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翌朝の快晴の空の下、アルフレートが馬車の前で立ち止まる。
「寝足りない」
あ、そう、と答えたくなるが真っ直ぐこちらを見る瞳に仕方なく答える。
「代わるわよ。フローラちゃんの中行けば?」
わたしが言うなり鼻歌混じりにアルフレートはフローラちゃんの中へと消えていった。普段あんなに饒舌なくせに、何で不満を言う時は直球の言葉しかないのかね。
他のメンバーはといえば昨日と同じようにセリス達が馬車のステップ部分で日に当たるフローラちゃんの方へ行ってしまう。あれー、女の子皆いなくなっちゃうのか。そうなるとちょっと寂しいと思ってしまった。もう一人ぐらい中にいっても、と思うがアルフレートが寝転がってるだろうし、昨日以上に狭いかもしれない。わたしは大人しく馬車の座席についた。
「もうちょっと端寄れよ、チビなんだから」
アントンが舌打ち混じりに言う台詞にわたしは反射的に目を吊り上げる。
「何でよ、そこに座るなら関係ないじゃない」
アントンが座ろうとするのは対面する二つの長椅子のわたしの正面だ。
「お前が端に寄ればいいだろうが」
そう言ってアントンのおでこを叩くデイビスを一睨みすると、アントンはぴったりと御者席側に体を押しつけ、わたしの脇にどかっと足を乗せる。あー、足伸ばしたかったのね、と納得するもまた怒りが込み上げてきた。
「ちょっと!行儀悪いんじゃないの!?他の人間がいる場所で自分の欲求優先すんな!」
「いちいちうるせえな……、足が長くて羨ましいんだろー。ほれ、お前も足乗せてみろよ」
アントンはからかうような声に変わると座席の自分の脇をぼんぼん、と叩く。思わず席の間のスペースを目測してしまった。……届く、と思う。元々狭い馬車内だ。席の間もあまり無い。わたしの目の泳ぎを見たのかアントンはにやにやと笑っている。
「と、届くわよ、こんぐらい」
アントンとデイビスの間に足を伸ばし、座席に足を乗せるとアントンが「ぶおほ!」と吹き出す。
「ぎりぎりじゃねえか!しかも全然深く腰掛けてねえし!チビ!チービ!」
げらげらと笑うアントンに顔が真っ赤になるわたし。お腹を抱えて笑い続けるデリカシーの無い男にわたしは掴み掛かった。
「うううううるさい!足の長さなんて身長で決まるんでしょうが!わたしは決して短足じゃあない!」
「だからチビだっつってんだろうが!」
言い合うわたしとアントンの背後から静かな声が掛かる。
「リジア、馬車動き出すから危ないよ」
そう言って苦笑するヘクターの隣りにわたしは大人しく座り込む。ああ、またやってしまった。またこの人の前で醜い言い争いを繰り広げてしまった。くう、と奥歯を噛んでいると馬車が動きだし、ぐらりと揺れる。表からフロロとイリヤの笑い声がした。
窓から見えるのは遠ざかる村の周りで揺れる紫の花。朝ごはんも美味しかったし、いい村だったなあと思う。
「このペースだと夕方には首都入りか。そうすりゃサントリナも目の前だ。早ええな」
デイビスが顎を撫でながら呟いた。首都か、着いたら何しよう。そんな事を考えているとふと思う。何か、暑い。表の気温も夏真っ盛りの暑さなのは分かっているが、窓は全開だし、まだ朝なのに。何て言うかいつものメンバーで乗ってる時より暑苦しい。
……もしかして野郎ばっかだから?
アルフレートが嫌がった訳が飲み込めてきたわたしはごくりと喉を鳴らした。
そんなわたしに隣りから声が掛かる。
「リジアは首都で何したい?」
ヘクターからの質問にわたしは腕を組む。お金無いんでやること無い、っていうのが正直な気持ちだが答えとしては何だかな、と思い首を振った。
「特に無いよ。買い物もウェリスペルトでも事足りるし」
「そっか、……俺も特に無いんだよなー。皆することあるのかと思ってた」
「え、じゃ、じゃあさ……」
わたしは少し前に首都に行って来た、と言っていたクラスメートのキーラが教えてくれた情報を思い出す。確かラシャ神の教会の近くが町を一望出来る景色で素晴らしいというのと、その近くにあるカフェが良い雰囲気だったという話しだ。下心満々で誘い出そうとするわたしの声を遮るようにデイビスの大きな声が響く。
「じゃあ女共が買い物してる間に食い放題行こうぜ!こんなでけえリブがいくらでも食えたりするバーベキュー屋があるんだってよ!」
身振りを付けながらにこにこと話す。わたしの顔も見ているということは一緒に、ということだろうが……。き、気が利かねえ!気が利かねえ、この男!
「そ、そうね」
わたしは小声で答えると身を小さくする。隣りで苦笑するヘクターの顔は何だかひどく大人びて見えた。
アントンが大口を開けて寝ている。かーかーという寝息が規則正しく馬車内に響き、口の中が乾かないのか人事ながら心配になってしまった。暇を感じたわたしは目の前で外の景色を眺める大柄の青年に話しかけることにする。
「そういえばさ、デイビス達はどうしてパーティーを組むことになったの?」
昨日セリスからも聞いた話しだが彼から聞いても面白そうだと思ったのだ。デイビスのオレンジ色の瞳が何度か瞬きをみせる。
「……気付いたらだなあ。特に動き回ったような覚えは無いけど、気付いたらこんなメンバーが集まってたな」
何とも男らしい答えにわたしは眉を寄せる。もうちょっとこう、何かあるだろ。どう取っ掛かりを掴もうかな、と考えていると、
「お前らは?」
と逆に聞かれてしまう。わたしとヘクターは顔を見合わせた。……網に引っ掛けたんです、とは言えない。
「お前らこそ別に知り合いじゃなかったんだろ?そっちの方が不思議だよ。ナンパ?ナンパしたの?」
真顔で聞くデイビスにヘクターが少し頬を赤くして眉間に皺を作る。
「変なこと言うなよ……」
「そ、そうよ!アントンと一緒にしないで!」
思わず上げたわたしの大声に緑の頭が揺れた。
「俺が何だって?」
あれ、起きちゃった。三人で不機嫌な寝起き顔を見ていると、いきなり前方の小窓が開かれた。
「敵さんのお出ましだよ、用意しときな」
フロロの可愛い声に似つかわしくない台詞。ぴんと張りつめる空気にわたしは体が固まってしまう。馬車がスピードを緩め、徐々に止まっていった。
「主要街道外れた途端に出てきやがったか!」
何故か笑顔で声を張り上げると、デイビスは馬車後方の扉を蹴って開け放つ。学園長の馬車だって分かってるんだろうか。勢いよく飛び出すデイビスとヘクターに慌ててわたしも彼らを追いかける。が、後ろから来たアントンに突き飛ばされて派手にすっ転ぶ。
「へぶ!」
「だ、大丈夫?」
ヘクターに腕を取ってもらい起き上がるが、痛む顎と手に殺意が湧く。
「今に見てろよ……魔法の暴走に見せかけて消し炭に変えてやるぐらい出来るんだからな」
自分でも恐ろしいと思う台詞をぶつぶつ言いつつ、簡単な治癒術を唱え始めた。騒ぎの音からして前方にモンスターがいるらしい。馬車の影から覗くとデイビスよりも更に二周りほど大きくしたような体が三体。赤黒く異臭のしそうな肌に顔をしかめた。醜く凶悪な猿のような顔は巨人族オーガーのものだ。三体中二体は粗悪な棍棒のような物を持ち、一体は隆起した筋肉の素手を振っている。
「……待ってて」
ヘクターがわたしの肩を叩くと、既にデイビス達が武器を振るう中に駆け出した。イリヤも含めて四人いるんだし、見てるだけの方がいいかな、と思っていると馬車の上から声が掛かる。
「やばいかもしんない」
「うおあ!ちょっと何処に乗ってるのよ」
わたしは馬車の屋根部分から顔を覗かせるフロロを睨んだ。するとフロロは上空を指差す。空に浮かぶ黒い染みが風に吹かれて舞っているような光景。よく見ると染みの一つ一つには羽が生えており、大きな蝙蝠のような姿が次第に目で確認出来るようになる。翼のある人間の赤子にも見えるが手足は筋張って奇妙な曲がりを見せ、暗い緑の肌が不気味なモンスター。
「インプの群れだ……」
わたしの呟きにフロロが頷く。
「オーガーの獲物を奪いに来たな」
フロロの言う『獲物』とはわたし達の事だろう。わたし達だってオーガー相手にそのままやられるわけでは無いが、空を舞う妖魔達も黙って見ているだけとも思えない。
「数が数だし、飛行モンスター相手にさせんのは酷だろ?リジア追っ払ってくれよ」
馬車前方の戦士達を親指で示しつつフロロはわたしの顔を見る。
「え、……どうやって?」
わたしの正直な問いかけに仲間のシーフは露骨に顔をしかめた。
「お得意の魔法ぶっ放しをしてくれりゃあ良いんだよ。ちょっと厄介そうだと思ったら簡単に退いてくれる」
なるほど、と思うが何を唱えよう。また肝心な時にさらっと呪文が出て来ない。うわ、どうしよう。そう思うと更に頭から大事なものが抜けていく。
「早く早く!にいちゃん達の方に来る前にやんないと!あんた命中率只でさえ悪いんだから!」
ばたばたと馬車の上で飛び跳ねるフロロにわたしは焦りながら言い返す。
「あ、焦らせないで!ななななんでも良いからヒントヒント!」
「ひひひヒントお!?俺、呪文なんて知らねえよ!」
「単語で良い!好きな精霊は!?」
「えええっと、ジン!風の精霊ジン!」
「おっけえええええ!」
わたしはフロロに向かってびしり!と親指を立てるとすぐさま呪文を唱え始めた。
インプ達の動きはすぐさま襲いかかるようなものでは無いものの、明らかに探るように空を旋回している。彼らの赤い目は日差しの降り注ぐこの時間でも光を放っているように見えて不気味だ。
わたしが早口で言葉を紡ぐごとに風が周囲に漂いだす。軽い体のフロロが飛ばされそうになったのか馬車に張り付いた。
「ミスティックカッター!」
風の精霊シルフによって現れた風の刃が無数に空に放たれる。ジンではないのか、と言われそうだが風の精霊の上位種であるジンの魔法なんぞ、ちょっとコントロールに自信が無い。空に溶け込みそうな青い光をした刃は耳障りな高音を響かせて飛行モンスターに襲いかかった。空を自由に動き回るインプ達に大抵は避けられてしまうが、
「ケエエ!」
仲間とぶつかりそうになった為に逃げ遅れた不運な二匹が悲鳴を上げた後、塵と消える。元は異界の者である彼らの最後は呆気無い消え方だ。フロロの予想通り、戦意を喪失したらしいインプの群れは何事も無かったかのように空の高みへ消えていく。ほっと胸を撫で下ろすわたしとフロロに聞こえてくる情けない声があった。
「ひええ……」
馬車前方、いつの間にかオーガー達は倒れたようで戦士の皆は武器を収め、こちらを見ている。そして彼らの中央、地面を巨大な爪がえぐり取ったような跡が走っていて、その脇でへたり込むイリヤの姿があった。
「何?どうしたの?」
わたしが言うとフロロが呆れた声で答える。
「あんたの魔法だろ」
おおう……、空しか見てなかったから気が付かなかった。周りをよく見ると右手に広がる林の木もいくつか枝が折れたり細い木が根元から切断されたりしているじゃないか。
「生身に当たったら妖魔じゃなくても消し飛ぶんだからな。気をつけろって、ほんとに……」
フロロはぶつくさと言い終わると屋根の上を四つん這いになりながら御者席の方へと戻っていく。
本当にフロロの言う通りだ。いつ事故を起こすか分からない暴走車両だわ、わたしって……。だからといっていつまでも何もせずに見学してるわけにもいかないしなあ。
「おし、行くか!」
オーガーの亡骸を端に避けたデイビスが彼の愛用の武器である大きなバトルアックスを肩に担ぎ直し、全員を見渡す。
「イリヤ、ごめん」
わたしは未だ座り込んでいるままのイリヤに手を差し伸べた。彼の金色の瞳がわたしを捉えると少し恥ずかしそうにその手を取った。
「いや、こっちこそ大げさに騒いでごめん。噂には聞いてたけど実際みるとびびっちゃって」
イリヤの言葉がさくっ!とわたしの胸に刺さるが気にしないよう務める。悪気はない、はず。イリヤが立ち上がり御者席に戻るのを見た後、わたしも馬車の中へ帰ることにする。
「ありがとう、助かった」
後ろから掛かる声はヘクターの柔らかいものだ。わたしは複雑ながら「うん」とだけ答えることにする。デイビスとアントンに至っては戦闘そのものが無かったかのように「腹減った」「飯どうするよ」などと騒いでいるのだった。
馬車の扉を開けると怯えた顔のヴェラが立っている。身を竦ませるようにしたポーズが何とも滑稽で美人の顔と釣り合わずもったいない。
「どうしたの?」
わたしが声を掛けるとあうあうと口を動かした。
「すすすすいません、見張りなのにまた寝ちゃって……。皆さんがいないのに今気が付いて『何があったか見て来い』って言われたもので、ああうー、役立たずですいません!」
ヴェラが見張り、そして役立たずなのは分かった、いや分かっていたが何かあったと思うなら全員出て来いよ、と思うのは間違っているだろうか。
「……良いわ、『何も無かった』って伝えてちょうだい」
「あ、そうなんですか!よかったあ」
寝癖だらけの彼女はそのままフローラちゃんの中へと戻っていく。やっぱこの『二両編成』はよろしくないなあと思い始めているのはわたしだけじゃないらしく、昨日から丸きり『護衛』扱いの男達が深く溜息をつくのが聞こえた。