第三章 新しい領地と、始まる未来 第二十四話 マリアが築いた七日間と、動き始めるヴァルトニア
第三章 新しい領地と、始まる未来 第二十四話 マリアが築いた七日間と、動き始めるヴァルトニア
マリアがヴァルトニアに来てから、ちょうど七日が経った。
朝の光が領主館の窓から差し込む頃には、すでに館の中は静かに動き始めている。
廊下には清潔な布の匂いが漂い、執務室には書類の整然とした列が広がっていた。
すべて――ここ一週間でマリアが整えたものだ。
ユウは、執務机の前に立ち、改めてその変化を目で確認していた。
(……七日間でここまで変わるのか)
領地に来たばかりの頃、机は必要なものや調査道具で雑然としていた。
書類を探すたびに時間を取られ、休む場所と働く場所が曖昧なまま、気づけば夜が更ける日々だった。
けれど今――
一枚の紙を探すにも迷うことはない。
何を優先すべきかがひと目で分かり、外に出る支度も整っている。
すべて、何も言わずともマリアが整えてくれていた。
「ユウ様、本日のご予定を確認いたします」
ノックも軽やかに、マリアが執務室へ入ってくる。
その手には、見やすく並べ替えられた今日の行程表。
「午前は南東の排水路の点検ですね。昨日の雨で沈殿が増えている可能性があります。
午後は城塞都市の衛生管理の会議がございます。村長と衛兵隊長がいらっしゃいますので、お時間厳守でお願いいたします」
「……全部、君が調整してくれたの?」
「当然です。ユウ様が働きやすい環境を整えることは、専属メイドとして、そして補佐としての務めです」
そう言いながら、マリアは控えめに微笑む。
その笑みは、王都にいた頃よりずっと柔らかい。
(……僕が知らない間に、こんなにも支えてくれていたんだ)
七日前にマリアが到着してから、館は驚くような速さで整っていった。
寝室の環境改善、書庫の整理、厨房の効率化、そして村との連絡網の整備。
彼女の働きは、すでに領地全体の動きを変えていた。
そして――その変化は、ユウ自身にも影響していた。
「ねえ、マリア。……ここでの生活は、大変じゃない?」
「大変かどうかで申しますと……」
少し考える素振りをした後、マリアは穏やかに答えた。
「ユウ様のもとで働けるのであれば、場所は関係ありません。
むしろ、ここでは王都以上に“必要とされている”と感じられますので……私は、とても満たされております」
そう言いながら目を伏せる仕草に、胸の奥が温かくなる。
七日前、彼女を呼んだときの想いが思い返される。
(僕は……やっぱり、彼女がいないとダメなんだな)
◇
午前の視察が終わり、昼過ぎ。
館に戻ったユウを出迎えたマリアは、湯気の立つスープを差し出した。
「発酵麦のスープです。疲労が溜まりやすい時期ですので、吸収の良いものを用意いたしました」
「……本当に、何から何まで見てくれてるんだね」
「ユウ様が倒れられては、領地どころか王国の未来が困りますので」
「王国って……そんなに大げさな話じゃないよ」
「いえ。ユウ様は、そうなるお方です」
あまりにも自然に言うので、ユウは返す言葉を失った。
だが、マリアは気負う様子もなく続ける。
「それに……」
「それに?」
「ユウ様がお元気で働いてくださることは、私個人にとっても大切なことですので」
その声音は、ごく静かで、深くて――少しだけ甘い。
(……危ないな。こういう言い方は)
胸の奥が跳ねるような感覚に、自分で苦笑したくなる。
◇
午後。
城塞都市の会議が終わり、夕陽が赤く地平に沈む頃、ユウとマリアは領主館のベランダに立っていた。
黄金色に染まる湿地は、七日前と比べれば明らかに違う。
水量は減り、輪中を囲む土手の外側には新しい流れが形成されつつある。
「……見えるかな、マリア。あそこ。
輪中の第一段階が、やっと“領地の形”として浮かび上がってきた」
湿地に引かれた線のような排水路に、夕陽が反射する。
マリアは静かに頷いた。
「ええ。ユウ様が考えた輪中は、今まさに大地に息づき始めています。
この光景を見られるのは……とても、胸に残ります」
「胸に残る?」
「はい。ユウ様が築いていく未来を、こうして間近で見ることができるのは、私にとって特別なことです」
その言葉に、ユウは少し肩の力が抜けた。
「……僕も、そう思ってるよ。
ここに君がいてくれることが、特別なんだ」
マリアは驚いたように瞬きをした。
それから、わずかに目をそらし、声を落とす。
「……そのように言われると、胸に……その、温かいものが広がります」
彼女の頬に、淡い紅がさした。
◇
日が落ち、星が一つ、また一つと上るころ。
執務室へ向かうユウのあとを、マリアがそっとついて歩いた。
「ユウ様。
七日間の働きぶりを……僭越ですが、一言だけ申し上げてもよろしいでしょうか」
「もちろん。何?」
「七日前のあなたより、今のあなたは、ずっと良い表情をされています。
領地が動き出したから……というだけではありません。
“ひとりで抱え込んでいる時の顔”ではなくなりました」
ユウは、足を止めた。
「……そんなに分かりやすかった?」
「分かります。私は、ずっとお傍におりますので」
マリアは深く頭を下げた。
「どうか、これからも私を頼ってください。
ユウ様がひとりで痛むことのないよう……私は、そのためにここに参りました」
その姿は、ただの専属メイドではなく
ユウの未来を共に歩む“伴走者”のように見えた。
「頼るよ。これからも。
君がいてくれるなら……どこまででも進める」
マリアの瞳に、星の光が映る。
「……はい。
そのお言葉を、何度でも聞かせてください」
七日間。
領地は大きく動き始め、そして――二人の距離も確かに縮まっていた。




