6
陽射しを反射する様が美しい池をすいすいと泳ぐフローラちゃん。水中花が咲く隙間を身をくねらせるように進む。想像していたより大分速い動きに思わず興奮してしまう。
「凄い凄い!これ乗ってみて中から見たら迫力ありそうじゃない?」
わたしは自分と同じように池の淵に並ぶ石に足を掛けて中を覗き込むローザにはしゃいでみせた。笑顔を向けたローザだったが、少し間を置いて答える。
「でもこれ中、揺れてたりしないわよね?」
「……王妃様へのカップ!」
フローラちゃんに仕舞ったカップ&ソーサーを思い出す。わたしの悲鳴に二人して池に手を突っ込んだ。重力からの解放が心地良いと言わんばかりにフローラちゃんは捕まらない。
「イルヴァも手伝ってよ!」
「そんなことよりバレットさんのイビキ、こんなところまで聞こえてきますよ〜、うふふ」
バレットさんの自室のカーテンが揺れる方向を指差し笑うイルヴァ。
「それこそどうでもいい!」
わたしの返しにもイルヴァは暢気にシャボン玉を吹かすだけだ。
三人がいるのはバレット邸の綺麗になったお庭。なんでも前回訪れた際に『住民が不気味がってるわよ』とわたしが助言したことによって、屋敷の周りも明るく整理するようになったらしい。猫達は庭いじりという概念自体がなかったらしく、初めての経験だったそうだが見事に整えられたローラス式のガーデニングを見る限り、本当に器用な種族なのだと思う。鉢植えの一個一個に木の素朴なプレートが刺さっていて、丁寧に花の名前が書いてある。それを見てわたしは屋敷を取り囲む背の高い塀を見渡した。後はこの塀ももう少し何とかすればいいと思うのだけど、バレットさん曰く防音の意味もあるらしいのよね。
そんな事を考えながら灰色の石塀を指で叩いた時だった。数人の声が混じり合うような音にはっとする。どこか聞き覚えがあったからかもしれない。屋敷の外へと意識を動かしていると声が大きくなってきた。
「ここじゃない?」
「うわ、確かに陰気というか物々しい屋敷」
「あいつらいるかね」
そんな会話と複数の足音に無意識に塀の上を見ていると、屋敷の中にいたフロロがひょい、と窓から顔を出す。
「デイビス達、来たぜ」
やっぱり、とわたしは彼らを出迎えるべく振り返った。屋敷の脇を通って正面の入り口へと向かう。すると丁度門を潜ってきたデイビスと目が合った。
「おう!……なんだあ?水遊びでもしてたのか?」
デイビスがわたしを見て目を大きくする。短パンに裸足、ずぶ濡れになった自分の両手足にわたしは慌てた。
「い、いや、実験というかね……」
「早かったのね〜」
後ろからやって来たローザがそう声を掛けながら彼らの中に視線を泳がせる。探しているのだろう。
「レオンは……来なかったのね」
その探す相手、金髪の少年の姿が見られなかったことにわたしはゆっくり声を吐き出した。六人の空気が何処か暗いものになってしまった。
「ごめんね、リジア」
デイビスの隣りにいたサラがこちらにやってくるなりわたしの手を握りしめる。わたしは黙って首を振った。セリスも赤い髪をかき上げながらこちらに顔を向け、大きく息をつく。
「向こうで滞在も勧められたんだけど、変な空気になってる上に私達はそこまでレオンに馴染み無いじゃない?だから玄関先でさよならしてとんぼ返りよ」
「だからこんなに早かったんだ」
わたしは肩を回す仕草を見せるセリスに「お疲れさま」と続けた。
「そういうことなんで飯、頼むぜ」
はああ、と溜息をつくデイビスに六人とも感染したようにぐったり、という雰囲気になる。
「ウェリスペルト出てから簡易食しか口にしてねえ」
珍しく覇気の少ないアントンがそう呟くと、バレット邸の玄関に目を移してぎょっとする。つられて玄関扉をみると扉の隙間から猫達が顔を覗かせているではないか。白、クリーム、赤茶、茶、黒というようにグラデーションを作って連なる頭は、揃ってにやーと笑った。思わず、といったように身構えるデイビス達の中でイリヤが唯一前に出る。
「やあ、随分可愛らしい種族だね」
にこにこと猫に近付くイリヤを見てわたしは首を傾げる。人間じゃないだけで人見知りはしないんだな。
猫達もイリヤを取り囲み、握手を求めたりくるくると回ったりして見せた。
「いらっしゃいにゃあ」
「お客様がいっぱい、うれしいにゃあ」
「しかも若い人だにゃあ、若い人いっぱいご飯食べるから嬉しいにゃー」
口々に喜ぶ猫にイリヤははっとしたように顔を上げた。
「ここまではっきり言ってることが分かるのも珍しい……」
「いや、喋ってるから、人間の言葉喋ってるからね。お兄さんの能力じゃないから」
ローザがめんどくせえ、というようにイリヤに突っ込んでやる。茶縞の猫が扉を開けて手招きした。
「どうぞにゃー、まずはゆっくりご飯にするにゃー」
ぼさぼさの寝癖だらけの頭をしたバレットさんはうっとりとした顔で『科学とは』を話し続ける。
「科学とは真実の追求、世界の真理を人間の手に近付けるというもの。魔法のように『何か知らんけどすごい力』というものではいつか暴走を呼び起こす。これからの世界は科学によって発展していくべきなのじゃよ」
「ふーんすごいね」
絶対思ってないだろ、という声で答えながらアントンは食べ物を口に運んでいる。大男のデイビスはもちろん、他のメンバーも見事な食べっぷりでダイニングルームの大きなテーブルに隙間無く並ぶ料理を片付けていった。その姿を横目に猫達が嬉しそうに皿を運ぶ。暫くその様子を面白いものでも見るかのように眺めていたフロロが声を上げた。
「で、レオンは何で来たくないんだって?」
その質問に動きを止めたサラがゆっくりと口を開く。
「『まだその気にはなれないから』って。あまり考える素振りも無かったから、食い下がる気にもなれなかったわ」
「ご両親にも会ったよ、少しだけど。良い人そうだった」
イリヤがそう言うってことは実際そうなんだろうな、と思う。しんみりしそうな空気を打ち破る為にわたしは話題を変えることにした。
「出発はいつにする?すぐでも大丈夫?」
「俺はいいぜ。さっさと行っちまった方が気が楽だ」
デイビスが彼らしい答えを言うがセリスが頬を膨らませる。
「ええー、もうちょっと休みたかったのに!あ、言っとくけど向こうに着くまで野宿は嫌よ、絶対」
「今から出れば宿のあるような町には着けるよ、大丈夫」
そう声を掛けるヘクターをセリスは珍しいものを見るように眺めると「へー」と呟いた。
「そんな優しいこと言われるって変な感じ」
「そ、そう?ごめん」
「何で謝るの?おもしろーい!」
けらけらと笑うセリスをアントンが睨む。確かに何が面白いんだよ、とは思うけど彼が睨むのは違う理由からだろう。仲良くすんな、とでも言いたい感じだ。ふとサラの手が止まっているのに気が付き彼女の顔を見る。無表情で前を見ていた彼女だったが、次の瞬間にはテーブルに視線を戻していた。何だかぼーっとした様子にローザちゃんと同じ啓示の力でもあったのかな、なんて考えていると肩を叩かれる。
「リジアの短剣、これかにゃ?」
振り向くとタンタがわたしのダガーを手に持って立っている。昨日、ここで呪文を使った際に床に突き刺してそのままだったんだよね。
「そうそう!ありがとう」
お礼を言うとわたしはタンタの頭を撫でてやる。顎を伸ばしてごろごろいうのを見ると本当に猫にしか見えない。暫くごろごろ言っていたタンタだったが、ゆっくり目を開くとわたしの顔を見た。
「また寂しくなるにゃあ」
その言葉に胸がぎゅうっとして思わず眉が下がる。
「また来るし、村の人とも……」
『仲良くね』と続けようとして思い出した。村のあちこちに掲げられた旗の猫のマークとウェイトレスの女の子の話しだ。
「そういえば村の人に聞いたんですけど」
わたしはバレットさんに村がタンタ達、猫で村興しを考えているという話しを尋ねてみた。バレットさんは何度か目をぱちぱちさせると口を開く。
「あー、その話しねえ、一応断ったんだけどね。この辺じゃ『マーユ族』は珍しいし彼らの性格上、良くない人に連れ去りとかも起こりうるわけで」
確かにこんな働き者の種族、家にいたら便利とか考える人は少なくないだろうな、と思う。
「だからあんまり有名にはなって欲しくないわけ。皆が皆そんな心ないとは思っとらんけどねー。でも中にはいるっていうのは変えられない事実だし、守る力はわしには無いし。……だからあの旗と猫のマークを使うことは了承したって経緯なんだけど」
バレットさんは話し終えると「んー」と言いながら眉間に皺寄せた。あんまり深刻そうには見えないけどバレットさんなりに気にはしてるみたいだ。するとフロロが軽い声を上げる。
「俺の仲間に声掛けるよ。なるべくこの村を利用するように手当たり次第呼びかけさせる。二、三日したらこの村モロロ族でいっぱいになるよ」
「モロロ族のマークにしちゃうって事ね」
わたしが聞くとフロロは大きく頷いた。
「盗賊ばっかりだから目を光らせることも出来るしね。流れの細工師も多いから、物流も増えるぜ」
ふふん、と胸を張るフロロを皆尊敬したように眺め、手を叩く。確かにモロロ族って万能だよね。子供みたいだけど。しかし……、
「でもやかましくなるわねえ、この村」
わたしが思っていた事をローザが呟くと、フロロはふんと鼻を鳴らした。
「そのくらい我慢してもらおうぜ。何、毎晩宴会するくらいだから」
充分うるさ過ぎるだろ、という気もするし学園のモロロ族を見てると昼間から常にうるさいんだけどな、と思ってしまった。