第22話 手紙を読んだ夜
第22話 手紙を読んだ夜
王都のヴァルロード伯爵邸。
夕陽が窓辺を赤く染め、屋敷の廊下に長い影を作っていた。
マリア・ベルモンドは、主の外出中も普段どおりに仕事を続けていた。
ユウがいない邸は静かで、動くたびに衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
部屋の片付けを終え、最後に机の上を整えていると、執事が静かに扉を叩いた。
「マリア様。ヴァルトニア領より、お嬢様宛の速達が届いております」
その言葉を聞いた瞬間、胸が小さく跳ねた。
(ユウ様……)
まだ誰もいない部屋の中で、彼の名を心の中で呼んだだけで頬が熱くなる。
封書を受け取る指が震えているのを見られまいと、マリアは軽く息を整えた。
封は急ぎの印である赤い蝋で固められていた。
そこに押された紋章を見た瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
――ヴァルトニア領主、ユウ・ヴァルトニアの印。
その印が、彼が正式に男爵となった証でもあった。
(……本当に、遠くへ行ってしまわれたのですね)
封を切るのが怖かった。
けれど、開けずにいられるほど強くもなかった。
そっと蝋を崩し、細い指で手紙を広げる。
読み進めるごとに、表情がゆっくり変わっていく。
最初は不安。
次に驚き。
そして、最後には胸の奥に熱が差し込むような感覚。
そこには、紛れもない“彼の素直な言葉”があった。
『今の僕には、君が必要だ』
その一文を見た瞬間、マリアの肩がぴくりと震えた。
思わず両手で口を押さえる。
「……っ……」
涙ではない。
でも、泣き出す寸前のように胸が熱くなった。
彼は昔から素直だが、
“必要” という言葉をこんな形で使う人ではなかった。
(ユウ様……)
手紙の内容は、どれも簡潔だった。
けれど、嘘がひとつもなかった。
ユウが本当に困っていること、そして自分を求めていることが、丁寧すぎるほど丁寧に綴られていた。
マリアは椅子に座り、膝の上に手紙をそっと置く。
(……私がいないと、生活が乱れてしまうほど……)
そこまで読んだとき、マリアは頬に手を当てた。
顔が熱い。
心臓の鼓動が速くて、胸の奥がじんじん痛い。
思わず唇を噛む。
「そんな……嬉しいに決まっているじゃないですか……」
誰にも聞かれないように、震える声で呟いた。
従者として嬉しいのではない。
彼が、マリアという“ひとりの人間”を必要としていると書いたからだ。
それは、どれほど望んでも言われるはずのない言葉だと思っていた。
(私……こんなにも……ユウ様のそばにいたかったのですね)
胸に広がる感情は、長い時間の中で育っていたものだった。
今ようやく名前を持っただけだ。
彼のために働くのが嬉しくて、
彼が褒めてくれると一日中心が弾んで、
彼が困っているとどうしていいかわからなくなる。
それら全部を、言葉にした瞬間――
(これは……恋、なのでしょうね)
マリアは両手で顔を隠した。
「……マリア……しっかりしないと……」
ようやく呼吸を整え、彼女は立ち上がる。
旅の準備をしなければならない。
ヴァルトニアまで4日。
途中には山の麓の街もあるし、一日で抜けられない森もある。
危険も多い。
けれど。
(それでも行きます。――何があっても)
ユウの隣は、誰かが代わりを務められる場所ではない。
荷物をまとめるために部屋を出かけた時、ふと立ち止まり、振り返って机の上の手紙を見る。
そこに綴られた文字は、
彼が自分にまっすぐ向けた“想い” そのものだった。
「……すぐに向かいます、ユウ様」
照れを隠す必要はもうなかった。
彼は自分を必要としていると書いた。
ならば応えるのが、自分の役目だ。
マリアは深く息を吸い、胸の前で手を握りしめる。
「待っていてください。今度は……絶対に離れません」
その声は小さかったが、確かな強さを宿していた。




