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8.ゴールテープ

 県大会の日。

 修一(しゅういち)の出る陸上競技場は、観客で(にぎ)わっていた。

 友也とエリックは一緒にスタンドに座り、修一のレースを待っていた。

 スタートの合図が鳴る。

 修一が風を切って走り出す。

 エリックが立ち上がり、声を張り上げた。


「修一! いけーっ!!」


 その声に、友也の胸がちくりと痛んだ。

 面白くない。


 レースが終わると同時に、友也はエリックの腕を掴んだ。


「ちょっと来い」


 人のいないスタンド裏、物置の影に引っ張っていく。

 エリックが驚いた顔でついてくる。


「どうした?」


 友也は答えず、突然エリックをきつく抱きしめた。

 腕に力を込めて、離さないように。


「……友也?」


 エリックが小声で尋ねる。

 友也は、決まり悪そうに、耳元で(つぶや)いた。


「他のやつを……夢中になって見てんの、嫌だ」


 エリックが息を呑むのがわかった。

 そのとき、場内にアナウンスが流れた。


『──ベストタイム更新! 優勝、修一選手!』


 歓声が沸き起こる。

 でも、二人は動かなかった。

 友也はゆっくりとエリックを離し、目を合わせた。


「……帰ろう」


 エリックが、くすりと笑った。


「修一、置いてくの?」

「置いてく」


 二人は競技場を後にした。


 帰り道、エリックはいつものように視線を集める。通りすがりの人たちが振り返り、女子高生が(ささや)き合う。

 友也は自然とエリックの横に立ち、少し前に出て、ガードするように歩いた。

 エリックが、ちらりと友也を見て、小さく笑った。 

 友也は無言で手を差し出した。

 エリックが、ためらわずにその手を握り返す。

 春の風が、二人の間を優しく通り抜けていった。


 エリックの家の玄関を閉めた瞬間、外の喧騒(けんそう)がぷつりと途切れた。

 夕陽がカーテンの隙間から差し込み、部屋を柔らかな橙色(だいだいいろ)に染めている。

 友也は一歩踏み出すなり、エリックの手首を掴み、壁際に押しやった。

 背中が壁に触れる音が小さく響く。

 エリックが息を呑む。友也は両手を壁について逃げ道を塞ぎ、真正面から瞳を覗き込んだ。

 その距離は、睫毛が触れそうなほど近い。

 友也は、ためらうことなく唇を重ねた。

 強く、深く、抑えていたすべてを注ぎ込むように。

 エリックの唇は最初驚いたように固く、それからゆっくりと溶けるように開いた。

 友也は体を密着させ、胸と胸を重ね、心臓の早鐘が互いに響き合うのを感じながら、キスを深くした。

 長い、長いキスだった。

 やがて、友也はわずかに唇を離し、額と額をそっと合わせた。

 息が熱く絡み、声は(かす)れて、堪えるように零れた。


「……お前を、(けが)せない。手は出せない」


 エリックが目を開く。瞳が揺れている。

 友也は目を閉じたまま、静かに続けた。


「大切だから。大事にしたいから」


 その言葉は、胸の奥から絞り出された本音だった。

 友也はもう一度目を開け、まっすぐにエリックを見つめ返した。

 エリックが、かすかに息を震わせる。


「お前の欲望……汚くないよ。僕にぶつけてほしいだけ。熱く、強く、たぎったものを。ただ、それだけ」


 エリックの瞳に、涙が光った。


 友也は微笑んだ。穏やかに、優しく。

 自分の中の熱を「汚いもの」だと封じ込めようとしたのに、それを真正面から受け止められた。


「信じてくれて、ただ……隣にいてくれればいい。それだけで、僕には十分だ」


 エリックが、震える唇で言う。

 

 友也は再び唇を重ねた。

 今度は優しく、ゆっくりと。


 一度離れて、また重ねる。

 角度を変え、深さを変え、ただ触れ合うだけの浅いキスもあれば、息が混じり合うほど深いキスもある。

 何度も、何度も。

 離れるたびに額を合わせ、瞳を見つめ合い、すぐにまた唇を求める。

 エリックが、友也の背中に腕を回した。

 友也も、エリックの腰を強く抱き寄せた。

 夕陽が沈み、部屋が薄闇に包まれても、二人は離れなかった。

 ひたすら唇を重ね、息を交わし、体温を分け合った。


 外の世界は遠く、二人だけの、静かで熱い時間が流れていた。


読んでくださり、ありがとうございます。


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