第3章・29話 城塞都市会議、動き出す
第3章・29話 城塞都市会議、動き出す
城塞都市に到着してから十日ほどが過ぎたころ、ユウは執務室の机に積まれた報告書を一枚ずつめくりながら、深い思案の中にあった。
文字こそ並んでいるが、そこに“街の姿”が見えてこない。数字だけが淡々と綴られ、誰の目で確認されたのか、どんな問題が起きているのか、その核心が抜け落ちている。
「ユウ様、読み込みは進んでいますか?」
マリアがそっと入室し、机の上の紙束に視線を落とした。
「進んでいるようには見えないだろうね。実際、これでは何も判断できない。問題が整理されていないから」
「では……会議を開く必要がありますね」
「そう思っていたところだよ。役所の人間だけではなく、各区域の代表にも来てもらうつもりだ。市場、住宅街、河川地区、外壁管理。街を動かしている人間の声が欲しい」
マリアは静かに頷き、準備に取りかかるため部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、ユウは都市全体の姿を脳裏で組み立てていく。
城塞都市はヴァルトニア領の心臓だ。この街が正しく回れば、周囲の村々にも確かな光が届く。
だからこそ、最初に整えるべきなのはここだった。
翌日の正午。
行政会館の広い会議室には、重苦しい緊張が漂っていた。石壁に囲まれた部屋の中央に長い卓が置かれ、十人ほどの代表者が座っている。ユウが入室すると、ざわつきがわずかに広がった。
「あれが……男爵様か」
「想像よりずっと若いな……」
「口先だけでなければいいが……」
その囁きが耳に入ったが、ユウは微動だにしない。
マリアは静かに彼の背後に立ち、余計な声を退けるように鋭い気配を放つ。
「集まってくれてありがとう。今日は、この都市が抱えている問題を共有し、改善の道筋を決めるための場だ。責任追及ではない。都市を動かすための会議だ」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
最初に口を開いたのは市場地区の代表だった。
「まず……何から手をつけられますか? 市場でしょうか」
「市場から始める。ここが都市の流れを作っている。人と物が交わる場所が整えば、都市全体の循環も良くなる。税収も上がるし、改善に使える予算も増える」
治安担当の男が腕を組んだ。
「だが、市場を整えても裏路地は荒れたままだ。治安は悪化し続けるぞ」
「だから同時に扱う。市場と路地、そして下水は一本の線で繋がっている。どれか一つだけ改善しても機能しない」
ユウは卓上に広げた地図を指で示した。市場を中心に、路地が複雑に絡み合って広がっている。
「市場の通路幅は不均一で、荷車と人がぶつかる。露店が増えすぎて、歩く場所が曖昧になっている。本来の通りの形が消えているんだ。だからまず、通路の幅を均等にし、露店の配置を整理する」
「整理……ということは、追い出される店も?」
「ないよ。誰も排除しない。ただ“並べ直す”だけだ。人が動ける道を作れば、商売もしやすくなる」
安堵が広がり、商人たちの表情が緩んだ。
次に挙手したのは行政系の役人だった。
「下水の件ですが……詰まりは長年の問題で、改善には多くの人手と金が必要で……」
「必要なのは方向性だ。無駄に使う必要はない。汚水処理にはスライムを活用する」
「スライム……ですか?」
「もちろん、安全性は確認している。危険な種類は使わない。管理方法は僕が指示する。ただ流れを作るだけで良くなる場所もあるはずだ」
役人たちの間にざわめきが走った。
そこで、マリアが静かに一歩前へ出る。
「干拓地で同じ方法を既に用いております。効果も安全性も確認済みですので、ご安心ください」
マリアの落ち着いた声に、緊張がほどけていく。
この一言が、会議の空気をひっくり返した。
それからは、各地区の課題が矢継ぎ早に挙がった。
路地の崩落した石段、外壁の補修、井戸の汚れ、夜間の灯り不足。
一つ一つにユウは丁寧に向き合い、点を線に繋いでいく。
「問題を抱えているのは、都市が生きている証拠だ。
変えられないものはない。方法さえ知れば、必ず動く」
その姿は、誰もが“子ども”と思っていた少年ではなかった。
会議が終わるころには、参加者たちの表情は明らかに変わっていた。
会議室が静かになり、人々が去っていったあと、ユウは深く息を吐いた。
「……やっと、都市が動き始める」
「とても素晴らしい会議でした、ユウ様」
マリアがお茶をそっと置き、その香りが心をほぐすように広がる。
「皆様の不安が、あなたのお言葉で溶けていくのを感じました。とくに市場の再配置案は、誰も排除せず利益を守るものでしたから」
「市場は生活の中心だからね。あそこが乱れていると、都市全体も乱れる。今日の会議で、皆が“改善はできるものだ”と感じてくれたはずだ」
ユウは窓の外に広がる雑然とした街並みを見下ろした。
石造りの建物が並び、路地では人々が行き交い、子どもの声が響く。
まだ未完成の都市。それでも、未来へ向かう気配があった。
「マリア。今日の議事録をまとめたら、視察に行く地区の順番を決めよう。動き出すなら、早いほうがいい」
「はい。すべてユウ様のご判断に沿って準備いたします」
マリアの柔らかな微笑みを見ると、胸の奥に温かいものが灯る。
(この領地を築く旅の中で、隣にいるのがマリアで、本当に良かった)
その思いを言葉に乗せることはしない。
ただ、未来を描く地図の上に、自然と二人分の足跡が浮かぶような、そんな感覚があった。




