第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第二十三話 公爵家の招待 ― 決断の食卓
第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第二十三話 公爵家の招待 ― 決断の食卓
冬の気配が王都に満ち始めたころ、ヴァルロード伯爵家の門に一通の封緘が届けられた。
分厚い羊皮紙には、銀を基調とした紋章――グレイハルト公爵家の鷲が刻まれている。
ユウは父とともに封を切った。
中には丁寧な筆致でこう綴られていた。
――舞踏会での件につき、伯爵家のご厚情に対し正式に謝意を示したく、
つきましては公爵家にて食事会を設けたい。
王太子アルベルトによる婚約破棄の夜から二ヶ月。
リリスは既に公爵家へ戻り、静かに日々を過ごしているという。
だが世間の目は冷たかった。
「王太子に捨てられた令嬢」という肩書は、貴族社会では致命的である。
正妻はおろか、側室としてすら扱われぬこともあり得る。
それほどに婚約破棄は重い烙印になる。
だからこそ、公爵家が「ヴァルロード家との縁」を結ぼうとしていることには、王都中が静かにざわめいていた。
当日。
ユウは父とともにグレイハルト公爵邸を訪れた。
広大な庭園の奥にある迎賓の間には、すでに食卓が整えられている。
銀食器が並び、温かな料理の香りが満ちるが、その場の空気には緊張があった。
公爵オルフェン・グレイハルトは席の上座に座り、その隣には夫人が静かに控えている。
リリスは一歩後ろに下がり、礼儀正しく頭を下げた。
彼女のドレスは控えめな色合いだが、その姿勢には以前にも増して凛とした落ち着きが宿っている。
「伯爵殿、ユウ殿。よく来てくださった」
公爵は穏やかに言ったが、その瞳はよく研ぎ澄まされていた。
「お招きにあずかり光栄です」伯爵が応じる。
「本日は、礼と確認――その二つのための席だ」
公爵の言葉に場の空気が引き締まる。
料理が静かに運ばれ、いくつかの社交の話が交わされたのち、オルフェンは杯を置いた。
「……舞踏会での一件。
あれは本来、公爵家として到底許容できるものではなかった。
王太子殿下の独断であり、王家と公爵家で交わした正式な婚約契約を、何の手続きもなく破棄するなど前代未聞だ」
夫人も静かに頷く。
「我らは王家に抗議を申し入れた。
『あの婚約はグレイハルト家より取り消す』、その旨はすでに王家へ伝えてある」
その宣言は、この夜最も重い音を持って響いた。
伯爵は眉を寄せた。
リリスは息を潜めるように目を伏せた。
「……つまり、公爵家がリリス嬢を守った形になるということですな」
「そうだ」
公爵は力強く頷いた。
「だが、同時に――リリスの価値は貴族社会で大きく下がった。
婚約破棄を受けた娘と見られれば、正妻として迎えようとする家は極端に減る」
リリスは俯いたまま動かない。
しかしその指先がわずかに震えているのをユウは見た。
「……それでもリリスは、何ひとつ恥じるようなことはしていない」
オルフェンの声は鋭かった。
「だからこそ私は、無能な王太子につけられた“烙印”で娘の未来を奪うつもりはない」
そこまで言ったとき、公爵は静かに杯を置き、ユウを正面から見た。
「ユウ・ヴァルロード殿」
呼ばれた瞬間、部屋の空気がさらに変わる。
「訊ねたいのは一つだ。
――リリスを、将来“妻”として迎える意思があるか?」
その言葉が、この食事会の本題であった。
伯爵は黙って息子を見守る。
夫人も視線を上げ、リリスは胸元で手を組んだまま固まっている。
ユウは立ち上がり、丁寧に礼をしたのち、公爵の目を真正面から見返した。
「はい。
僕はリリス様を――将来、妻として迎えたいと考えております」
その瞬間、リリスの肩がぴくりと揺れた。
ユウは続ける。
「これは衝動でも気まぐれでもありません。
他の誰かで代わりになる想いではありません」
言葉はゆっくり、しかし一つも迷っていない。
「リリス様の努力も、誠実さも、人柄も……そして、あの夜に見せた強さも、僕にとって特別でした。
貴族の娘としての立場がどう変わろうと、
僕が“伴侶に望む姿”は、リリス様以外に想像できないのです」
沈黙。
それは拒絶の沈黙ではなく、言葉を受け止めるためのものだった。
公爵は深く息を吸い、表情をわずかに和らげた。
「……伯爵殿」
伯爵も静かに頷く。
「我が子ながら、今の言葉に偽りはないと断言できます。
そして伯爵家としても、リリス様を迎えることは大きな力となります。
我が家が王都で伸ばしている産業、領地改革……
いずれもユウとリリス様の資質が合わされば、さらに良い未来を描けると確信しております」
父の言葉は政治の視点からの強い後押しとなった。
公爵は腕を組み、長い沈黙ののち、力強く頷いた。
「――よろしい。
リリスを預けるに足るだけの覚悟と理がある。
ユウ殿、伯爵殿。歓迎しよう。
この縁は、我が家にとっても望むところだ」
夫人は静かに微笑み、言葉を添えた。
「リリス……良かったわね」
「……お母様……」
リリスは涙を浮かべながらユウを見た。
その瞳は、あの舞踏会の夜とは違う光を宿していた。
恐れでも、悲しみでもない。
誰かに大切にされることを初めて実感した者だけが持つ、かすかな安堵と温かさ。
「ユウ様……ありがとうございます……」
震える声は小さいが、確かにそこにあった。
ティアがそっとリリスの袖を握りしめる。
マリアは背後で静かに目を伏せ、しかし口元だけは嬉しそうに緩んでいた。
こうして――
王太子に捨てられた“公爵家の令嬢リリス”は、
この日、公爵家と伯爵家双方の正式な承認のもと、
**「ヴァルロード家の未来の正妻候補」**として新しい道を歩み始めた。
その始まりは、大仰な宣言ではなかったが、確かに歴史の小さな転換点となった。
ユウ・ヴァルロードという少年の言葉が、公爵家の空気を動かし、
リリスというひとりの少女の未来を守った夜だった。




