第33話「領地に満ちる息吹と、一通の書簡」
第33話「領地に満ちる息吹と、一通の書簡」
ベイル村へ向かう道は、前よりも明るく感じられた。
以前は湿地の気配を帯びた冷たい風が吹いていたこの場所にも、今は乾いた土の香りと、村で燃やされる薪の匂いが重なっている。
ユウとマリアは、荒れ地に残る草の間を縫いながら村へ歩いた。
ベイルの入り口へ近づくと、見張りをしていた若者が、ほとんど跳ねるように走り寄ってきた。
「ユウ様っ! 本当に来てくださったんですね!」
「急ぎの知らせだったからね。状況を直接見せてほしい」
「は、はいっ……! 村長が窯の前でお待ちしております!」
若者は胸いっぱいに嬉しさを詰め込んだような声で先導し、ユウはその背を追った。
炭焼き窯の集まる一角は、どこか熱気に満ちていた。
村人たちが窯の周りに集まり、ざわざわと落ち着かず動いている。
その中央で、村長が木箱を抱え、汗を浮かべながら頭を下げた。
「ユウ様……! どうかこれをご覧ください!」
箱の中には、白炭がいくつも並んでいた。
その表面は、これまでの白炭とはまるで違う。
細かいひびも少なく、白い膜が均一に広がり、軽く指で叩くと――
**カン、カン――**と澄んだ音が鳴る。
マリアが感嘆の声を漏らした。
「……まるで宝石のようです。白炭が、ここまで質を変えることがあるのですね」
「変えたのは、この村の人たちだよ」
ユウは静かに答え、炭をひとつ持ち上げる。
重さは均一、内部の密度も高い。
湿地が乾き始めたことで窯の温度が安定し、燃焼の揺れが減った。
「窯を管理していた人たちが、温度変化を細かく記録してくれたろう?
その積み重ねが、この品質につながったんだ」
村長は涙ぐみながら、炭を胸に抱きしめるようにして言った。
「ユウ様……! こんな……こんな炭が焼ける日が来るとは……」
「これは始まりだよ。
この領地は“変わろう”とする力を、皆が持っている」
その言葉に、村人たちは顔を上げた。
誰も言葉を返さない。
だが頬の強張りがほどけ、目の奥に自信の火が灯る。
村が未来へ踏み出す瞬間――
その空気が、確かにここにあった。
マリアがそっとユウに寄り添う。
「……ユウ様。ラディス村で土の話をしたときもそうでしたが、
あなたの言葉は、人々に前を向かせるのですね」
「僕の力じゃないよ。
この領地のみんなが、協力してくれるから」
マリアは微笑み、しかし胸の奥で小さく疼くような感情を抱えていた。
(この方の隣に立つ人は……きっと、とても幸せになる。
それはもちろんリリス様で……そのことに何の不満もないはずなのに。
なのに、どうして私は――胸が少し痛むのでしょう)
だが、表情には出さない。
従者として、ユウの力になれることこそ、自分の誇りなのだから。
ベイル村で視察を終えると、ユウとマリアは城塞都市へ戻った。
太陽が傾き、城壁の影が長く伸びていく。
都市の入り口では、兵士たちが道の掃除をしていた。
その横には、大きな木箱が並び、中でスライムがゆっくりと動いている。
「スライムによる汚水処理、ずいぶん軌道に乗り始めましたね」
「うん。菌の分解が安定してきている。
あと数日もすれば、都市の井戸の水質にも変化が出るはずだ」
マリアは目を見開く。
「井戸の水まで……!」
「公衆衛生は、命そのものと繋がる。
一番大事な場所から変えていかないとね」
都市の中心へ向かうと、商人の姿が増えていった。
荷を積んだ馬車、行商の声、小さな子どもが走り回る音。
そのすべてが、ゆっくりと温かい色を帯びている。
(この都市は……息を吹き返しつつある)
ユウは確かな手応えを感じていた。
城塞都市の領主館に戻ると、執務室の机の上に一通の書簡が置かれていた。
封蝋には、見間違えようのない紋章――
グレイハルト公爵家。
マリアが驚いて小さく息をのむ。
「……リリス様の御実家から?」
「うん。恐らく、僕か領地宛の正式な便りだ」
ユウは封を切り、丁寧に紙を広げる。
最初の文字は、公爵オルフェンの筆跡だった。
『ユウ・ヴァルトニア殿
そなたの領地改革が順調であると聞き、心より喜ばしく思う。
領地の変化は、リリスもまた楽しみにしている』
そこまで読んだところで、ユウはふと息を止める。
その続きには、もう一枚、別の紙が重ねられていた。
淡い香りのついた、細やかな筆致。
――リリスの手紙だった。
『ユウ様へ
ヴァルトニアの風景が、日ごとに形を変えていくと聞いております。
私も、その変化をこの目で見たいと思っております。
公爵家より許可をいただき……
来週、ヴァルトニアへ伺うことになりました』
そこまで読んだ瞬間、ユウの胸が大きく揺れた。
文字には丁寧さがある。
しかし、その奥に隠しきれない期待と、ほんの少しの甘さが滲んでいた。
マリアも、そっと手を口元に添えた。
「……リリス様が、いらっしゃるのですね」
「ああ。
彼女に……この領地を見てもらえるんだ」
ユウの声は、静かに震えていた。
喜びとも、緊張ともつかない――
ただ、大切な人を迎える前の純粋な高鳴り。
マリアは表情を崩さず、深く頭を下げる。
「では、迎え入れの準備を進めましょう。
リリス様が快適にお過ごしいただけるよう、すべて整えてみせます」
「マリア……本当にありがとう」
「いえ。私は、ユウ様のお役に立てることが誇りなのです」
その言葉には、わずかな揺れがあった。
(リリス様は……ユウ様の婚約者。
その方がいらっしゃるのは当然で……私は従者として、それを支える役目。
それなのに……どうして胸がきゅっとするのでしょう)
マリアは心の奥に生まれたその痛みを、自分でも持て余していた。
しかし、顔には一切出さない。
出してはいけない。
ユウが幸せになる道ならば――
自分はその道を掃き清める存在でいればいいのだ。
ユウは窓辺に立ち、夕陽の色を見つめた。
風が領地の方向から吹き抜けていく。
「……リリスに、胸を張って“来てよかった”と言ってもらえるようにしないと」
「はい。ユウ様なら、きっとそうなさるでしょう」
夕陽は二人を照らし、城塞都市はゆっくりと夜に染まっていく。
そして――
ヴァルトニアに“未来の妻”が訪れるまで、あと七日。
領地も、村も、都市も。
ユウ自身の心も。
ゆっくりと動き、確かに前へと進んでいた。




