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「ローラスとサントリナの関係が良好なのは近年に限った話しじゃない。何処も領土争いで国境がしょっちゅう変わるような時代から、この二つの国は仲が良いんだな」
揺れる馬車内、窓からの風を受けながらアルフレートの授業は続く。
「ほー」
「国土、人口、経済を比べても差は歴然だ。時代時代の指導者によってはローラスの属国になっていてもおかしくはないサントリナが、何故こんなにも長い間対等な関係でいられたのか。その理由を示すエピソードは多いが、一番最近のだとローラスの革命後の混乱期の話しだな」
「ふむう……」
わたしは重たくなってきた瞼をこじ開けながら話しを聞く。
「無法地帯と化した都市は確かに多かったが、それでも世界的に見ればローラスは大国のままだった。周辺国はてぐすね引いたまま見ていた状況だ。ローラス側から見ればもし、周辺国が攻めてくるようなことがあれば、やられることは無くともただでは済まない。そんな時にサントリナがやったのはローラスに大量の食糧を流すことだった」
「ふぃ……」
「『食糧』、それがあの混乱期に一番不足していたことをサントリナ側は分かっていたんだ。そして食糧こそがローラスとサントリナを比べて後者が圧倒的に優っている点だ。土地が肥沃なのは両国共に恵まれた点だが、広大な海域に発展した港、古来から続く畜産の知識がサントリナにはある。ローラスの人間は感謝と共にそれを再確認させられたわけだな。それにローラスが共和制に移って一番『明日は我が身』と思っていたのはサントリナのはずなんだ。何処の国も共和制への波が広がるのを恐れていたのは間違いないがね。じゃあなぜサントリナが………」
アルフレートの言葉が止まったのには気が付いたが、わたしは抑えられない眠気に負けて夢の中へと落ちていくところだった。のだが、額に突然の強い衝撃を受けて一気に覚醒する。
「……いったいわね~!何すんのよ!」
前を見ると手をチョップの形にしたアルフレートがわたしを睨んでいた。隣りではヘクターがぎょっとした顔で固まっている。
「何すんのよ、だと?貴様が『退屈だから何か話して』っていうから話してやったのに」
アルフレートのわたしを睨む顔がどんどん険しくなる。でも殴ることないと思うんだけど。寝たら寝たで優しく毛布掛けるくらいの心の広さがないとね。
「だって授業でも無いのに堅苦しい話しばっかりなんだもん」
「なんだ?じゃあ私に好きなファッションやら恋の話しでもしろ、ってか?」
アルフレートは「けっ」と吐き捨てた後、ふと隣りに座るヘクターを見てにやりと笑う。嫌な予感にわたしが引いていると、
「恋、それは素晴らしい響き。さあ、このメンバーで『恋バナ』とやらでもしてみようか。我々の年代らしい青春の話題だ」
アルフレートは芝居かかった大袈裟な身振りを入れて話すと、うっとりとした顔を作る。
「ききき気持ち悪いこと言わないでよ!」
わたしが一際大きな声を上げると、横で寝息をかいていたはずのアントンがむくりと起き上がった。
「うるせーなあ。二人とも血圧高すぎじゃねえの?」
『お前に言われたくない』とわたしとアルフレートが言い放った時だった。
馬車前方の小窓からこんこん、と音がしてフロロが顔を出す。
「見えてきたぜー、セントサントリナ。意外と早かったな」
それを聞いてわたしは窓から顔を出す。馬の走る先に光の粒が幾つも浮かんでいた。紫色の空の下、一際大きな建物のシルエットが見える。あれが王城なのだろうか。
「着いたわねー」
ローザが腰を伸ばす仕種を見せる。他の皆も肩を回したりして思い思いのほっとする行動を取っている。わたしは町を囲む外壁へと目を向けた。
長い年月を感じさせるような灰色の曇った色に見えるが、心なしか青みを帯びているように見える。紋章といいサントリナの王室の色は青系なのかもしれない。開きっぱなしになっている町の門は古い時代の凱旋門なのか、植物を象った装飾が綺麗だ。色をつければ花のアーチにも見えるかもしれない。ここを歴代の将軍達が歓声を浴びながら通ったりしたのかもしれない。
奥に待っている町の風景を見ても、古い建物がそのまま残っているところが多いのが分かる。初めての来訪が暗い時間になってしまって残念だと思っていたが、ぽんぽんと浮かぶ明かりに照らされる幻想的な光景を見るとかえってこの時間で良かったかもしれない。
夜といってもまだ早い時間だからか喧騒は多いが、わたしのこの町の印象は『静か』だった。
「本当にカンカレの町とは全然違うんだねー」
わたしのぽろりと出た呟きに、
「でしょう?」
とヘクターは笑って答えた。故郷を前に少し誇らしげな彼に、早く町を案内して欲しいな、と思った。
「で、どうするの?」
セリスが何故か胸を張りながら問いかけると、皆固まる。
町に到着したんで何となく全員が馬車から降りて伸びなんてしてるけど、これからどうするんだろう。お城に行ってみるのかどうするのかは結局決めてないし。
デイビスが腕組み「うーん」と唸る。そして、
「とりあえず中入ろうぜ」
「要するに決まらなかったってことだな」
ヘクターに肩車されたフロロが突っ込むとデイビスは頭をかいた。
確かにここで唸っていてもしょうがない。さて行きますか、という雰囲気の中、わたしの背中に何かが当たる。
「リジア・ファウラーだな?」
耳元に聞こえる低音に体温が一気に下がった気分になった。頷くべきか、そのままでいるべきか、頷いたら背中に当たる刃物らしきものでぶっすりやられちゃうのか。じゃあ黙っているべきか……。というか相手は何処の誰なのか。脂汗を背中に滲ませつつ頭の中で考えていると、
「うおあ!」
後ろから汚い悲鳴が上がる。急いで振り向くとヘクターがずんぐりとした小男を組み伏せている。首にロングソードを当てられた男は目をひん剥いて動きを止めていた。
「何者だ」
静かに尋ねるヘクターは頭にフロロが乗っていなかったら、とてつもなく格好良かったに違いない。騒ぎに気が付いた他のメンバーも集まってくる。
「お、落ち着いてくれよ、旦那」
「ナイフを捨てろ」
焦ったように引き攣った笑顔を浮かべる男を睨みつけ、ヘクターは静かに言い捨てる。顔をよく見るが全く知らない相手だ。何故この中でわたしを狙ったのか、何故名前を知っているのか、そんな疑問を男に尋ねようとするが、
「な、ナイフじゃないんだ」
そう言って男が放り投げた物が地面に転がる。
「ペンかよ」
フロロが言う通り、道に転がったのは綺麗な青い万年筆だった。呆気に取られる三人。
「ちょ、ちょっと紛らわしいことしないでよ!というか何者!?」
わたしが怒鳴るとセリスが顔を出す。
「何?尋問だったら手伝おうか?」
ヘクターは首を振ると男を立ち上がらせる。思ったよりもキチンとした身なりだ。顔は夜盗でもやってそうな目付きの悪いカエル顔だが、真っ白なローブに白いベレー帽を着こなす姿は何とも似合っていない。男は額に汗を浮かべたままヘクターのロングソードを横目で見るが、わたしに口を開く。
「リジア・ファウラーだな?」
「……あんたは何者?」
問いかけに答えずにわたしが返すと男はにやりと笑う。
「サントリナ王室からの使いだ。あんた達を迎えにきた」
男が舐めるような上目遣いで言い終わると、長い沈黙が辺りを覆う。
『はあ?』
全員が息を合わせたように言うも、男は満足そうに手を擦り合わせるだけだ。
王室からの使いって、こんな見るからに怪しい小男が?しかもあんな接近の仕方してきて、信用するとでも思っているんだろうか。
「……紋章は本物だな」
男の帽子に付いた刺繍を見てアルフレートが呟く。ソードに絡み付く竜、確かにサントリナ王室の紋章だ。こんな城の目と鼻の先で身分詐称とは思えない。でもこいつを信用することはダッカー海峡を泳いで渡るより難しい。眉間の皺が深くなりすぎて固まってきた時、
「ホールドウィップ!」
セリスの呪文によって彼女の手から伸びた魔法のロープが、男の体をぐるりと巻いた。
「……とりあえずこれで案内して貰いましょう。変な動きしたら、分かってるわね」
彼女の蛇のような笑みを見ると男は、
「へへ、わかってまさあ、姐さん」
どう聞いても悪党としか思えない返事を返したのだった。
「確かに王城に向かってるな」
男――ヴォイチェフと名乗った自称王室の者の後ろにぴったり付きながら歩くヘクターが呟いた。ということは本物の案内という可能性が高まってきたわけだ。
「……なんであんな怪しいことしたのよ」
わたしが聞くと男は「へっへ」と悪そうな笑みを浮かべる。
「自分の趣味でさあね」
それを聞き、自らの術で男を拘束しているため隣を歩くセリスが薄気味悪いものを見るかのように男に目をやった後、露骨に身を引いていた。
「でも何でわたしだったのよ」
ぶーたれながら腕を組むわたし。その疑問に答えたのはアントンだった。
「ぼーっとしてるからだろ」
「して……るかしら」
むっとするものの否定は出来ない。確かにあの時、早くも意識が街中に飛んでいた気がしないでもない。
「お得意の妄想の世界に入ってたんだろ」
アントンはそう言うと馬鹿笑いを響かせた。全くアルフレートも余計なこと言ってくれたものだ。
ちょん、と肩を突かれる。ヘクターが前を指差している。
「見えてきたよ」
そう言われた通り、目の前に空色の城が見えてきた。形がどことなくラグディスのフロー神殿に似ている。エミール王子やサントリナ王室の者が住むセントサントリナ城だ。