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テラスから中に入るとヘクターがわたしの顔を見た。
「冷えたからあったかい飲み物でも貰いに行かない?」
そう言って厨房の方向を指差す彼にわたしは頷いた。
「長々とごめんね」
という謝罪の言葉には首を振る。
「やだなあ、もっと長い話でも良いのに……」
などと言い掛けた時、廊下の先にいる二人組みが目に入る。窓にへばりついて表を覗き見ているのはローザとフロロだった。
「何やってんの?」
わたしが後ろから声を掛けると、二人揃って「しー!!」と立てた人差し指を口にはっ付ける。何だよ、と思い二人の後ろから窓の外に目を移すと、わたし達が話していたテラスとは違う位置の少し小さめのテラスに、アントンとセリスがいるではないか。
セリスの頭が時々動く。アントンの言葉に頷いているようだった。珍しく落ち着いた様子で話すアントンと、それを聞いてあげているといった様子のセリスは確かに良い雰囲気、と言えなくもない。
暫くするとアントンの手がセリスの肩に伸び、顔を近づけていくのがわかった。
「わ、わお」
フロロが身を乗り出した瞬間、ばちーん!!と豪快な音がここまで聞こえてくる。ずるりとベンチから落ちるアントンに、それを足蹴にするセリス。
「調子に乗るな!」
赤毛の魔女の怒声に、ヘクターがびくっとなっていた。
「イケると思ったんだよ」
応接室のソファーに座り、ふてくされた顔でコーヒーを飲むアントンの頬を、渋々といった様子で治療してやっているのはローザ。
「馬鹿につける薬にする為にも、治さないでいた方が良いんじゃないの?」
ぶつくさ言うローザにアントンは、
「お、俺だってオカマに頬に手当てられたりしたくねえよ!」
と言い返す。ある意味何も様子の変わらないアントンに微妙な安心感を覚える。そんなアントンの頬にもう一度セリスの鉄拳が入り、倒れたところを足で押さえつけられていた。
「馬鹿につける薬は無い、って上手いこと言うわよねええええ!あんた見てるとホントそう思うわ!」
ぐりぐりとアントンの頬を踏みつけるセリスの目は完全に据わっている。思わず身を縮めるわたし、ヘクター、フロロ。
サラもこのくらい感情を表に出すことが出来れば、きっと拗れなかったに違いない。
「他の皆は?」
わたしが小声で尋ねるとフロロは上を指差した。
「もう部屋戻った。イリヤは『サラの様子見てくる』って言ってたけど」
アントンの肩がぴくりと動く。その様子に気付いたのかいないのか、ローザがぱんぱんと手を叩いた。
「さ!あたし達も休むわよ。その前に、仲直りして」
そう言ってアントンの背中を押す。
「『殴ったこと』を謝りなさい」
ローザの上手い言い方に感心する。アントンはふて腐れた顔のままだったものの、
「『殴って』悪かったな」
と胸を張る。絶対思ってないだろ、という突っ込みは今は不粋に違いない。
ヘクターも「いや」と言って苦笑する。悪い空気はとりあえず断たれた、と言っていいようだった。
「なある程ねえ……、親に関する因縁だったって事か。そうなるとやっぱり、アントンの事は責めにくいわね」
化粧水をパタパタと顔に付けながらローザが感想を漏らす。
ローザに割り当てられた部屋は机にレースが乗っていたりと既に『ローザ仕様』になっていた。わたしはベッドに仰向けになりながら、枕元にあったポプリを手に取る。
「やっぱりそう思う?わたしもさ、百パーセントヘクターは悪くないって言えるけど、アントンも可哀相だな、って初めて思ったんだよね……」
わたしの言葉にうんうん、と頷いていたローザが振り返る。
「……親に関することだとさ、冷静に成り切れなかったり、考える前に体が動いちゃったりするものよね」
そして「動けなくなる、って場合もあるわね」と付け加えた。アントンに『呪縛』という言葉が浮かんだのはわたしもだ。
「話し聞いた様子だと、アントンのお母さんから相当言われたっぽいわよね、ヘクター」
ローザは乳液を染み込ませるように顔を手の平で覆いながら、眉間に皺を作る。
「ヘクターは『話しを聞いた』しか言わなかったけどね。まあ、ああいう人だから」
わたしはゆっくり答えると、枕に顔を埋める。ローザが毛布を掛けてくる。自分も毛布に入り込みながら笑顔を向けてきた。
「ま、サラの事はあたしに任せてよ。明日、皆が湖に行ってる間に話しするから」
「……今日は何してたの?」
「そ、それは言いっこ無しよ」
ほほほ、と笑うとランプを消す。真っ暗になると急に眠気が襲ってきた。明日、皆笑って過ごせるかな、なんて考えながら眠りのまどろみに落ちていった。
「ふうん……」
ローザの寝言が耳元でした。わたしは少し夢から引き戻される。が、直ぐに眠りに落ちていく。しかしばたばたと騒がしい音が聞こえた気がして、また目が覚めていった。
薄目から見る静かな様子の室内に、気のせいか、と眠る体勢に戻った時だった。ガラスの割れるけたたましい音に跳ね起きる。
「な、何!?」
ローザが悲鳴のような声を上げた。他の部屋のドアが次々に開く音。仲間と思しき話し声もし始める。わたしとローザは顔を見合わせると、廊下へ飛び出した。
寝る前の出来事のせいか、また喧嘩?なんて事を考えてしまう。でもさっきのガラスの割れる音はそんな生易しいものじゃなかった。廊下に出るとすぐ、騒ぎの方向が分かる。皆集まり出していたからだ。
廊下の突き当たりにある窓が派手に割れている。その前に膝をついているアントンの様子に息を飲んでしまった。肩から酷く血が流れている。ぼたぼたと音を立て、赤い染みが広がる早さに傷の深さが現れていた。
「ち、ちょっと……」
駆け寄ろうとしたローザに後ろから止めが入る。
「私がやるわ」
淡々と言ったのはサラだった。素早い詠唱と複雑な印を組み合わせると、サラは血まみれのアントンの肩に躊躇なく手を当てる。アントンは一瞬呻くが、直ぐに安堵の表情に変わっていった。
「何があった?」
廊下を見渡し言ったのはアルフレート。彼が見るのはアントン、ヴォイチェフ、フロロの三人。アルフレートより先に廊下にいたのがこの三人って事か。フロロが手を挙げる。
「俺は廊下が騒がしくなったんで飛び出してきたんだよ。黒ずくめの何かが二人いて、俺がきた時はそいつらが窓から逃げるところだった。アントンは既にこんな状態だったな。正直、俺より二人も早く出て来てるなんて驚いたね」
フロロが言うのは自分の察知能力には絶対的な自信がある、ということだろう。事実、いつも危険にいち早く気付くのは彼だった。今も侵入者が逃げる前に廊下に来ていたということは、あのガラスの割れる音の前に気付いていたということだ。
じゃあアントン達は?という皆の視線に気が付いたのか、彼は不愉快そうに舌打ちした。
「俺は便所に行こうとしただけだ」
アントンがそう吐き捨てる。顔色も大分良くなっていた。
「あっしも騒がしくなったんで出て来たんでさ。あっしの部屋の目の前なもんで、早かったんでしょうな」
にやりとヴォイチェフが笑う。アントンがその彼を指差した。
「このオッサンが追い払ったんだよ。あいつら暗がりにいきなり切り付けてきやがった」
ヴォイチェフが?と驚くが、あの肉体を見るにやり手だったのかもしれない。
「全員いるよな?」
デイビスが一人一人を指差していく。
「ファムさん達は……?」
わたしが一階に寝ているはずの三人を口にすると、階段からばたばたと三人がやって来た。クララさんが廊下の惨状を見て悲鳴を上げる。
「あ、大丈夫です。怪我人の治療もしてます」
とわたしが言うと三人共、大きく息を吐いた。
アルフレートが割れたガラス窓を確認する。
「侵入もここからだったみたいだな」
アルフレートは暫く目を色々な場所に動かしたりしていたが、
「一晩に二度も襲ってきたりはしないさ。今は寝ておくんだな」
そう言って部屋へ戻ろうとする。
「おい、そんなんでいいのかよ!?何が目的の奴らだったんだよ」
アントンが塞がった傷を撫でながら反論すると、アルフレートは鼻で笑う。
「お前が目的だったんじゃないか?襲われたのはお前だ」
「な、何でだよ!」
顔を赤くするアントンに同情してしまう。アルフレートの煽りは性質が悪い。もしアントンだけに個人的な何かがあったとしても、こんな所で襲われるのも変な話しだ。
「見回りにでも行くか?」
デイビスが困惑顔で提案するがヴォイチェフが首を振る。
「暗がりの馴れない場所でうろついても、相手に良い襲撃のチャンスが増えるだけでしょうな」
「私が明日、朝一で城に報告に参ります」
オグリさんも動揺いっぱいの顔だが、そう言って手を挙げた。
そうなると他にどうすれば、というのも浮かばない。他の皆も納得いかない顔だったが、何か出来る訳でもない、という様子で押し黙る。
「まとまって休まないか?」
ヘクターが男女別に二部屋にまとまるよう言うとヴェラが安堵の息を吐いた。不安だったのだろう。
ばらばらに動き出す中、
「イルヴァ」
ヘクターがイルヴァに鞘に入ったロングソードを投げる。
「俺のサブだけど、ハンマーよりは振り回しやすいだろ」
「ありがとうごさいますう。イルヴァ、ソード下手クソですけどねー」
半分寝ているような顔でイルヴァは受け取ったソードを振り回す。花瓶ががしゃんと割れた。……不安だ。
アルフレートがわたしの前を通り過ぎる瞬間、素早くフロロに耳打ちしていく声が聞こえる。
「ヴォイチェフを見張れ」
フロロは露骨に顔を歪めた。