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「えっと、それどういう……」
いきなり規模のでかい話しになり、わたしは戸惑ってしまう。ファムさんは昨日と同じように廊下の様子を確かめに行き、扉をしっかりと閉めて戻ってきた。
「考えてもみて下さい。もし国王だった場合、何故リジア様達を敵対視するのでしょう?」
「・・・・・・明らかにラグディスでの件が関わってくるわね」
とは言っても「感謝する」と言った国王の瞳は本心だったと思う。レオンの事は感謝してるけど、これ以上は何もするなって言いたいのかしら。でもそれでイリヤがショックで倒れるような感情をぶつけてくるのは納得いかないけど。そういう感情って何だろう。憎悪?
わたしの顔をじっと見るファムさんに、ふと思い出す事があった。
「そういえばレオンが城から消えた事件は『黒幕がいたんじゃないか』って噂があるって言ってたわよね」
「とりあえず根も葉もない噂、と言っておきます」
「根拠は無いってことね」
わたしは指で頬を叩きながら唸る。
もしその『黒幕』とやらが国王だとしたら。これはラグディスでの会談の時にブルーノに全否定されたけどね。もし、そうだと仮定するならば、理由は一先ず置いておくとしてもレオンを故意に連れ去られるよう手を回したのが王ということだ。その事実を突き止められては困るのでわたし達を敬遠したい、ってところかな。
「確かに黒幕が王自身、っていうのは洒落になんない事態かもねー。だってレオンを連れ去ったのはサイヴァ教団だったんだし・・・・・・」
わたしはそこまで言ってからファムさんの言いたい事が漸く飲み込める。
「さ、サイヴァ、邪神!……王弟!こ、国王!」
あわわ、とするわたしの口をファムさんは「しー!」と押さえてきた。彼女の白い手の隙間からわたしの「ふがあ」という間抜けな声が漏れる。
「今言った話しの起点がそもそも仮定であることをお忘れなく」
「そ、そうだったわね」
わたしは落ち着くように紅茶をがぶ飲みする。いつの間にか温くなっていたそれは乾いた喉を潤すには調度いい。
これは仮定、仮定の話しよ。と自分で納得させる。王弟の事件を聞いた時、真っ先に思ったのが『神託とはフローからではなく、混沌を推奨するサイヴァからだったのでは?』というものだ。これはわたしだけの感想ではなく、事件の概要を知った――国民もそういう思いを持った人が多かったんじゃないだろうか。
これはローザちゃんから前に聞いた話しだが、特定の神を信仰する人間は邪神信仰者に対して嫌悪はもちろんだが『悪魔に魅入られた哀れな者』という見方が多いのだという。言ってみれば被害者、という意味合いが強いのだ。こういう雰囲気が土台にあるからこそ、王弟の事件は国民に知れ渡った後、そのまま風化していったんじゃないだろうか。
「でも現国王までサイヴァ教団と関わりを持ってた、なんてことがもしあったら・・・・・・」
思わず口に出していた疑問にファムさんはゆっくり頷く。そして今までよりも更に小声になって話し出す。
「混乱、どころの騒ぎでは済まないでしょうね。それに今の気風では現王室を引きずり降ろすだけで終わらずに王制自体の瓦解じゃないでしょうか」
暫し言葉を失うと同時に、眠気眼で聞いていたアルフレートの話しを思い出していた。
「その・・・・・・ファムさんはどう思うの?サントリナの人間として」
「私ですか?私は困りますよ、もちろん。職場を失うわけですし」
そっちかよ、と思いきや彼女は言葉を続ける。
「サントリナの一国民としても困りますね。私は生まれもサントリナです。歴史ある王家がいなくなる事への疑問、罪悪感、虚無感、なんてものも当然ありますし。……でもね、歴史を作るのはやっぱり人間なんです。国民が選ぶ道ならそれもまた歴史の一ページなんじゃないでしょうか」
無表情にも見える顔で淡々と語る彼女はやっぱりわたしの好きなタイプの人間だな、と思う。
「……と語ってしまいましたが、あくまでも例え話ですから」
「そ、そうよね!例え話だし、王様のことだって本当には疑ってもいないしー!」
おほほー!と乾いた笑いで暗い雰囲気を吹き飛ばしてみたものの、今までにない奇妙なプレッシャーで胸が苦しくなってきてしまった。沈黙が続いたからか、
「お休みになりますか?」
ファムさんがトレーに茶器を片付け始める。
「あ、ちょっとセリスに頼まれてたやつ渡してからにするわ。ファムさんはもう休んでいいよ」
「私はまだまだ仕事が残っていますから」
そうか、彼女の仕事はわたしの身の回りのお世話だけじゃないものね。見当違いな気遣いばっかりしちゃうな、と思ったのだがテーブルを片付けるファムさんは少し嬉しそうに見えた。
セリスの部屋に向かうことにしたわたしはファムさんと一緒に部屋を出る。
「セリスの部屋ってこっちでいいんだよね?」
ぽんぽん、と等間隔に明かりの灯る廊下をわたしは指差す。
「セリス・ミュラー様ですよね?その曲がり角の一個目の部屋です」
お礼を言って歩き出そうとした時だった。ローラスよりも大きめの窓に目が移ってしまう。表の景色は真っ暗な中に隣りの建物の窓からの明かりが浮き上がっていて、その一つ一つが絵画の額縁のように見えた。
その中の一つ、同じ階だと思われる高さにいる人物に目が留まる。王妃だ。お腹を抱えて笑う姿は本当に気取りがない。談笑の相手は影になって見えないけど、侍女相手でもあの王妃様なら屈託なく笑いそうだな、と思う。
「本当、王妃様って普通の人みたいだね」
ちょっと失礼な言い方かな?と思いながら聞くがファムさんは頷いた。
「誰に対しても飾らない方ですよ」
そう答えながら立ち去ろうとするファムさんに「おやすみ」と声を掛け、わたしはセリスの部屋の扉をノックした。
少しの間を置いてから扉が開き、ぱっと顔を出したのはセリス本人だ。わたしは預かっていた銀のバングルを顔の前に出した。
「はい、これ。出来たよー」
「ありがとー!入って」
促されるまま部屋に入ったわたしはセリスの姿を見て目が丸くなる。
「すごい格好ね」
「だって暑いんだもん」
太ももが丸見えの短パンに今日買ってきた水着のビキニ、という格好でセリスは手で顔を扇いだ。女同士でも長い足に見とれてしまう。いや、自分が短いからとかじゃないからね。
ベッドに座るセリスに釣られて中に入ると、テーブルに乗った小瓶が目に入った。
「これ何?」
「サラが作ったポーションだって。滋養強壮とか言ってたけど、怖いから飲んでない」
自分の不調を心配してくれてるんだから飲みなさいよ、と思う。
「サラ、どうするんだろうね」
自然と口にしていたわたしの言葉に、セリスはバングルを腕に通しながら眉間に皺を寄せる。
「なるようになるしかないんじゃない?人を変えることなんて出来ないもん。嫌だと思うなら自分が変わるしかないでしょ」
「・・・・・・その『変わる』はサラがアントンを好きになるって意味?それともサラがパーティーを抜けるって意味?」
わたしが言うとセリスの手が止まる。そしてわたしの顔を見てにやっと笑った。
「どっちが良いと思う?」
「そんなのセリス達が判断しなさいよ。外野が言う方が無粋じゃない」
わたしはそう答えながらテーブルから椅子を引き出し、座り込む。セリスは仰向けに寝転がってしばらく「むー」などと唸っていたが、
「私達さあ」
と話し出した。
「こんな時期に揉めてる時点で分かるだろうけど、続かないだろうね」
『私達』とはデイビス達パーティーの事か。セリスのあくまでぼんやりとした口調にわたしは「そんなことないよ」と口篭る。
「正直、ちょっと期待してたのよ、今回の旅。あんた達見てたら参考になったりするのかなって」
「参考にはならないでしょうねえ」
「そうね」
セリスの即答にも怒る気にはなれない。だって人間じゃないの二人にオカマにイルヴァだもん。参考にする要素ないじゃない。
セリスはむくりと起き上がった。
「実は今回が初めてじゃないんだ。前からアントンがサラに切れたり、イリヤがアントンに切れたり、アントンがヴェラに切れたり、ってアントン切れてばっかね」
セリスは自分で「あはは!」と笑う。そしてふう、と息をついた。
「私さあ、結構我関せずを貫ける方だし、人見ててイライラすることもあんまり無いんだけど、やっぱり仲間が揉めてるの見ると嫌な気分になるじゃない」
その言葉にいつも天真爛漫なセリスが浮かぶ。人をからかうのが好きでムカつくことも多いけど、確かにセリス自身が怒ってるのってあんまり見ないな。でも今の彼女の言葉で気がついたことがある。きっと、ちっちゃい傷がいっぱいある状態なんだ。不調もそこからきてるんじゃないだろうか。
廊下を城の働き手らしき人の足音と声が通り過ぎていく。自然と二人ともそちらに注目し、少しの間無言になった。
「……ねえ、今日この部屋で寝ていい?」
わたしが尋ねるとセリスが目を大きく見開いた。
「いいけど、何、もしかして怖いの?」
「うん、部屋が広すぎるんだもの」
わたしがそう答えると「しょうがないわねー」と言いながらセリスはけたけたと笑った。
「デイビスってさ、見てるようで見てないのよね」
広いベッドの上でごろごろとしながらセリスは言った。わたしは枕を整えながら頷く。
「何か分かるわね、それ。でも普段は頼りになるんだから良いじゃない。うちのイルヴァなんてメンバーの事、何も見てないんじゃないかな」
イルヴァと比べるのもどうかと思うが、セリスはとりあえず、といった様子で「そうねえ」と答える。
「でもサラの事だって全然気づいてないと思うわよ、デイビス。サラはサラで頭固いっていうか……、メンバーの事『分かり合えない』って思い込んでると思う」
「セリスとは仲良さそうだけど」
わたしは寝る体勢が整うとセリスの横にごろりと転がった。
「私とは魔術師クラスで一緒だったから『同士』って意識が強いみたい。他は駄目ね。ほら、リジアにだってローザちゃんにだって懐いてるのに、他は駄目っぽいじゃない」
確かに言われてみたら、他のメンバーとは話してるの見てないなあ。人見知りとはちょっと違うから気づかなかった。
「アントンはデイビスの真逆ね。あいつ、あんなので以外と繊細だから、サラのそういう所も気づいてるのよ。それで余計にイライラするんだと思う」
「あー、なるほど……」
わたしはそこでアルフレートが言っていたサラとアントンの『同属嫌悪』という話しを思い出す。それをセリスに言うとお腹を抱えて笑い出した。
「分かる!すごーい分かるわ、それ!さすがアルフレートね。エルフさんはやっぱり鋭いわ」
セリスはひとしきり笑い終わると涙を拭いながら寝返りを打つ。セリスの赤い髪がわたしの金髪に絡んでくる様子が綺麗だな、と思ってしまった。
「他はねえ、イリヤはイリヤで心が読めるくせに鈍感じゃない?ヴェラは、まあ、ヴェラだし」
セリスのこの二人の評価は否定出来ない。末っ子二人、という雰囲気が濃いのがこの二人だ。
木々のざわつく音に顔を上げた。窓から見える月が流れる雲を映し出している。風でカーテンが揺れている。この涼しい風のお陰で何とか眠れそうだ。
「こっちの話しばっかりじゃない。リジア達はどうなの?」
セリスが顔を覗き込んできた。どう、って言われても答えにくいな。仲が良いのか悪いのか、言い争いは多いけど深刻な喧嘩は無いし……。パーティーへの依存度が低い『自由人』が多いのか?
わたしは自分の仲間の顔を思い出しながら考える。
「ローザちゃん程みんなに献身的な人もいないから、ローザちゃんをうざいなんて思おうもんならバチ当たりそうだし……。イルヴァは『こういう子だから』で怒る気になれないんだよねー」
「その二人、何気に仲良いわよね」
そうなのだ。人のお世話に生きがいを感じるローザと人にお世話になること前提で生きてるイルヴァ。気が合うかどうかは別として、ぴったりくる組み合わせではある。
「あと……、アルフレートとフロロは何だかんだ言って、こっちがお世話になってる感が強いからねえ……。べったりもしてないけど最後まで一緒にいてくれそうな感じがするのもこの二人かな」
わたしが答え終わるとセリスの「ふうん」という声を最後に部屋が無言に包まれる。暫く自分の爪を見ていたセリスが、がばっと上半身を起こした。
「終わり?肝心な人の話し出てないじゃない。あんたもしつこく逃げ回るわね~」
「に、逃げ……?ヘクターの事だったら、ふ、不満なんてあるわけないじゃない。あんなにいい人なのに」
わたしはそう返しながら身を引く。そこへセリスが手揉みしながら寄って来た。
「『仲間』としては、ね。うん、それはもう分かったから、次のステップの話ししましょうか」
にこにこと顔を寄せてくるセリスにうろたえるわたし。端から見るとどう見えるんだろうか。黙るわたしに痺れを切らしたのかセリスは口を尖らせる。
「もう!言いたくないなら私が思ったこと言うわ。私の予想だとヘクターはね、気付いてるわよ」
「気、付いてる、って何に?」
思わず食いつくわたしにセリスはにやーっと笑った。
「……内緒、教えてあげなーい」
いきなり発動するセリスのサディスティックさにぐっと詰まる。ムカムカとしつつも気になってしょうがない。セリスが笑う振動でベッドが揺れる。それが収まるとぽつりと呟きが漏れた。
「……アントンの事が関係してるのかしらね」
「え?」
わたしは聞き返すがセリスは答えない。カーテンを大きく揺らす風が首筋を冷やす。
「寝よっか」
セリスはそう言ってタオルケットに包まる。正直、もう一度問い返したいが、こっちもあまり突っ込まれたくない。わたしは頷いてから枕にぼすん、と顔を押し付けた。