第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第十五話 休日の顔――白銀の髪の公爵令嬢
第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約
第十五話 休日の顔――白銀の髪の公爵令嬢
その日は、学園が定める特別休暇だった。
訓練も講義もなく、すべての生徒が自由に過ごしてよいとされる唯一の一日。
ユウ、マリア、リリス、ティアの四人は、
ゆっくりと王都の市場へ向かって歩いていた。
リリスは今日、桜色のワンピースに白銀の髪を柔らかくまとめていた。
普段の“完璧な公爵令嬢”とは違う、年相応の可愛らしさがあった。
「こうして皆で外に出るのは……とても久しぶりですわね」
リリスが清らかな声で言う。
学園内では滅多に見せない、軽やかな表情だった。
⸻
王都中央の市場は、日が高くなるほど賑わいを増していく。
焼いた肉の匂い、干した薬草の香り、木樽に詰められた麦の香り。
香りそのものは強いが、甘い匂いはほとんど感じない。
この世界では砂糖や蜂蜜が希少で、
“甘いもの”は果実そのものに限られている。
それは貴族であっても同じだった。
「リリス様、果実屋が多いですね」
マリアが小声で言う。
「ええ。今の季節は木苺と林檎が多いのですわ」
リリスは目を細めた。
果実は日持ちしないため、値段は控えめで、
庶民も子どもも買える唯一の“自然の甘味”だった。
ティアの表情が明るくなる。
「リリス様、あの赤い実……とても美味しそうです!」
「木苺ですわ。ティア、好きなものを選んでいいわよ」
「えっ……本当に……?」
「ええ。今日は特別な日ですもの」
ティアはためらいながら木苺をひと房だけ手に取った。
一粒かじった瞬間、ぱっと目を輝かせる。
「……おいしい……こんな味、初めて……!」
リリスは微笑む。
その表情は学園での彼女とはまったく違っていた。
(本当に……心の底から優しい人だ)
ユウはその姿を静かに眺めた。
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「ユウ様も召し上がりますか?」
マリアが林檎を差し出す。
「いただこう」
ユウは林檎をかじる。
果汁が舌に広がり、自然の甘味が喉を心地よく潤す。
「甘味と言えば果実だけですけれど、こうして皆で食べると……特別に感じますわね」
リリスの言葉はどこか柔らかかった。
公爵令嬢としての鋼の気品ではなく、
少女としての素直な喜びが混ざっていた。
⸻
四人は果実を堪能したあと、市場の広場へ移動した。
竪琴の優しい音色が風に乗り、
子どもたちが駆け回る。
市場の喧騒とは違う落ち着いた時間が流れていた。
「ティア、今日は本当に楽しそうですわね」
リリスが声を掛ける。
「だって……リリス様と一緒ですから!」
ティアが無邪気に言う。
「ふふ……では、また来ましょうね。今度は別の店も見て回りましょう」
リリスは白銀の髪を揺らしながら微笑む。
その微笑みは、公の場では絶対に見せないものだった。
(リリス様は……本当はこんなに優しくて、あたたかい人なのに)
ユウは胸の内で呟く。
最近、王太子アルベルトはリリスを避けている。
セレスティアへの依存が強まり、
リリスへの言動だけが悪化していった。
周囲の貴族は誤解をし始めている。
――“リリスよりもセレスティアの方が殿下に良い影響を与えているのではないか”――
(何も見ていないのに、勝手に判断して……)
そのとき、リリスが小さく振り返った。
「ユウ様。本日は本当に……心が軽くなる時間でしたわ。
また皆でどこかへ参りたいです」
「ええ。次の休日にも、ぜひご一緒しましょう」
ユウは柔らかな声で応じた。
リリスがふわりと笑う。
それは、公爵令嬢ではなく、
ただの十歳の少女の――無垢で、まっすぐな笑顔だった。
「リリス様! また木苺、食べようね!」
ティアが袖を引く。
「もちろん。次はもっと熟したものを選びましょうね、ティア」
白銀の髪と桜の布が揺れ、
四人の影が並んで市場を歩いていく。
(この人は、誰よりも誤解されて、誰よりも美しい)
ユウはそう思いながら、
静かにその背中を見つめていた。




