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フロロのあがった息が治まるまで待つと、わたし達は床に座り込み相談を始めた。
「何とかして首都まで戻らないと。大分潮風の匂いが濃い。海に近いな」
フロロが腕組みをして唸る。
「沿岸まで来てるのね……。首都行きの馬車とか通らないかな。今、出て行ったら危ない?」
わたしが尋ねるとフロロは何とも答え難そうに口籠る。そして眉を寄せるわたしに、ふうと息つくと答え始めた。
「暫くは待った方が良いと思う。フローラがいなくなった、とかは気付いてないと思う。それより俺を見つけ出して何とかしたいんだろうな」
「な、何でよ。何か余計な事したの!?」
わたしの言い様が気に食わなかったらしく、フロロはむっとして目を吊り上げる。
「人聞き悪いこと言うなよ。俺の事、ギルドからの回し者だと思ってるみたいだ。『今回の取引、潰されたらヤバいぜ』とか怒鳴り合ってるのが、逃げる時に聞こえた」
つまりはいきなり現れた盗賊が盗賊ギルドからの回し者で、自分達(無法者)を潰す為の潜入捜査に来たと思われてるってことか。捜査という言葉を使ってしまったが、盗賊ギルドの連中だって大きい顔してお天道様の下歩けるようなもんじゃないだろ、とかそもそもの仕組みに突っ込みたいけど、そんな勇気はわたしには無い。
うむむ、と唸るわたしにぽん、と一つ考えが浮かんだ。
「あ、フローラちゃんにこのまま首都まで行ってもらうのは?小さいから物陰に隠れながら行けば、結構見つかり難いと思うのよね」
「小さいからこそ、何年掛かるんだよ」
「……確かに、フローラちゃん歩くの遅いもんね」
普段、部屋の中を動き回るフローラちゃんを見ているが、その動きはのっそりのっそりと遅い。まだ詳しい現在地は分からないものの、馬車で数刻の距離をフローラちゃんで進むとしたら何年……は大げさでも何日掛かるか分からない。ある程度まで行ったらわたし達の足で戻れば良いんだろうけど……。とにかく早いところ戻らないと皆心配しているだろうし。
「でも早い所、手を決めないと日が暮れちまうな」
フロロが立ち上がり、前方の画面に目を移す。こんな話しをしている間にも空の色は夕刻の赤に染まってしまっていた。その様を見ていると、わたし達のいる木の下に人影があるのに気が付いた。
「げ!本当に探してるっぽい!」
思わず変な声を上げてしまう。無精髭に汚い皮鎧を着込んだ姿の男が木の下をうろうろとしているのだ。そこまで必死さは感じないものの、何かを探すように首を動かしている。
困った。とても困った。彼らの馬車から逃げ出したはいいけど、事態はあんまり進んでいないように感じる。
無言になるわたしの肩をフロロが叩いた。
「ま、もうちょいしたらいなくなるだろ。そしたら俺が又、偵察に出るからさ」
「……わたしも行こうか?」
そう答えるわたしにフロロは隠すことなくはっきりと嫌な顔をする。
「マジで言ってんの?俺、結構本気でヤバい状況だと思ってるから、結構本気で迷惑なんだけど」
「や、やな奴ね……」
そう言ってむくれるものの、一緒に行きたい理由が「そろそろ外の空気が吸いたい」というだけなわたしは彼に従うしかなかった。大人しく待っていればあの故買屋グループもいなくなって、その後は街道に出て首都行きの馬車をつかまえればいいのだ。首都行きならきっと夜でも向かう商人もいるはず。少し安心感が戻ってきたわたしはあらためて酷い空腹に顔を歪めた。
しかし本気でヤバい状況というのはこれから待ち構えていたのである。
何故か途切れることなく男達は姿を見せ、フロロも出るタイミングを逃し続ける間にすっかり辺りは夜の闇に包まれてしまった。現れる男達の手には松明や『ライト』の魔晶石といった光源体が握られるようになり、わたし達の焦りも増す。
「ど、どういう事よ」
わたし達がいる一本の木の下、男達が輪を作り座り込んでいるではないか。
「……宴会始めたみたいだな」
「何でこんな所で!」
非難めいた金切り声を上げてしまったが、わたしだってフロロには答えようがないのは分かっている。しかしわたし達がここにいることはばれていないはずなんだから、それでも彼らが宴会をするのにこの場所を選んだのだとしたら、わたし達って運悪すぎじゃないの?
煙が空に舞い上がり始める。故買屋グループの男達は焚火を囲み、何かの獣肉を焼いたり酒瓶を傾け始めた。その様子を見てわたしとフロロのお腹はぎゅーぎゅーと騒がしくなるが、お互いにそれに触れる元気も無い。
輪を作る男達の中にオレンジ色の肌をしたクーウェニ族がいる。何やら愛想笑いを浮かべて周りに酒を注いで回っている様子は『下っ端』という言葉を浮かばせた。
「やっぱ首都で見たあいつだな。覚えとけよ」
そう呻くフロロの顔は随分とやさぐれてしまっていた。
「起きろー!」
肩を揺さぶる気配とフロロの声。ふと目を開けると、誰かの鞄に涎を垂らす寸前な自分に慌てて身を起こす。いつの間にか寝てしまっていたらしい。横には腰に手を当てたフロロが立っていた。
「故買屋達も見張り除いて寝始めた。今、起きてる奴が一番隙が多そうなんだ。今の内に離れるぜ」
それを聞いて操縦室の画面を見る。火の弱まった焚火の脇に寝転がる男が数人と、膝を抱えて火の番をする男が一人。しかしその男も時たま大きく首が傾き危なかっしい。わたしは一気に目が覚める。
「オッケー!じゃあ行きましょう!」
「うん、ここで待ってろよ」
フロロは立ち上がったわたしに冷静に言い放った。やっぱりお留守番か……。
「信用無いなあ」
むくれるわたしに転移装置へ向かう途中だったフロロが振り返る。
「あるわけないだろ。今しか無い最大のチャンスだってのに、遊んでられるか」
そう吐き捨てさっさと消えていくフロロを見送ると、わたしは再びフローラちゃんから外を眺める傍観者になる。暗闇の中に木の枝に器用に掴まるフロロが現れた。そっとこちらに手を伸ばす。フローラちゃんが彼の手に上ると、フロロの肩に乗せられたのだろう。下の方に彼の上着の緑色が見える。その後はぐんぐんと視界が下がっていった。
「下に降りたんだわ。……大丈夫かな」
わたしの心配も何のその、男達の囲む焚火がぐんぐんと離れていく。こんなスピードで後退する光景もなかなか見れるものではない。フローラちゃんをこういう使い方出来るのも面白いなあ、と思ってしまった。後は闇の中を疾走しているだけなのだと思う。真っ暗な景色が時折見える月で動きを感じさせるだけだ。そしてやがて月も見えなくなる。
「上手く、いったんだよね?」
全く現状が掴めず、独り言が多くなる。静まり返るだけの室内にまた不安になってきてしまった。
どのくらい立ったり座ったりを繰り返しただろう。いきなり「ふい〜」という声と共に戻ってきたフロロに心臓が跳ね上がる。
「どうだった!?」
わたしの掴み掛かる勢いにフロロは黙って親指を立てた。一瞬の間の後、わたしは大きく息を吸い込み、そして吐き出す。
「良かった……、助かったんだよね」
「そゆこと、結構な距離置いてきたから大丈夫だと思うぜ」
示し合わせたように二人同時に座り込む。はあ、と息をつきながら放心していると、
「さて、夜中だろうけど頑張って戻ろうぜ。あーあ、ヘクターの兄ちゃんに怒られるだろうな、俺」
フロロの言葉に急激に目が霞む。
「言わないでよ、頑張って考えないようにしてたんだから」
きっとあの人はわたし達のことを怒ったりはしないと思う。でも、きっと今も心配して起きててくれてるんだろうな、と考えると泣けてきてしまった。自分でも想像以上に緊張していたのかもしれない。流れる涙を抱える膝小僧で隠していると、フロロがぽんぽんと頭を撫でてくる。彼にも申し訳ないことの連続だったなあ、と思う。そもそも二人してフローラちゃんの中に消えるなんて大ポカをしたのがいけなかったのだ。そしてそれを希望したのはわたしだったのだから。逃げ出せたのも全部彼のお陰だったな、と顔を上げるとフロロのにやーっとした顔が目に入る。……何かお礼言う気も失せたぞ。
「よし、今度こそ表出ようぜ!北に向かって街道に行けば更に距離稼げる。……まあこの時間だと馬車つかまえるのは大変そうだけど」
立ち上がるフロロにわたしも続き、大きく頷いた。はあ、何時間振りの表世界だろう。こんだけ狭い空間に閉じ込められると、そこまで大した時間じゃないのは分かっているが、ちゃんと歩けるだろうか、なんて考えてしまった。
「今どこに置いてるの?フローラちゃん」
「何か何の気配も無い洞窟……とも言えないな、洞穴があったんで、その入り口の岩場」
「へええ……、もしかしたら今晩はそこで野宿した方がいいかもね。朝になってからの方が馬車の通りも有りそう」
そんな会話をしつつ転移装置である赤い魔晶石に手を伸ばす。
「わあ、ホントに海の匂い」
出た瞬間に鼻についた潮風の匂いにわたしは深呼吸する。そのまま腕を上げて大きく伸びをした時だった。
隣りのフロロがびくん、と跳ねる。ん?と彼を見ると、
「おめえら、今どっから出て来た」
ひどく擦れた声がする。一瞬にして体が凍り付いてしまった。相手も急に出現したわたし達に唖然、という顔でこちらを見ている。『ライト』の魔晶石を握りしめ、洞穴の入り口に仁王立ちしているのは、あのクーウェニ族の男だったのだ。