第三章 第七話 放課後、彼女の“聞いてほしかった気持ち”
第三章 第七話 放課後、彼女の“聞いてほしかった気持ち”
放課後の学園は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
夕陽が校舎の白壁を染め、影を細く伸ばしていく。
風に揺れる木々がかすかにざわめき、その音が回廊に反響している。
人の気配がほとんどないのを確かめてから、リリスはユウのほうへ身体を向けた。
胸の前で指を組み、深呼吸をひとつ。
その仕草だけで、どれほど迷い、どれほど勇気を振り絞っているかが分かった。
「……ユウ様。こちらへ」
リリスは静かに歩き、校舎外れの中庭へ続く回廊の柱の影に入る。
春の風がふわりと髪を揺らし、柔らかい銀の光が舞う。
ユウが近づくと、リリスの赤い瞳が揺れを宿した。
「改めて、お時間をいただき……ありがとうございます」
「いえ。リリス様が話したいと思ってくれたことは、きっと大切なことだと思いましたから」
その一言で、リリスの肩がほんの少し震えた。
「……そういうところが、いけないのです」
「え?」
「……優しくて。
丁寧で。
私のことを“分かろう”としてくださるところが……」
リリスは胸元で握った手をぎゅっと強めた。
「今日、一日……ずっと心が落ち着きませんでした」
言いながら、彼女は自分の頬に触れた。
そこには、朝使った化粧品の香りがまだ微かに残っている。
「三日ぶりにお会いできただけで……胸がいっぱいになって。
授業中も、ふとした瞬間に視線を向けてしまって……」
「そんなふうに思っていただけるのは、光栄ですが……無理はしなくていいんですよ?」
「……無理なんて、していません。
こうなってしまったのは、全部……ユウ様のせいです」
最後の一言は、照れ隠しのように、少し睨むように付け加えられる。
ユウは思わず微笑んだ。
「僕に責任があるのだとしたら、どう償えばいいでしょうか」
「償う、だなんて……」
リリスは視線を落とし、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「舞踏会の日……
あの日、ユウ様に言われた言葉が、ずっと頭から離れないのです」
“好きな人が、あんなふうに踏みにじられるのは、見ていて気持ちのいいものではありません”
その瞬間、リリスの呼吸が浅くなる。
「ユウ様が……そんなふうに言ってくださって……
私……どれほど救われたか……」
彼女は胸元を押さえ、震える声で続ける。
「殿下に捨てられたという痛みより……
ユウ様が誰よりも私を真っ直ぐに見てくださったことが……
心の奥まで沁みて……どうしようもなくなってしまいました」
夕陽の光が、彼女の瞳に反射してきらめく。
「気づいたのです。
私……ユウ様に会うたびに、表情が緩んでしまう。
声を聞くだけで……胸が温かくなってしまう」
「リリス様……」
「本当は、こんなことを言うつもりではなかったのです。
でも、今日あなたと話していて……抑えきれなくなりました」
リリスは一歩だけ近づき、ユウの胸元に視線を落とす。
「……ユウ様とお会いするたびに……
“あの夜”に抱きしめていただいた感触がよみがえるのです。
あれが……嬉しくて、仕方がなかったのです」
ユウの心臓が大きく跳ねた。
(……リリス様は、こんなにも……)
リリスは顔を上げる。
頬は、春の夕陽よりも赤い。
「ユウ様……私は……
あなたの言葉で、生まれて初めて……“救われた”と感じました」
そこで言葉を止め、まっすぐにユウを見つめた。
「この気持ちが何なのか、まだ……上手く言えません。
でも……あなたのそばにいたい。
それだけは、はっきりしているのです」
告白ではない。
しかし、告白よりも重い。
溢れた感情を“素直に打ち明けた”言葉だった。
ユウは一度息を飲み、そしてゆっくりと答えた。
「……リリス様の想いを聞けて、本当に嬉しいです」
リリスの瞳が揺れる。
「ですが――僕はまだ、あなたの未来に対して軽々しく約束をするわけにはいきません」
「……それは……」
「あなたには、公爵家の娘としての未来があります。
僕の隣に立つということは、その未来を大きく変える。
ですから――」
ユウはそっと、リリスの手の上に自分の手を重ねた。
「あなたが“選びたい未来”を見つけたときに……
隣に僕がいることを、拒まないでくれればそれで十分です」
告白ではない。
しかし、誠意がこもった答えだった。
リリスの頬が赤く染まり、指先が小さく震える。
「……そんな言い方……ずるいです」
「リリス様が、ずるいと言ったのは今日で二回目ですね」
「あ……もう……そういうところが……っ」
言葉を詰まらせ、視線を逸らす。
その反応を見て、ユウはそっと微笑んだ。
ふたりは並んで回廊を歩き出した。
夕陽に照らされるシルエットが、どこまでも寄り添っている。
少し離れた柱の後ろで、ティアがこっそり拳を握る。
「……リリス様……がんばってください……っ!」
その横でマリアは、胸に手を当てながら静かに微笑んだ。
「……幸せになってほしいですね。
……お二人とも」
その声は、少しだけ切なさを含んでいた。
こうして――
ユウとリリスの距離は、また確かに縮まった。




