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『異世界ダイナリー〜創造神に選ばれた僕は、婚約破棄された公爵令嬢リリスを全力で幸せにします〜』  作者: ゆう
第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約

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第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第八話 異世界ダイナリーは警告を刻む

第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第八話 異世界ダイナリーは警告を刻む


 王立高等学園・第四講義塔、最上階。


 Sクラス専用とされる教室は、他の教室より少しだけ天井が高く、壁一面の大きな窓から光が差し込んでいた。

 机の数は少ない。

 四人分の席しか置かれていないその光景は、「選別が終わった後の部屋」という印象を強く与える。


 ユウ・ヴァルロードは、窓際の席で静かにノートを閉じた。


 今日の授業は、軍事でも魔術でもなかった。


「――本日のテーマは『税率の変化が市場と治安に及ぼす影響』である」


 初めにそう言ったのは、灰色の髪をひとつに結んだ高齢の教官だった。

 元は王宮で財務に携わっていたらしいが、今は学園で教鞭を執っていると聞く。


「税は王国の血液だ。

 絞れば国庫は潤うが、行き過ぎれば末端の民から感情が噴き出す。

 お前たちは、その“噴き出し方”まで含めて読み取れなければならない」


 そう前置きしてから、教官は黒板に簡単な図を描いた。

 農村、都市、辺境、そして王都。

 それぞれに課す税率を少しずつ変えた場合、どこにひずみが生じるかを問う内容だ。


「ではユウ・ヴァルロード。

 王都の税率を一割引き上げ、代わりに辺境の税率を一割引き下げた場合、十年後に最も顕著に表れる変化は何だ」


 名を呼ばれ、ユウは前に視線を向けた。


 問いの形は単純だ。

 一見すれば、「どこが得をし、どこが損をするか」を考えさせるだけの問題に見える。


 だが、この教官の質問はいつも、その一歩先を踏み込んでいる。


(王都だけを見れば、税率の上昇で反発が強まる。

 だが王都は富の集中が進んでいるから、多少の負担増ならまだ耐えられる)


 ユウは頭の中で地図を広げるように、王国の姿を思い描いた。


(辺境の税率を下げれば、表向きは負担軽減として歓迎される。

 だが減税は「政治的意図」と結びついて受け取られることが多い)


 ――この地域をなだめる必要があるのか。

 ――それとも、この地域から搾り取る余力が尽きてきたのか。


 民は、言葉にならない形でそれを感じ取る。


「十年後に最もはっきり出るのは、人の流れだと思います」


 ユウはそう答えた。


「王都の税率を引き上げても、商機が集中している状況が続く限り、急激な空洞化は起こらないでしょう。

 ですが、辺境は“税が軽い土地”として認識され、ささやかな資本と人材が少しずつ移り始めます」


 ユウは黒板の端を指さし、教官の描いた図に沿って説明を続ける。


「ただし、流れてくるのは裕福な貴族や大商人ではなく、

 『王都で伸び切れなかった者』と『今の生活を変えたがっている者』が中心になります。

 最初は人口の緩やかな増加として現れますが、十年単位で見れば、

 それは“新しい不満の集合体”になる可能性が高いと考えられます」


「ほう。なぜだ」


「税が軽いという理由で集まった人々は、もともと不満を抱えている者が多いからです。

 もとの土地での境遇を引きずったまま、新しい土地で小さな不平を積み上げていく。

 そこに、もし外部から扇動する者が現れれば――

 “辺境を持ち上げたはずの政策”が、逆に火種を抱える結果になり得ます」


 教室に、短い沈黙が落ちた。


 教官は目を細め、杖の先で黒板を軽く叩く。


「減税で不満を抑えるどころか、不満を集める場にする可能性がある、というわけか」


「はい。

 数字だけ見れば“正”の施策でも、感情の面では“負”の蓄積に変わる場合があります。

 特に税は、日々の食卓に直結しますから」


「……よい。戻れ」


 評価を多く語ることはない。

 だが、教官の声音には確かな満足が混じっていた。


 ユウが席に戻ると、隣に座るリリス・フォン・グレイハルトが、視線だけで小さく頷いた。

 褒め言葉は口にしない。

 しかし、その瞳の色は「理解と敬意」を示している。


(リリス様も、同じ地点まで辿り着いていたのだろう)


 そんな確信があった。


 彼女もまた、違う角度から同じ結論を導ける人間だ。


 そのことを、ユウは知っている。



「本日の講義は以上だ」


 教官がそう告げると、教室の空気がふっと緩んだ。

 椅子のきしむ音、ノートを閉じる音、鞄の留め金を締める音が重なる。


「次回は、実際の税率変更例をいくつか提示する。

 お前たちは、それぞれの結果を“別の選択肢だった場合”と比較してこい」


 そう言い残し、教官は教室を後にした。


 扉が閉まると、静寂が残る。


 Sクラスの教室には、まだ四人だけだ。

 ユウ、リリス、そしてその後ろに控えるマリア・ベルモンドとティア。


「……難しい内容でしたね」


 最初に口を開いたのはティアだった。

 孤児として育ち、リリスと共に学んできた少女。

 その瞳には、場に対する緊張と、それでも理解しようとする意志が混ざっている。


「ですが、話を聞いているうちに、

 “税はただ取られるものではなく、国がどう人を動かしたいかを映すもの”だと感じました」


 自分の言葉で噛み砕いて話そうとする姿に、リリスが小さく微笑む。


「その捉え方は、とても大切だと思います。

 形だけ覚えるよりも、きっと役に立ちます」


「マリアはどうだ?」


 ユウが後ろを振り返ると、マリア・ベルモンドは少し困ったように笑った。


「全てを理解できたとは言えませんが……

 『税のかけ方次第で、人の暮らしの場所や気持ちが変わってしまう』ということは、よく伝わってきました。

 もしこの学びが、領地の方々の生活を守ることに繋がるなら、私は何度でも聞き直したいと思います」


「それで十分だよ。

 今日の内容は、“全部を一度で分かること”よりも、“疑問を持ち続けること”の方が大事だからね」


 ユウはそう言って立ち上がる。


「では、そろそろ戻ろうか」


 四人は席を立ち、教室を出た。



 Sクラスの教室がある階は高く、廊下の端には大きな窓が並んでいる。

 その窓からは、下の階へ続く広い階段と、学生たちの行き交う姿が見えた。


 階段を下りる途中、遠くから聞き慣れた声が届く。


「……それでさ、今日の実技の講師がさ」


 軽さを含んだ笑い声。

 その中心にいるのは、第一王子アルベルト・ルクレインだった。


 彼の周りには数人の同級生が集まっており、その表情には「王太子と共にいる」という高揚と緊張が混ざっている。

 その輪の少しだけ外側に、栗色の髪が揺れた。


 セレスティア・アークロイド。


 彼女は決して中心に立たない。

 王太子の、半歩後ろ。

 けれど距離としては最も近い位置を、自然な顔で維持していた。


 その光景は、ここ数日で見慣れたものになりつつあった。


「……」


 ユウは足を止めかけたが、すぐには動かなかった。


 その少し前方で、リリスもまた、彼らの姿を見つめていた。


 第一王子の婚約者として、

 本来なら隣にいるはずの少女。


 だが今、彼女の居場所はそこにはない。


 彼女は静かに息を整えると、一歩前に進み出た。

 大勢の耳と視線があることを理解した上での所作だ。


「アルベルト殿下」


 その声は、過度に柔らかくも硬くもない。

 礼節を保ちつつ、確かに届く高さで抑えられている。


 輪の中心にいたアルベルトが、ほんの一瞬だけ顔を動かした。


 しかし――


「ああ、それでな、今日の講師がいきなりさ――」


 彼は首を完全にはリリスの方へ向けず、

 会話をそのまま続けた。


 リリスの声が“なかったこと”にされる形で。


 周囲の会話が、一瞬だけ止まる。

 だが、誰も何も言わない。


 セレスティアだけが、わずかに視線を動かした。


 リリスの姿を正面から見ることはない。

 ただ、存在を確認するだけ。

 その上で、何も言葉を挟まず、アルベルトの近くという位置を保ち続けた。


 リリスの口元が、ほとんど分からない程度に引き結ばれる。


「……失礼いたしました。

 お話の途中で、お声がけしてしまいました」


 静かな謝罪。

 だがそれは、「自分の方が礼を欠いた」と位置づける形になっていた。


 アルベルトは、やっとその場でリリスの存在をはっきり意識したかのように、

 わずかだけ視線を向ける。


 だがその顔に、かつて見せていた柔らかな笑みはない。


「……今は話の途中だ。

 用があるなら、あとにしてくれ」


 その返答は、あまりにも簡単だった。


 簡単で、冷たく、

 婚約者に向けるものとしてはあまりにも距離のある言葉だった。


「承知いたしました。

 お邪魔をしてしまい、申し訳ございません」


 リリスは深々と頭を下げ、踵を返した。


 その背中に、誰も声をかけない。


 アルベルトも、追いかけようとはしなかった。


 ただセレスティアだけが、

 ほんの一瞬だけ、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


 だがそれは、“王太子の隣から一歩退く”ほどの重さは持たない感情だった。



(……あれを、どう読むべきか)


 少し離れた場所からその一部始終を見ていたユウは、

 胸の奥に沈んだ違和感の正体を言葉にしようとしていた。


 リリスの足取りは、乱れていない。

 姿勢も、表情も、周囲から見ればいつも通りだろう。


 だが、少しだけ歩幅が狭くなっていることに、彼は気づいた。


 その隣で、ティアが小さく唇を噛む。


「リリス様……」


 声をかけたそうにして、しかし呼びかけるタイミングを失っている。


 マリア・ベルモンドは、そんな二人の姿を見守りながら、

 感情を押し殺すように拳を握っていた。


(この状況は――)


 ユウの視界の隅に、淡い光が浮かび上がる。


《異世界ダイナリー》


【学園内・社会評価推移 簡易表示】

・アルベルト・ルクレイン

 好意的評価:減少傾向

 不安・警戒:微増

・リリス・フォン・グレイハルト

 信頼・同情:緩やかに増加


【関係性変化 観測】

 王太子—婚約者 間の“対等な会話”頻度:低下

 王太子—第三者令嬢 間の“私的会話”頻度:増加


 さらに、別の文字列がにじむ。


【行動パターン解析】

 ・公的義務より、私的感情を優先する傾向

 ・自身の立場への自覚と危機感の不足

 ・他者からの肯定に対する依存度:上昇


【暫定判定】

 危険人物候補:アルベルト・ルクレイン

 ※放置した場合、“王家の象徴としての信頼”が低下する可能性あり


(……ここで“危険人物”判定か)


 ユウは、無意識に息を細く吐いた。


 “危険”といっても、今すぐ刃を振るうという意味ではない。

 だが、王国という単位で物事を見ているダイナリーにとって、

 「王太子が象徴としての役割を果たせなくなること」は、

 重大なリスクとして扱われるらしい。


(まだ、決定的な行動は取っていない。

 ただ、婚約者よりも“自分を肯定してくれる相手”を優先し始めただけだ)


 だが、その「だけ」が危うい。


 王太子の一挙手一投足は、すべて意味を持つ。

 誰と話すのか。

 誰を選ぶのか。

 誰を無視するのか。


 全てが、王国の空気を形作っていく。


(今の段階で、俺が介入すべきか……?)


 そう考えた瞬間、


「ユウ様」


 前を行くリリスが足を止め、振り返った。

 その表情は、いつも通り静かで整っている。


「先ほどの授業のことで、もう一度お聞きしたい箇所があります。

 よろしければ、帰り道の途中でお時間をいただけますか」


「もちろんです。

 僕も、もう少し整理しておきたい部分がありましたから」


 ユウは一歩、彼女の隣へと歩み寄る。


(今、僕が支えられるのは――

 彼女の学びと、立ち姿だけだ)


 婚約者ではない。


 だが、

 彼女の尊厳と未来を守るために、自分ができることは確かに存在する。


(……分かっている。

 見ているだけで終わるつもりはない)


 ユウはそう心の中で答えながら、

 リリスと共に歩き出した。


 その背中を、少し離れた位置からマリアとティアが追う。

 四人の歩幅は、次第に揃っていく。


 王立高等学園での生活は、まだ始まったばかりだ。

 だが、その足音はすでに――

 舞踏会という名の、避けられない舞台へ向かって進み始めていた。


第二章 第八話 完

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