第16話 叙爵の日 ― 新しい名と、新しい家の始まり
第16話 叙爵の日 ― 新しい名と、新しい家の始まり
冬の王都は、朝の光が澄んでいる。
氷を含んだような白い光が、城壁を照らし、屋根瓦の端で細かく輝いていた。
叙爵式の朝。
それは、ユウ・ヴァルロードにとって“新しい人生が始まる日”にほかならなかった。
王城へ向かう馬車の中で、ユウは深く息をつく。
「……落ち着いていますね、ユウ様」
隣に控えるマリアが、穏やかな声で言った。
正装の黒いドレスに身を包み、普段よりも髪をきちんとまとめている。
「緊張はしているよ。僕なんて、まだ十一歳だからね」
「いいえ。今日のユウ様は、立派な“家を継ぐ者”の顔をされています」
マリアの言葉は、誇りと少しの寂しさを含んでいた。
ユウは微笑み、馬車の窓へ視線を向ける。
王都の街並みはすでに何度も見てきたものだが、今日は違って見えた。
——この街に、これから“自分の家”ができるのだ。
そう思うだけで、胸の奥が不思議な高揚で満たされる。
王城の大広間は、厳粛そのものだった。
絨毯の赤は深く、天井から下がる魔導灯が静かに光を落とす。
その中央、王妃陛下と国王陛下が並び、家臣たちが厳しい表情で控えていた。
「ヴァルロード伯爵嫡男、ユウ・ヴァルロード。前へ」
呼び声に従い、ユウはゆっくりと歩み出る。
足取りは重くはない。
だが一歩ごとに、自分が“戻れない場所”へ進んでいくのを確かに感じた。
「そなたの献上品、並びに領地改革の働き——王家はこれを高く評価する」
国王陛下の声は、温度を抑えた威厳に満ちていた。
「蜂蜜、化粧品、蜜蝋製品。
どれも王城内での評価は高い。
加えて、治水の成功は民の生活を大きく救ったと報告されている」
隣の王妃が続ける。
「なにより……あの夜、あなたが示した礼節と覚悟。
あれは“未来のために立つ者”の姿でしたわ」
リリスとの婚約を、公然と守った夜のことだ。
あの時、ユウが王妃に言われた言葉——
“あなたは未来を選べる子ですわ”
それが、今この場につながっている。
「よって——ユウ・ヴァルロードに男爵位を授ける」
大広間が静まり返る。
国王が手を振ると、側仕えが台座を運び、そこに一冊の帳面と、新しい紋章が置かれた。
「家名は自由に名乗るがよい。
そなた自身の家を築き、国に新たな価値を示せ」
ユウは胸の奥が熱くなるのを感じた。
——家を、作る。
——自分の名で。
言葉を選ぶ必要はなかった。
すでに、心に決めていた。
「ヴァルトニア——その名をいただきます」
王妃が小さく目を細める。
「良い名ですわ。静かで、力がある」
堂々と響く拍手が大広間に満ちた。
叙爵の儀は続く。
「新たに与える領地は——“南東辺境の峡谷地”だ」
広くはない。
だが、河川と山脈が交わる地帯で、手を加えれば大きく化ける可能性がある土地だった。
(やっぱり……ここか)
ユウは静かにうなずく。
治水の経験を活かせる。
新産業“てんさい栽培”にも最適。
人の流れを作る余地がある。
——異世界ダイナリーを最大限に活かせる土地だ。
「王都にも、小さな屋敷を授ける。
これから増える出仕や交渉に備えよ」
「ありがたく拝命いたします」
ユウが深く礼をすると、国王は満足げに頷いた。
式が終わり、退出する廊下。
並んで歩くユウの横に、そっと小さな影が寄り添った。
「……ユウ様」
振り返ると、リリスがいた。
深紅のドレスは、舞踏会のものよりも控えめだが、
彼女の生まれ持った品格を一層際立たせていた。
「叙爵、おめでとうございます。
本当に……素敵な名ですね、ヴァルトニア家」
「ありがとう。
君の名と並んだ時、違和感がないように考えたんだ」
リリスの赤い瞳がふるりと揺れる。
「そ、そんな……わ、わたくしのためなんて……」
「君のためだけじゃないよ。
でも、君のことを考えなかったと言えば、それは嘘になる」
耳まで赤く染まっていく。
「……ユウ様は、ときどき……反則です」
「また言われてしまった」
「だって……本当に、そう思うのですから……」
リリスは、他の誰も見ていない時だけ本当に甘える。
その姿が、ユウの胸に温かく灯る。
「正式発表から七日で叙爵なんて……前例がありませんわ。
でも……ユウ様なら、納得してしまいます」
「僕はまだまだ未熟だよ」
「未熟でも……それを努力で埋めようとする方が、いちばん尊いのです」
その言葉は、王城の誰の賛辞よりも重く感じた。
廊下の奥で、伯爵夫妻と公爵夫妻が待っていた。
「ユウ——よくやった」
父オルグレインの声は、誇りに満ちていた。
「本当に……大きくなられましたね、ユウ様」
母エレノアは、喜びを隠さなかった。
彼女はすでに社交界へ戻り、美容産業の中心として輝いている。
リリスの父、グレイハルト公爵オルフェンも言葉を添えた。
「ヴァルトニア家。良い名だ。
これからは正式な縁戚として——互いに支え合っていこう」
「はい。必ず、ふさわしい家にします」
リリスは隣で、胸を張る。
「その……ユウ様の未来の妻として、わたくしも恥じぬよう努力いたします」
マリアの表情が、ほんのわずか揺れた。
だがすぐに、いつもと同じ穏やかな微笑みに戻る。
(……わたしは、あの方の背を押す役目だから)
けれど胸の奥に沈んだ微かな痛みは、誰にも気づかれなかった。
この日を境に——
ユウは「ヴァルトニア男爵」 となり、
新しい家と土地を手に入れた。
そして同時に、
リリスとの婚約は公的に動き始め、
マリアの未来も静かに揺れ始める。
剣も魔法も、経済も政治も、恋も、
ここから一気に流れが加速する。
——ヴァルトニア家の誕生は、ただの叙爵ではない。
アルディア王国の歴史が静かに動き出す音だった。




