第三章 二十話 魔術応用工学の夜
第三章 二十話 魔術応用工学の夜
夜の帳が静かに降りた城塞都市ヴァルトニア。昼の喧噪が嘘のように消え、遠くの番兵の足音だけが石畳を打つ。宿舎の窓から吹き込む涼しい風が、昼の湿地調査で火照った身体を冷ましていく。
ユウは机の上に地図を広げ、街灯代わりの魔石灯をひとつ点した。
――今夜は眠るつもりはなかった。
昼間見た光景が頭から離れない。
広大すぎる湿地帯。
水と泥が絡み合い、地面を踏むたびに重く沈む土地。
村人たちが「何代も前から手を入れられない」と語った理由は、見ただけで理解できた。
(このままでは、領地改革は十年単位の仕事になる。けれど……)
ユウは視線を落とす。
湿地の中心には二本の川が走り、南の山脈からの水が大河へと注がれている。本来ならば肥沃な平地になるはずの土地が、ただの泥濘として放置されている。
(時間がかかりすぎる。人手も限られる。なら……僕にできる別の方法を探すしかない)
深く息を吸い、右手を机に置く。
「――異世界ダイナリー。調べたいことがある」
呼びかけた瞬間、視界の奥に淡い光の文様が浮かび上がった。
この世界の誰も知らない“魔法体系の原典”が、ユウだけに読み取れる奇跡の書。
(検索ワードは……“魔法 土木 工学 水流 領地”)
光の文字列が高速で組み変わる。
次の瞬間、ユウは息を呑んだ。
(……ある。こんな魔法概念、この世界では見たことがない)
ページが次々と開かれていく。
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【魔術応用工学】
――失われた文明が構築した“魔法による基礎インフラ体系”
天才魔術師が体系化し、だれにも継承されず消えた魔法。
生産・衛生・地質・建築に特化した魔法群。
ユウの心臓が高鳴った。
(……これは反則だよ。完全に。この世界の誰も知らない“魔法の使い方”じゃないか)
ページの中央に一つの魔法が表示された。
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《土転写》
対象範囲の地質構造を魔力で読み取り、視覚化する。
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(地質調査を……魔法で?)
次に現れたのは、水脈を操る魔法。
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《流路形成》
水流が向かう最適経路を“魔力で仮想線として可視化”する。
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(排水路を掘る前に、地形に合った最短ルートを感覚的に把握できる……?)
さらに、泥沼を固める魔法。
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《土凝結》
泥・湿地を強固な土壌へと瞬間変質させる。
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(排水と同時に地盤整備まで……これ、一人で村一つ造れるレベルじゃないか)
そして、異形の魔法まであった。
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《簡易使い魔:泥スライム(マッドリング)》
湿地の泥から小型スライムを生成。
排水路内部の泥を吸収し、所定位置へ移送する。
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(作業効率が……桁違いすぎる)
最後の一つを見たとき、ユウは無言で目を閉じた。
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《地図術》
魔力で収集した地質・水位・地形情報を一枚の地図として自動描写する。
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(……これだ。
これさえあれば、普通なら五年かかる開発を、一年以内に圧縮できる)
深呼吸をして、立ち上がる。
(今すぐ使う価値がある……いや、僕にしか使えない)
魔石灯を消し、屋外に出る。
夜風が頬を撫でる。空気は湿り、土の匂いが強い。
ユウは湿地へと足を踏み出した。
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「――《土転写》」
足元から淡い光が広がり、周囲の地面に複雑な紋様が浮かび上がった。
水脈、硬い土、軟弱な泥層……それらがまるで透視図のように見える。
(……本当に、見える……!)
次に指を前へ向ける。
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「《流路形成》」
魔力の糸が地面へ走り、川へ繋がる“最適水流ルート”が光の線として浮かび上がる。
(このルートで排水路を作れば……最短で湿地の水が抜ける)
胸が熱くなる。
この世界で、湿地橋梁・水利開発は難事中の難事。
設計だけで数年、人足の確保にも苦労する。
だが――ユウにはもう迷いはなかった。
(これなら……僕一人で道筋をつけられる。村人たちには、作業工程だけ渡せばいい)
魔法の光に照らされた湿地を見つめ、ユウは静かに呟いた。
「僕にしかできない仕事なら、やるしかないよね」
そして最後に。
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「――《地図術》」
地面に広げた羊皮紙の上に、光が吸い込まれるように落ちていく。
数秒後。
世界に一つだけの“ヴァルトニア湿地改造計画図”が完成していた。
(……これで、道ができた)
夜風が吹く。
ユウの胸の奥で、希望と責任が静かに燃え上がる。
「リリス。必ず良い領地を作るよ。
君が胸を張って訪れることができる場所にするから」
誰も聞いていない夜に、そっと言葉を落とし、ユウは宿へ戻った。
その手には――
領地の未来を変える“魔術地図”が、しっかりと握られていた。




