ」
珍しく焦ったようにアルフレートが言い放つ。見る見るうちに地面に広がる血を見てセリスが小さな悲鳴を漏らした。
「あ、アントン、大丈夫なの?」
腹部が真っ赤に染まり、ぴくりとも動かないアントンを見ても現実感が湧かない。でもわたしの声は震えていた。
「ヒーリング」
答える代わりにアルフレートは呪文を唱える。淡い光が集まり、アントンの腹部を照らすと出血は止まったように見えた。だが、
「……これで死ぬことはないだろう。さっさと運ぶぞ」
立ち上がり言った彼の言葉は安心感など与えてくれず、アントンの怪我の酷さを教えてくれただけだった。
昨日より早く降り出した大雨に舌打ちする。もう屋敷は見えてきているというのに。
「もう着くぜ。耐えろよ」
アントンを背負いながら走るデイビスの声。ヴェラが堪え切れなかったように泣き出す。
一足先に戻っていたアルフレートから話しが行ったのか、屋敷の扉からローザとサラが飛び出してきた。意識の無い様子のアントンを見て、二人とも青い顔で立ちすくむ。
先に動いたのはローザだった。
「レザレクション!」
背負われた状態のままのアントンの背中に手を着いて呪文を唱える。かなり高位の治癒魔法が状況を物語っていた。そしてローザは「中へ!」と先導する。
屋敷の中に入るとファムさんが駆けて来る。
「直ぐそこの部屋のベッドへ」
そう言って玄関ホール右手の部屋を指差す。デイビスが言われた部屋に駆け込んでいく。それに続こうとしたローザが振り返り、よろよろと近づくサラの顔を見た。ここからは後ろ姿だったが、どんな顔をしているのか想像がついてしまった。ローザが手を振り上げる。ぱちん!と平手打ちする音がホールに響く。
「何も出来ないならこないで頂戴!……やる気があるなら入ってきて」
そう言い残し部屋に入っていくローザ。叩かれたサラは一瞬、体を硬直させていたが頭を振り、直ぐに部屋に入っていく。その光景に少し安堵の息が漏れる。
「アントンさん大丈夫ですよね。ローザさんがいますもんね」
イルヴァの声に何故か無性に泣きたくなった。
どのくらい立ち尽くしていたのだろう。頭にタオルが降ってきた。投げられた方向を見るとアルフレートが立っている。
「拭け。そんな顔してても、どうせこっちは何も出来ないんだ」
わたしは黙って頷く。サンダルの足が泥だらけな事と足首が痛む事に、今ようやく気がついた。
「もう安心していいってよ」
食堂の椅子に腰掛けながらデイビスが深い深い息をついた。お昼を食べ損ねたわたし達の夕飯の献立にはスープだとか体の温まるものが多い。ファムさん達が気を使ってくれたのだと思う。
「アルフレートの呪文がなかったらやばかった、ってさ。ローザにも……。あの馬鹿の為に世話になりっ放しだな」
そう苦笑するデイビスの言葉は乱暴だが、顔は疲労いっぱいという感じだ。他の皆も当たり前だが元気が無い。先ほど屋敷の中からふらりと現れたフロロが口を開く。
「一回心臓止まってたっぽいってよ。あと神経性の毒がどーたらで、今晩はローザとサラで寝ずに様子診るってさ」
ヴェラがぶっ!とスープを吹いた。確かに軽い口調で話す内容とは思えない。
「あの世から舞い戻った男、って呼んであげたら喜ぶんじゃない?かっこいいじゃん」
セリスのからかう調子の声も普段より覇気がない。イリヤが「はは……」と乾いた笑いを響かせた。
そこからは皆、無言で食事を取る。でも、考えていることは一緒なのだと思う。
『これからどうするの?』
そんな思いを感じた。でも誰も何も言わない。フロロにヴォイチェフの話しを聞こうと思ったが、それも躊躇してしまう。聞いて意味があるのだろうか、そんな風に考えてしまうのだ。
そもそもあの男達がトマリの事を尋ねてきたのは、カンカレの町でわたしが余計な行動を取ったからじゃないのか。
デイビス達だって気になっているはず。でも彼らは質問してこなかった。『あいつらは何者?』なんて聞かれても答えられないのだけど。
『どうにかする為に行動を起こす』には力が足りない。初めて味わう苦い思いだった。
ふと玄関ホールの方が騒がしくなっているのに気がつく。スープ皿から顔を上げるとヘクターと目が合う。気のせいじゃないようだ。
「またあいつらじゃないよな」
デイビスの言葉に緊張が走る。顔を見合わせた後、食堂の扉を開け、皆して廊下をそろそろと歩く。角から玄関ホールを覗き見るとオグリさんが玄関口に立つ何者かと話しをしている。腰が大きく曲がり、フードを深く被る男はジプシーのように見えた。
「哀れな旅の者に慈悲の手を……」
「そう言われても部屋が無いんだ。それにさっきも言ったように怪我人がいて……」
そんな会話が聞こえてくる。
「トマリじゃんよ」
フロロの呟きに全員が固まる。
「え……あれが?」
弱弱しい声を絞り出す男は体も小さく見えて、思わず疑問を口にするが一瞬だけフードからちらりと見えた肌の色に硬直する。
「お前かあああ!」
デイビスの怒声に身を竦める。走る勢いそのままにトマリに飛び蹴りを食らわすデイビス。
「ぬえ!?」
奇妙な叫び声を上げながらクーウェニ族の男の体は面白いように表へ飛んでいった。