第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第十七話 冬の舞踏会、選ばれなかった手
第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第十七話 冬の舞踏会、選ばれなかった手
冬の王都の空気は澄んでいた。
白い息が細く伸び、夜空は凍るような静寂を湛えている。
王城前に馬車が並び、多くの貴族が式典へと列を作っていた。
ユウは礼装の袖を正し、深く息を吐く。
「ユウ様、襟元が……少しずれております」
後ろからマリアの指が伸び、丁寧に整えてくれる。
「助かるよ。こういう服は慣れなくてね」
「本日は夜が長くなります。ご無理はなさらないでくださいませ」
柔らかく微笑むマリアの仕草が、冬の冷たさをほんの少し和らげた。
◇ ◇ ◇
列の最前。
王太子アルベルトは、かつての未熟さを感じさせない堂々とした姿で立っていた。
その変化は確かに“良い方向”だった。
ただ1人、リリスを除いて。
――彼女に向ける視線だけが、完全に途絶えている。
あれほど習慣のように隣にいたはずなのに。
まるで存在そのものを、無意識に排除するような。
(……目も合わせない、か)
ユウは胸の奥に重いものを抱えた。
◇ ◇ ◇
列の中央。
リリスが静かに立っていた。
深い青のドレスに、銀の飾り。
澄んだ冬夜に似合うその姿は、息を呑むほど整然としている。
表情には乱れひとつない。
だが――その静寂が、逆に痛々しく見えた。
リリスがユウに気づき、ほんのわずかに微笑む。
それは礼儀以上の意思を含みながらも、どこか脆いものだった。
(……強い人だ。本当に)
胸の奥がかすかに疼く。
その感情が何なのか、ユウ自身まだ名をつけられない。
ただ、“放ってはおけない”という確かな衝動だけが残った。
◇ ◇ ◇
大扉の前まで進んだとき、
アルベルトの足が動いた。
誰もがリリスの元へ向かうと思っていた。
しかし――彼は、まっすぐ別の少女の前に立つ。
セレスティア。
アルベルトの声は、以前より落ち着き、芯が通っていた。
「……来い。今夜は、お前を隣に立たせる」
その言葉は誰が聞いても“選択”だった。
感情の衝動ではなく、自分の意志による結論のように。
セレスティアは驚き、そして静かに微笑む。
「……身に余るお言葉でございます、殿下」
軽やかに、そして優雅に、彼女はその手を取った。
(……本当に、選んだんだな)
ユウの胸がざわつく。
リリスの横に立つべき人間が、別の方向へ歩いていく光景。
これだけは――ユウでなくても直視がつらい。
◇ ◇ ◇
リリスは、動かなかった。
肩も、首も、わずかにも揺れない。
だけど――
その瞳の奥だけが、ほんの一瞬、濡れたように見えた。
それは涙ではない。
けれど見た者にだけ伝わる、極めて小さな傷。
ユウの胸に、鋭い痛みが走る。
(……こんな顔をさせるのか、あいつは)
悔しさにも似た感情が喉元まで込み上げる。
それが何なのか、まだ言葉にできない。
ただ――リリスをひとりで立たせておくことだけはできなかった。
◇ ◇ ◇
大扉が開き、光と音楽が溢れる。
王太子アルベルトとセレスティアが最初に歩み出ていく。
その背中が光の中に消える。
◇ ◇ ◇
残されたリリス。
冬の空気に触れた横顔は、
静かすぎて壊れてしまいそうだった。
ユウは、その横に歩み寄る。
「……ご一緒しても、よろしいでしょうか」
リリスが目を上げる。
その瞳には、ごく僅かに――救われたいという感情が滲んでいた。
「ユウ様……?」
「入り口でお一人で立たせるのは、礼を失します。
もし許していただけるなら、私がエスコートを」
リリスは息を呑み、そして――
「……お願いします」
かすかに震える声で応えた。
ユウは彼女の手をそっと握る。
その温度が、心臓の鼓動のように伝わってくる。
(俺は……リリスを悲しませたくない)
その思いが、不意に胸に浮かんだ。
言葉にするには早すぎる感情。
でも否定するには、あまりに確かな衝動。
ユウはその小さな手を包み、光の中へゆっくりと歩き出した。
二人の影が並び、城内へと進んでいく。
冬の入口で――
“選ばれなかった少女”を導くように。




