3章 17話―新たな名を持つ地へ
3章 17話―新たな名を持つ地へ
叙爵から三日が過ぎた頃、王都の伯爵邸は少しだけ空気が変わっていた。
ユウに与えられた新しい爵位――男爵。
そして新たに任された領地の正式名は、ユウ自身の希望によって
「ヴァルトニア領」 と定められた。
その領地について詳しく話すため、父オグレインは書斎にユウを呼んだ。
薄く地図を広げた机の前で、父はいつもの落ち着いた声で静かに告げる。
「――これが、ヴァルトニア領だ」
ユウは父の横に立ち、視線を地図に落とした。
中央には大河が北から南へと太く走り、そこから広がった湿地帯が領地の東半分を覆っている。
南には険しい山脈。そこから二本の川が北へ向けて流れ、湿地帯の中へ吸い込まれるように合流していた。
ユウが小さく息を呑んだのは、そこではなかった。
「……村は、西側だけ、なのですね」
「ああ。三つだけだ」
父は指で地図の左側をなぞりながら続けた。
「南の山脈から北へ向かって流れる“最初の川”があるだろう。
あれは幅も深さもあって、橋がかかったことが一度もない。
渡し船も出せず、東側とは完全に断絶している」
「だから、西側にしか村がない……」
「そういうことだ」
父の言葉には淡々とした響きがあるが、そこに隠された意味は重い。
東側の湿地は、村を作れる環境ではなく、
さらに二本目の南北川がもう一つの壁となって、港候補地へも簡単に行けない。
ユウは地図に刻まれた線をじっと見つめ、思考を深めた。
「……領地の中央には、小さな城塞都市があるのですね」
「今は形ばかりの防衛地点だが、中心地としては十分だ。
あれを拠点にすれば、この領地は息を吹き返す」
父はわずかに笑みを浮かべた。
「ヴァルトニア領は“死んだ土地”ではない。
ただ、川と湿地に叩かれ続けてきただけだ。
お前の働き次第で、息を吹き返すどころか……王都が振り向く名領地にもなれる」
ユウは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
治水。干拓。橋梁。港。
できることは山ほどある。
だがその中でも、父が最初に口を開いたのは――。
「ユウ。まず見ておくべきは“人”だ。
西側の三つの村……ラディス、モルティ、ベイル。
この三つが今、領のすべてを支えている」
「……村名まで、既に把握されているのですね」
「お前の領地なのだから当然だ。
だが、その全容を見るのは、お前自身だ」
父は椅子から立ち上がり、真っ直ぐにユウを見る。
「ヴァルトニアの未来は、お前の目で見て、考え、動かなければ始まらない。
私ではなく、お前が領主なのだから」
その言葉は重く、しかし温かい。
ユウは深く息を吸い、静かに頷いた。
「……はい。必ず見てきます。
村の暮らし、土地の様子、湿地の状態、川の流れ。
そして――城塞都市がどう息をしているのか、すべて」
「それでいい」
父は微笑む。
「ただし、東側の湿地には無理に入るな。
乾季以外は足を取られ、抜けられなくなる。
それに、川を越えるには今のままでは迂回するしかない」
「つまり、東側は……完全に未開の地」
「ああ。だが、だからこそ価値がある。
王都に近く、伯爵領にも公爵領にも挟まれた土地だ。
お前が開けば――その名は遠くまで届く」
ユウはその言葉を胸の奥に刻んだ。
新たな領地、ヴァルトニア。
村は三つだけ。
道はなく、湿地は広大で、川が通行を阻む。
だが、潜在力は誰よりも理解している。
――ここなら、できる。
胸に湧き上がる確かな確信とともに、ユウは父に向き直る。
「準備が整い次第、視察に向かいます。
……僕が、この地を変えてみせます」
父は穏やかに頷いた。
「期待している、ユウ。
ヴァルトニアという名を選んだのも、お前らしい。
その名が、王都に響く日を私は見たい」
父の言葉は静かだが、確かな誇りに満ちていた。
その誇りに応えるためにも――ユウは歩き出さなければならない。
新たな地で、
新たな名で、
新たな未来を築くために。




