大人はなんでも知っている
「いよう兄弟、この町は初めてかい?」
おっさん――ギルドマスターは陽気な声で尋ねるが目は笑っていない。こちらも真っ直ぐ視線を合わせてくることは無いが、明らかにわたしとヴェラの方まで注意を払っている様子だ。
「まあね、魚が美味いなんて猫には良い町だよ」
カウンター前の椅子によじ登りながらそう言うフロロに『あんた魚食べてないじゃん』と言いたくなるが止めておく。軽口言える雰囲気じゃない。
「挨拶周りってやつかい、ご苦労さん」
マスターは磨いていたグラスをフロロの前に置いた。フロロは軽く頷く。
「そゆこと、この二人は俺の学友。こっちが同じパーティーの仲間。ソーサラーだぜ」
「学友ってことは『学園』に通ってんのか。物好きだね。ソーサラーの知り合いは大事にしろよ。……魔術師ギルドとは折り合い悪くてなあ。なんかあったら頼むよ」
そう言ってにやっと笑うマスター。急に顔を向けられて飛び上がるが、社交辞令ってやつだろうと解釈する。フロロは続けてヴェラを指差し「俺の弟子」と説明した。ヴェラも元気よく「はい!」と言うということはフロロの冗談では無いらしい。
「そんでさ、ちょっと聞きたいんだけど今日、東の路地裏の方で騒ぎあったの知ってる?アサシンっぽい物騒な連中だったから何か知らない?」
フロロの問いにマスターは黙ってカウンターに視線を落とす。フロロは「ちぇ」と舌打ちすると、置かれていたグラスの中に硬貨を入れた。キン、と澄んだ音が響く。するとマスターは表情を変えることなく話し出した。
「アサシンに追われてたのはクーウェニ族の男か?」
「そ、そうですそうです!」
わたしは思わず身を乗り出す。本当に何でも知ってるんだなあ、と感動を覚える。
「じゃあまた戻ってきたんだな、あいつ。……クーウェニ族の野郎は『トマリ』ってやつだ。ギルドに入りもしないでケチな泥棒ばっかりやって、問題起こすたびに町移動してる。東の方から来たみたいだな」
「戻ってきた、ってことはこの町も前に追われてるんだ?」
フロロの質問にはマスターは首を振った。
「カンカレじゃ特に問題は起こさなかった。『俺らの見張る範疇』じゃあね。野郎、そん時からやばいのに追われてたんだよ。それですぐにローラスの方に逃げてったみたいだな」
「やばいのって……アサシンの集団に?」
眉を寄せるフロロにマスターは頷く。それを受けてフロロは「むう」と唸った。しばらくするともう一度マスターに尋ねる。
「あいつ、一個荷物を抱えてるんだよ。それを狙ってる集団が幾つかありそうなんだ。ローラスじゃギルドと喧嘩になってる故買屋グループが追いかけてた。その荷物の噂聞いてない?」
それを聞くとマスターは感心げに口笛を吹いた。
「そりゃ面白いな。分かった、こっちも探り入れる」
マスターは入り口方向を見ると少しだけ目を動かす。先程、わたしが挨拶した長身の男性が小さく頷くと、そのまま玄関の方へ消えていった。ヴェラの「かっこいい……」という呟きにはわたしも同感だ。
「いい情報持って来た礼だ。何でも答えるぜ」
カウンターに身を預かるマスターをフロロはちらりと見て、椅子から飛び下りる。
「……いや、これ以上はいいや。元々ちょっと興味引かれただけで、深入りする気は無いんだ」
「あ、そうなんですか?」
ヴェラが意外だという風に目を丸くした。わたしは頬を掻く。好奇心だけで動くにはちょっと重過ぎる内容っぽいもんね。
帰るか、というように顔を見合わせるわたし達にマスターは口を開く。
「じゃあ最後に一個だけ言っとくぜ」
振り向くとタバコを灰皿に押し付けながらもうもうと煙りを吐き出し、フロロの顔を見た。
「アサシン使う奴らなんて大体どういう人間か分かるだろ?」
「……だーから深入りしないって言ってんのさ」
フロロはそう答えると部屋を出る。わたしとヴェラもそれに続いた。
「どういう人間、ってどういう人間なんです?」
家の玄関扉を出るとヴェラがわたしの腕を突きながら聞いてくる。
「どういうのだと思うの?」
「えーっと、『悪い人』です!」
大変ヴェラらしい答えだ。わたしは溜息つくと首を振る。
「……善良な一般市民じゃ、アサシンの雇い方なんて習わないでしょうが」
「あ、学園でも習った覚えないですね」
その受け答えにフロロの尻尾が不機嫌そうに揺れていた。
わたし達がカンカレの町を後にしたのは翌日の朝だった。夜中動き回るのはやっぱり冒険者として賢い選択じゃないというのと、ここで一気に生活のリズムを戻そうという狙いがあった。のだが、
「ちょっと……」
わたしは顔に掛かってきたセリスの足を払いのける。お行儀のなってないお嬢さんだ。その動きの後もセリスは皆の衣料が入った鞄を積み上げた即席ベッドですやすやと寝息をかいている。昨日の晩も遅くまで騒いでたもんなー。「だって眠くないし」とぬかして。
王城のあるセントサントリナに向けて移動中、フローラちゃんの中にいるのはまた「女の子メンバー」に戻っている。女の子ばっかりになるとやっぱりほのかに良い香りが……ということはなく、イルヴァが食べるお菓子の匂いでいっぱいだ。わたしが見ていることに気がついたのか、
「食べます?」
と板チョコを突き出してくるが首を振って突っ返す。そのやり取りを見守った後、ローザがわざとらしいまでに大きくため息をついた。
「まったく……、昨日みたいなことはこれっきりにしてよね!?」
わたしはきょとんとした後、手を叩く。
「夜更かしの事?わたしは帰ってから結構早く寝たよ。出歩いて疲れもあったし」
「そうじゃないわよ、変な異種族追いかけてたら危ないことになった、って言ってたじゃないのっ」
変な異種族って……、第三者に聞かれたらややこしいことになりそうな台詞に眉寄せつつも素直に謝っておくことにする。
「ごめんごめん、まさか暗殺者集団に追いかけられてるような奴だったなんて、怖いよねー。あ、盗賊ギルドでも噂になってる奴らしくて、そんなのに関わったと思うと滅多に出来ない経験かなー、とも思うけど」
「軽い!ノリが軽すぎるわよおおお!あんた本当に分かってる!?危ないところだったって!」
喋っているうちに昨日、話した際の興奮が蘇えってきたのかローザが顔を覆って嘆きだす。そう言われてもどう弁解していいものか途方に暮れてしまうじゃないか。一緒に泣けばいいのだろうか。
「だってあんた達四人がその場でもしやられちゃってたとすれば、あたしとイルヴァ二人になってたのよ!?どうすりゃいいのよ、こんな娘とおお!」
『こんな』と言われた当のイルヴァはいつもの無表情のまま、ドーナツを口に運んでいる。この二人の旅もなかなか面白そうではある。いや、二人にする気はないけどね、勿論。
「ごめんって。これからはわたしも変に首突っ込まないようにするからさ。フロロとも『もうあいつ見かけても放っておく』って約束したし」
あのクーウェニ族の男の背景や持ってた荷物なんかが気になっているのは確かだが、もうあんなやばい連中と手合わせする気は起きない。そう伝えるとローザはようやく顔を上げた。
「約束よ?」
ぐすりと鼻をすすりながら小指を出す彼女に若干呆れるが、わたしは小指を絡ませる。するとイルヴァが小指を割り込ませてきた。
「ずるいですよー」
ずるいってなんだ、と言おうとすると後ろでむくりと起き上がる気配がある。
「仲良いわねー」
荷物の上でうつ伏せになったセリスがにこにことこちらを見ている。その言われように急に恥ずかしくなったわたしは頬を膨らませた。
「馬鹿にしてるんでしょ」
「ううん、妬けちゃうなあって」
そう言いながらもセリスはにこにことした笑顔を向けたまま、頬杖をついていた。後ろで振っている長い足が美しい。
「セリスさんもご一緒しましょう」
イルヴァがセリスに小指を突き出す。何だかよく分からないことになってきた。
セリスは一度苦笑すると「遠慮しとくー」と言って、再びごろりと横になる。そんな彼女の行動に何となく目を奪われていると、
「早く指きりしましょうよー、リジア」
イルヴァの声にはっと我に返る。
「馬鹿みたい」
そうぼやきつつも相手をしているローザも、全く気にせず腕を振るイルヴァもやっぱりわたしは好きなのだと思う。
前方からサラの声が聞こえてきた。
「デイビスが『ご飯』だって」
そう言って指差す先、フローラちゃんビジョンから見える馬車の中で、デイビスがお腹を擦りつつ『馬車から出よう』というジェスチャーをしている。わたし達は相手には聞こえないと分かりつつも「はーい」と揃って返事した。