潮風と船乗りの町カンカレ
クーウェニ族の男が去ってしまってから漸く現実の世界に帰ってきたような感覚がした。アルフレートが地面を踏む音を聞いて彼の方に向き直る。
「皆どうしてた?」
「ローザが泡吹いて倒れる勢いだった。他は逆にそれで冷静になれたみたいだな」
「そう……」
いつも明るいローザの顔を思い出して罪悪感にかられる。こちらとしても不慮の事故にあったような気分なのだが、やっぱり皆を心配させたのは後ろめたい。
「なんで俺らの場所、分かったんだ?」
フロロがした質問にはアルフレートはつまらなそうに答える。
「宿に戻ってたのは分かっていたんだ。後は宿の使えないオヤジに不審人物を聞けば簡単だった」
アルフレートによるとあのクーウェニ族は町でも有名なコソ泥らしい。宿のおじさんも彼を宿内で見つけるとすぐに追い出したらしいが、その時には既にわたし達は彼のポケットにいたようだ。
「目撃情報も馬鹿みたいにあったからなあ。町外れで商隊用のでかい馬車に乗り込む所まで聞けば、その馬車が去っていった街道を追いかけるだけだったわけだ。……天下の盗賊ギルドも使えないな。あんなケチな泥棒一派一つ取り締まれないなんて」
「他の仲良しグループの集いでしかない職業ギルドよりマシさ。……さてどうすっか」
フロロがこちらを見ているのに気が付き、わたしは頭を掻いた。
「待ってるしかないんじゃない?もう南の関所に行く方が近いんだし、ここで待ってる方が良いでしょ」
「ただ待つだけなのも味気ない。こっちの居場所の合図でも出してやったらどうだ?」
アルフレートの言葉に首を傾げていると、フロロもわたしを見ているのに気が付く。何?と聞こうとしたが彼らの言わん事が飲み込めた気がする。
「花火代わりに呪文打ち上げればいいわけね」
わたしが言うとフロロがにやにやと笑った。
「ちょうど良い練習機会じゃん。アルと模擬戦でもやれば?」
フロロの茶化しに首を振ったのはアルフレートの方だった。
「やめてくれ。私は手加減出来てもコイツは手加減出来ないんだぞ?私だってもうちょっと長生きしたい」
それは突っ込み待ちの台詞だと考えていいのだろうか。
揃った途端にやんややんやとうるさい妖精二人を放っておくことにして、わたしは浮かんだルーンを唱えていった。
「ライトニングボルト!」
バチバチと爆ぜる音を撒き散らしながら夜空に雷の渦を放つ。一瞬明るくなる周辺にフロロが「おおー」と感嘆の声を上げた。
「フレイムランス!」
顔の表面がちりちりと焼けるような熱波を出しながら炎の槍が続く。あー気持ちいい。
「まだまだいくぜファイアーボール!」
指先から離れた光球が空へひゅるひゅると上っていき、爆発……と思いきや暗闇の彼方に消えていった。あれ?
「あれは着弾しなきゃ意味ないだろ」
アルフレートの突っ込みにわたしは頬を掻く。
「そ、そっか。じゃあこんなのはどうだ……ウブ・リクト!」
合わせた両手から放たれた光が五芒星を作り上げ、それを中心に青白い光が空へ舞っていく。直下にいるわたし達の周りは昼間のような明るさだ。
「やるじゃんよ」
フロロが面白そうにわたしの手元と空を見比べた。
どのくらいそうしていただろうか。わたしの呪文のバリエーションも尽きてきてしまい、空も明るくなってきた。
「……そろそろ休んでいい?」
擦れる声でわたしがアルフレートに尋ねた時、ガタガタと揺れる車両の音がする。はっと顔を上げると街道の北側からやってくる豆粒程の大きさの馬車。遠くからでも白い馬だと分かった。わたし達と一緒にいる馬もその方向を見ている。ローザ達だと考えて間違いないだろう。
「お、きたな。ローザの声もするぜ」
フロロが耳を動かし肯定する。豆粒程の大きさが手のひら大になり、徐々に近付いてくると馬車の周りを歩く皆の姿も見えてきた。その中にいる銀色の髪のすらりとした人物を見つけると、じわっと胸が熱くなる。思わず泣きそうになるがぐっと堪えた。向こうもこちらに気付いたらしく、手を振っている。フロロと一緒に駆け出そうとした時、向こうから猛牛のような勢いで走ってくる人物に気が付いた。
「心配したのよおおおおおおおおお」
思わず構えのポーズを取るわたしに構う事無く突進してきたローザちゃんは勢いそのままにわたしにしがみつく。
「ご、ごめん……ぐえっ」
息苦しさに悶えるわたしとおいおい泣くローザちゃん、という奇妙な光景をにやにやと見ていたフロロだったが、彼にもローザちゃんの腕が伸びる。
「あんたもよおおおお、……心配させてええええ……」
ローザちゃんはフロロの顔に頬擦りしつつ泣き続け、フロロは嫌そうに顔をしかめた。
解放された体を回しながら息ついていると、すぐに別の人物に拘束される。
「無事で良かったですう」
イルヴァにぎゅうぎゅうと抱きしめられると気持ちいいんだか痛いんだか分からない。また苦しみの呻きを漏らしているとヘクターと目が合った。心底ほっとしたような顔でわたしの頭を撫でる。
「良かった」
一言、それだけだったが嬉しかった。にやけるわたしに後ろから声が掛かる。
「疫病神」
顔を見なくてもアントンだと分かる。頬が引き攣るが時間と手間を取らせた分、強くは出れない。が、ぼこっという音にまたデイビスに殴られたな、と分かった。
「フロロさんがいながらなんでこんな事になったんですか!」
ヴェラに詰め寄られてフロロは困惑顔だ。彼女の中でフロロは万能神なのだろうか。
「さて、感動の再会で盛上がる中に悪いが、さっさと移動しよう。眠くてしょうがない」
アルフレートが大欠伸をしながら皆を見渡す。確かに明け方で鳥がうるさく空を飛び回ってる時間だっていうのに、全員一睡もしてないんじゃなかったっけ。……わたしはちょっとだけ寝てた時間があったけど。
少し話し合いをした結果、さくっと国境を越えてサントリナ入りを果たすことにする。サントリナでも一番国境側にあるカンカレという町はこのすぐ近くらしい。ヘクターに話しを聞いてから行ってみたいと思っていた町だ。こんな状況での予定外の訪問だが少し嬉しい。
「ふぁあああ……、こんな時間から休んで、この先どうする?夕方過ぎにまた次に出発するの?」
セリスが大欠伸しながら馬車に乗り込んで行く。
「今から考えてもしょうがないわよ。とりあえずお腹空いちゃって空いちゃって……」
それに続こうとしたわたしは馬車の中を見て固まってしまった。荷物荷物、荷物の山だ。皆の旅道具はフローラちゃんの中にあるままだっていうのに、これは一体……。
「ちょっと買い過ぎちゃって。まあ大部分はイルヴァのだけど」
セリスが指す先にいるイルヴァを睨むと「てへ」と舌を出す。それでも真顔のままなのが怖い。ということはこれ全部が買い物組の戦利品ってことか……。羨ましいことこの上ない。それにしても仲間がいなくなってたというのに結構楽しむ時間はあったのね、とちらりと思ってしまった。
「もうちょっとだ。町に着いたらたっぷり休ませてやるからな」
馬を馬車に付け直しながらイリヤが言うと、馬二頭は「分かってる」というように鼻を鳴らす。馬車の中ではセリス達がせっせと荷物をフローラちゃんの中へと運んでいた。
「俺は表が良いなあ、気分的に」
フロロはそう呟くと御者席に足を向ける。その背中にわたしも頷いた。
「同感、わたしも暫くはフローラちゃんの中、入りたくないわ」
ぶつくさと言いながら馬車に入り、席の柔らかいクッションに身を沈める。この半日以上の時間、体を動かさない事に疲れた気がする……。はあ、と息つくと早くも眠気が襲ってきてしまった。
馬車の扉を閉めた後、隣りに座るヘクターの顔を覗き込む。
「ごめんね、予定狂っちゃって……えーっと、心配かけて」
「いや、うん、まあ……馴れてきたかな」
何に?と聞き返したくなる謎の台詞を言うと、ヘクターはにっこりと笑った。
荷物運びを手伝っていたデイビスが馬車内に戻ってくるなり溜息をつく。
「全く、あいつらもう寝る準備始めてやがる」
フローラちゃんの中にいったメンバーというとセリスとサラ、ヴェラにイルヴァとアルフレートか。マイペースの塊みたいなメンバーだ。昨日とは違ってこっちに残ったローザちゃんはわたしの前で欠伸している。
「しょうがないわよ、徹夜で歩いて来たんだし。でも先のこと考えると昼夜逆転しないように昼過ぎには起きるようにしないとね」
皆のお母さんは体調管理で頭が一杯なのかもしれない。わたしが「ごめんね」と言うと、
「まあ……いいわ。馴れてきたし」
と呟いた。だから何に!?
暫く行くと国境での出入国管理をする関所が見えてきた。大きな外枠だけの門が山と海岸側にある大きな岩にめり込むように建っている。馬車が止まり、窓から表を見ると簡単な作りの小屋からローラス警備隊の制服を着たおじさんが出てきて、何か紙のようなものを振っている。名前などを記帳するのだろう。国にもよると思うけど、ローラスとサントリナは出入国も簡単な手続きで済む。わたし達のような学園の人間なら尚更だ。
ぞろぞろと馬車を降りると受付である小屋の窓に向かう。
「これに米印が振ってある所を書いて埋めていって……って何人乗ってたんだ?」
馬車を降りた十人超と馬車を見比べて、おじさんは目を丸くした。