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『異世界ダイナリー〜創造神に選ばれた僕は、婚約破棄された公爵令嬢リリスを全力で幸せにします〜』  作者: ゆう
第三章 揺らぎ出す王都と、ひとつの恋心

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第38話「婚約者としての顔、恋を知った素顔」

第38話「婚約者としての顔、恋を知った素顔」


 翌朝、ヴァルトニアの城塞都市はいつも通りに動き始めていた。


 鐘の音が街に広がり、職人たちが工房を開き、村からの荷馬車が城門をくぐる。

 昨日までと何も変わらない風景――だが、ユウにとっては少しだけ違って見えた。


 執務室の扉がノックされる。


「失礼いたします。ユウ様」


 入ってきたのはリリスだった。


 淡い色のドレスに、きちんと結い上げた髪。

 背筋は伸び、視線はまっすぐ。

 昨日、肩を預けていた少女とは思えないほど、整った“婚約者としての姿”だった。


「本日の予定を確認いたしますね」


「ありがとう。助かる」


 マリアが用意した書類を手に、リリスは淡々と読み上げていく。

 村からの報告、資材の割り振り、次の工事区画。


 声の調子も、言葉の選び方も、完全に公のものだ。


(切り替えが早いな……)


 ユウは内心で感心しつつ、同時に少しだけ寂しさも覚える。


 だが、それは否定すべき感情ではない。


「午後はモルティ村ですね。畑の排水路が予定より早く仕上がったとのことです」


「確認に行こう。数字だけでは分からないこともある」


「承知しました」


 そこで一瞬だけ、リリスの視線がユウに向いた。


 ほんの一瞬。

 だが、そこには昨日の名残のような柔らかさが宿っていた。


 すぐに視線は書類へ戻る。


「……それでは、準備を整えてまいります」


 そう言って退出する背中は、非の打ちどころのない婚約者だった。


     ◇


 昼過ぎ、城塞都市の中庭。


 視察へ向かう前の短い待ち時間。

 ユウが外気を吸っていると、足音が近づいてきた。


「ユウ様」


 振り向くと、そこにリリスが立っていた。

 今度は、従者も役人もいない。


「どうした?」


「……少しだけ、お話を」


 声が、わずかに低い。

 公の場では聞かせない調子だ。


 二人は並んで歩き、建物の影に入る。


「先ほどは……少し、よそよそしかったでしょうか」


「仕事中なら、あれでちょうどいい」


「……そう言っていただけると、助かります」


 リリスは小さく息を吐いた。


「私、まだ慣れていなくて。

 婚約者として、領主の隣に立つことも……

 その一方で、ユウ様に対して……」


 言葉が途切れる。


 ユウは急かさない。


「……昨夜のことを、引きずっているように見えたら困ると思いまして」


「困らないよ」


「……え?」


「引きずっているなら、それは悪いことじゃない」


 リリスの目が、少し大きくなる。


「むしろ、忘れられるほうが……僕は嫌だ」


 一瞬の沈黙。


 そして、リリスの頬が、ゆっくりと赤くなっていく。


「……そのようなことを、平然と仰るのですね」


「事実だから」


「本当に……ずるい方です」


 声は小さいが、確かに甘い。


「公の場では、きちんといたします。

 婚約者として、領主の隣に立つ覚悟もあります」


「うん」


「ですが……」


 リリスは一歩だけ近づいた。


「こうして二人きりのときまで、完璧でいるつもりはありません」


「それでいい」


「……よろしいのですか?」


「むしろ、そのほうが安心する」


 リリスは一瞬迷い、それから、ほんの少しだけ微笑んだ。


「では……また、時々。

 学園にいた頃のように……」


「もちろん」


 短い会話だったが、互いの距離は確かに縮まっていた。


     ◇


 視察を終え、夕方。


 城塞都市に戻る馬車の中で、リリスは窓の外を見ていた。

 その横顔は落ち着いているが、どこか柔らかい。


「今日は、どうでした?」


「思った以上に進んでいました。

 村の方々も、自分たちの土地として考え始めています」


「それは……良かったです」


 言葉は丁寧だが、声にほっとした色が混じる。


「ユウ様が築こうとしているものは、数字や建物だけではありませんね」


「人の意識、かな」


「はい」


 リリスは小さく頷く。


「……私も、同じです」


「?」


「婚約者として、領主の隣に立つ自分と……

 ユウ様の前で、素直でいたい自分」


 彼女は静かに続ける。


「どちらも、偽りではありません。

 ただ……使い分けるだけです」


 ユウは、それを否定しなかった。


「無理のない範囲でいい」


「はい」


 短く、だが確かな返事。


 馬車は城門をくぐり、夕暮れの中へ進んでいく。


 公の顔と、私の顔。

 婚約者としての距離と、恋を知った距離。


 その両方を抱えながら、二人は同じ未来へ向かって歩いていた。


 まだ急がず、まだ慎重に。

 だが、確かに――並んで。

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