7.雪解け
屋上の風が、ますます冷たくなった。灰色の空の下、二人はフェンスの前で、見合っていた。
エリックの瞳は、強がりの仮面を脱ぎ捨て、剥き出しの感情をさらけ出している。
「僕のこと……完璧に見えるって、みんなそう思うだろ。僕だって」
エリックの声は低く、震えていた。
「外見で人を惹きつけてるって、自分でもわかってる。でも、僕自身、本当の僕はなんなのか、疑うんだ。みんな、外見しか見てないんじゃないかって……だから、意識しすぎるのをやめたかった」
彼は一歩、また一歩と友也に詰め寄る。距離がなくなるほど近く、息が触れ合う。
「君が、僕の中身がいいって言うなら……だったら、外見を、君の手で穢してよ。本当に悪かったと思ってるなら。僕の外見で、親しくしてないって言うなら……証明して」
その紡ぐ言葉は、哀願にも、切迫詰まったようにも、誘惑にも、同情を欲するようにも、響いた。
「友也の手で、めちゃくちゃにしてよ」
完璧と言われる自分を、誰かに壊してほしかった。外見の呪縛から解放されたかった。そして、それが友也の手であること――それが、長年の、一番の望みだった。
友也は、息を呑んだ。
エリックの顔が、すぐそこにある。羨望してやまない完璧な美。神々しいほどの容姿。
この手で、汚せる。
自分のものにできる。
あたかも、自分がその美を手に入れたみたいになれる。いや、むしろ、美の方からかしずかれているような――
胸の奥で、熱い衝動が湧き上がる。指先が震える。エリックの肩に触れそうになる。
でも、同時に、別の声が響く。
(……違う)
これは、ただのコンプレックスの裏返しだ。
穴を埋めようとして、渇望しているだけ。自分の「普通」を、少しでもごまかそうとしているだけ。
エリックを汚すことで、自分が優位に立てた気になれる、醜い欲だ。
友也は拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。
エリックの瞳が、期待と不安で揺れている。息が荒く、唇がわずかに開いている。
拒絶されたら、もう立ち直れないかもしれない――そんな脆さが、そこにあった。
友也は葛藤した。
壊したい。触れたい。自分のものにしたい。
でも、それでは、エリックをまた傷つけるだけだ。自分の弱さを、エリックに押し付けるだけだ。
「エリック……」
声が掠れる。友也は目を閉じた。
「俺は……まだ、わからない。でも、こんな風にお前を汚すのは、違うと思う」
友也はゆっくり目を開け、真っ直ぐにエリックを見た。
「お前の外見が、羨ましかった。でも、今は……それだけじゃないって、わかってる。だから、こんな形で証明、したくない」
風が、二人の間を吹き抜けた。
エリックは、唇を噛んだ。瞳に涙がにじむ。でも、どこかで安堵してもいた。
友也は、まだ答えを出せないが、でも、初めて、自分の欲の醜さを直視した。
屋上の空は、灰色のままだ。
数週間が過ぎ、少しずつ春めいてきた。
エリックは、友也の隣にいるようになった。
朝のホームルーム前、休み時間、放課後。自然と友也の隣の席に座り、ぼーっと窓の外を見たり、友也のノートを覗き込んだり。以前のように女子たちの輪に加わることも減り、遊びの誘いも「今日はいいよ」とさらりと断る。見知らぬ他人に隙を見せて友也を心配させるようなことも、もうない。ただ穏やかに、静かに、友也と過ごす時間を増やしていった。
「よかったな、友也。エリックとまた仲戻って」
陸上部の練習後、部室で修一が笑顔で言った。友也は照れくさそうに頷く。
修一がエリックに近づき、肩を軽く叩こうとした。エリックも笑って受け止めようとした瞬間――友也の手が反射的に割り込み、二人の間に割り込んだ。
「っ……!」
修一とエリックが同時に「え?」と顔を見合わせる。
友也は慌てて手を引っ込め、顔を赤くした。
「……なんでもない」
二人は首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
学校から帰宅して、エリックの部屋で友也は携帯をいじっていた。修一にメッセージを送った。
『俺の魅力って、なにかな?』
返信はすぐに来た。
『は? 急にどうした(笑)
エリックに聞けよ。あいつなら、全部知ってるだろ』
友也はスマホを握りしめ、ため息をついた。ベッドで本を読んでいるエリックを見た。
「……エリック」
「ん?」
「俺の……魅力って、なんだと思う?」
エリックは本を閉じ、友也の方を向いた。最初は照れたように目を逸らし、次に少しおどけて笑った。
「急に何だよ……恥ずかしいな」
それでも、断片的に、ぽつりぽつりと答えてくれる。
「真っ直ぐなところ、かな」
「人を応援したり、助けたり、守ったりするところ」
「ちゃんと謝れて、自分の考えを改められるところ」
「人間的に……信頼できるところ」
一つ一つが、友也の胸に染み込んでいく。
今まで「普通」だと思い込んでいた自分が、誰かにこんな風に見られていた。エリックがちゃんと見ていてくれていた。
友也の中の、固く結ばれていた何かが、ゆっくりとほどけていった。
そして、温かいものが込み上げてくる。
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