6.修復
部室の片隅、夕方の光が薄汚れた窓から差し込んでいた。
修一は練習着のまま、友也の前に立っていた。表情が、いつになく硬い。
「エリックと何があったんだよ」
突然の問いかけに、友也は用具入れが収まるロッカーの扉を閉める手を止めた。
最近、修一は過ごす時間が増えるにつれ、友也が自分を「普通」だと思い込み、親しくなる相手にどこかで比べ、嫉妬する癖に見抜き始めていた。
友也は答えず、視線を逸らす。
修一は一歩近づいた。
「エリック、最近全然口きかなくなっただろ。クラスでも、グラウンドでも。お前しか心当たりがない。話せよ」
声に怒りが混じる。
修一はエリックに、応援してもらえたこと、練習に顔を出してくれたことが嬉しかった。それが突然なくなった理由を知りたい。
友也はため息をつき、渋々口を開いた。
「……俺、エリックに、ひどいこと言った」
「ひどいこと?」
「電車で痴漢に遭うの、あれはお前が望んでたんじゃないかって……そんなこと、言ったんだ」
修一の顔が一瞬で変わった。目を見開き、拳を握りしめる。
「お前……本気でそんなこと言ったのか?」
友也は俯いたまま、頷く。
「本心じゃない。エリックがみんなにチヤホヤされてるのが羨ましくて……俺は普通なのにって……俺が痴漢を、毎回追っ払ってた」
修一は深く息を吐き、怒りを抑えるように天井を見上げた。それから、静かに、しかし鋭く言った。
「友情を、自分のコンプレックスの穴埋めにすんなよ」
友也が顔を上げる。修一の目は真っ直ぐで、失望の冷たさと怒りの熱が混じっている。
「俺と友達になったのだって、お前は最初、俺のこと『スター選手』って遠くから見てたろ。それが近づけたから嬉しかったんだろ? エリックに対しても同じだ。お前は、俺たちと一緒にいることで、自分の『普通』を少しでも誤魔化そうとしてる」
友也は言葉に詰まった。図星だった。
修一は続ける。
「誰も、痴漢を望むわけないだろ? お前だから、痴漢に遭っても守ってもらえると、信頼してたんだろ。それを、お前は踏みにじった。最低だよ、友也」
修一の声が少し震えていた。
「エリックに、ちゃんと謝ってこい。全部取り消すって言え。友情に一番大事なのは、信頼することだろ。それを裏切らないことだろ」
友也は唇を噛んだ。涙がにじむのを堪える。
「……わかった」
「わかった、じゃねえよ。エリックが傷ついてるんだ。お前が原因なんだから、責任取れ」
修一はぶつけるように言い切って、部室を出て行った。ドアが閉まる音が、静かに響く。
友也は一人残され、壁に背中を預けた。胸が締め付けられるように痛い。修一の言葉が、すべて正しかった。自分の弱さ、醜さ、すべてを突きつけられた。
エリックに謝らなければいけない。
でも、どう顔を合わせればいいのか。
友也は初めて、自分のコンプレックスが、周りの人をどれだけ傷つけていたかに気づいた。
冬の風が強くなっていた。グラウンドはもう誰もおらず、ただ静かに、日が暮れていく。
数日後のこと。屋上の扉を開けると、冬の風が容赦なく吹き込んできた。友也が呼び出していた。コートを着たエリックはいつもの場所、フェンスの前に立っていた。背中を向けたまま、こちらに気づいても振り返らない。
友也は深呼吸をして、ゆっくり近づいた。
「……エリック」
声は小さく、風にかき消されそうだった。
エリックは微かに肩を震わせた。
「用?」
冷たい声。いつものハスキーな響きが、氷のように鋭い。
友也は立ち止まり、言葉を探した。謝ろう。それだけは決めてきた。でも、仲直りなんてしていいのだろうか。自分のコンプレックスが、またいつ爆発するかわからない。またエリックを傷つけるかもしれない。そう思うと、足がすくむ。
でも、謝るだけはしなければ。
「この前……俺が言ったこと、全部本心じゃない。本当に最低なこと言って、ごめん。痴漢の話、俺は信じてやれなかった。本当に、ごめん」
エリックはゆっくり振り返った。表情は硬く、目はどこか遠くを見ている。
「謝罪、受け取った。もういいよ。僕も、傷つきやすいところ見せすぎた。お互い様だろ」
強がっている。それがわかる。声に力がなく、視線が合わない。
友也は一歩踏み出した。
「違う。俺だけが悪い。エリックは……エリックは、すごくいいやつだって、俺、知ってるから」
エリックが眉をわずかに動かした。
「外見だけじゃなくてさ。片想いの辛さとか、ちゃんとわかるところ。みんなに優しくて、紳士で、家柄いいのに全然驕ってないところ。そういうところが、すごく……いいって思う」
言いながら、友也は自分の声が震えているのに気づいた。本当のことだった。外見もさることながら、羨ましいと思っていた中身の部分を、初めて言葉にした。
エリックの瞳が揺れた。一瞬、口元がゆるむ。でも、すぐにまた冷たい笑みを浮かべる。
「へえ、そうなんだ。で、また元に戻って、幼馴染しろって?」
「それは……」
友也は言葉に詰まった。今回は許されたとて、自分がまた同じことを繰り返すのが怖い。
エリックは一歩近づいた。距離が縮まり、友也の心臓が激しく鳴る。
「ねえ、友也。聞いてもいい?」
声は静かだが、どこか挑戦的だ。
「僕、みんなと仲良くしていいの? 修一とも。これからも、応援したり、話したり。それとも……自分の友達である修一には、近付かないでほしい?」
友也は息を呑んだ。
エリックは続ける。
「そんなの、変だよな。修一を独占したいの? それとも……僕を?」
友也の頭が真っ白になった。
(独占……?)
胸の奥で、一つのことがはっきりした。エリックがみんなと仲良くしているのが嫌だった。笑顔を向けるのが嫌だった。修一に近づくのも、誰にでも優しくするのも。
自分が、それを独占したかった。
でも、なぜ?
「俺……そんなつもりじゃ……」
声が掠れる。混乱が顔に出ているのがわかる。
エリックはさらに一歩詰め寄った。目は真剣で、どこか切なげだ。
「だったら、はっきり言ってよ。僕のこと、どう思ってるの?」
友也は後ずさり、フェンスに背中が当たる。
エリックはすぐそこまで来て、囁くように言った。
「僕を……汚してよ」
友也の心臓が止まりそうになった。
エリックの瞳は、強がりの仮面の下で、震えていた。拒絶されるのを恐れながら、それでも一歩踏み出そうとしている。
風が二人の間を吹き抜ける。
友也は、まだ答えを出せなかった。ただ、胸の奥で熱いものが膨らんでいくのを感じていた。
それは、コンプレックスでも、羨望でもない。もっと違う、名前をつけられない感情だった。
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