第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第六話 従者登録 ― 名を預けるということ
第二章 秩序の学園と崩れゆく誓約 第六話 従者登録 ― 名を預けるということ
二日目の朝、王立高等学園の敷地は前日とはまるで違う空気に包まれていた。
ざわめきはまだ消えていないが、どこか落ち着いた色を帯びはじめている。
試験という緊張から解き放たれた生徒たちは、それぞれの立場を意識し、ゆっくりと“学園という日常”へ歩き出そうとしていた。
ユウ・ヴァルロードは、その空気の中を歩きながら、静かに隣を見やった。
そこにはマリアがいる。
背筋を正し、視線を伏せすぎることもなく、しかし決して出しゃばることもない。
五年という時間が、彼女にただの侍女ではない「伴う者としての在り方」を与えていた。
「……緊張しているか?」
ユウが歩調を乱さぬまま問いかける。
「いいえ。ですが、責任の重さは理解しております」
マリアは穏やかな声でそう答えた。
言葉に気負いはない。
だからこそ、その覚悟がはっきりと伝わってくる。
今日行われるのは、SクラスおよびAクラス所属者への“従者登録説明”。
制度自体はすでに知られてはいるが、正式な説明と、その場での申請・登録が行われるのは今日が初めてだった。
場所は学園本館の奥、石柱に囲まれた静かな講義室。
入室を許されたのは、ユウとマリア、そしてリリス・フォン・グレイハルトと――彼女の付き従う少女、ティアの四人のみ。
重い扉が閉められると同時に、室内は外界の音を断ち切った。
前方に立つのは、紺の外套を羽織った壮年の学官。
発する声に一切の感情を交えない、いかにも制度を司る者といった佇まいだった。
「本日ここに集められたのは、Sクラス配属者とその随従者だ。
これより、従者登録に関する説明と、正式な確認を行う」
わずかな間を置いてから、視線がユウとリリスに順番に向けられる。
「Sクラスは特別枠である。
ここに在籍する者は、単なる学生ではない。
王国にとって将来的に重要な位置に立つ可能性を前提とした存在であり、通常の教育制度とは異なる運用がなされる」
淡々とした声だが、その内容は重い。
「Sクラスの者が従者を登録する場合、その従者はBクラス相当の資格を有していると見なされる。
したがって、主の授業内容に同席することが可能となる」
そこではじめて、ティアの小さな息遣いがわずかに揺れた。
だがリリスは表情ひとつ変えない。
静かに前を見つめたまま、その言葉を受け止めている。
「ただし勘違いしてはならない。
これは“同格”を意味するものではない。主に随行しながら学ぶことを許されるだけであり、成績・評価・進級はあくまで個別に判断される」
説明は続く。
「また、登録された従者は学園内における行動の責任を主と共有する。
問題が生じた際、従者だけでなく主の監督責任も問われる場合があることを、十分に理解しておくように」
空気がわずかに張りつめる。
「よって、本登録は“利便”ではなく“覚悟”として受理する」
その言葉のあと、学官は一枚の書類を卓上に置いた。
「では確認に入る。
ユウ・ヴァルロード、あなたは従者を登録しますか」
「はい、登録いたします」
迷いのない声だった。
「名を」
「マリア・ベルモンドと申します」
マリアが一歩前へ出て、深く頭を下げる。
動作は控えめだが、丁寧で淀みがない。
視線も曇っていなかった。
学官は無言で彼女を観察したあと、淡々と言葉を続ける。
「マリア・ベルモンド。
本日より、ユウ・ヴァルロードの学園内正式従者として登録を受理する」
羽根ペンが紙をなぞる音が静かに響く。
「続いて、リリス・フォン・グレイハルト。
あなたは従者を登録しますか」
一瞬の間。
だがリリスはすぐに答えた。
「はい、登録いたします」
「名を」
「ティアと申します」
声は小さいが、はっきりしている。
ティアは緊張の色を隠しきれない様子だったが、それでも前へ進み、一礼した。
「ティア。
本日より、リリス・フォン・グレイハルトの学園内正式従者として登録を認める」
静かに手続きが進み、再び室内に沈黙が落ちた。
学官は書類を閉じたあと、ふたりのSクラス生へ視線を戻す。
「これより先、あなた方と従者は“個別の主体”でありながら、常にひとつの行動単位として評価される。
従者は支える者であり、主は導く者だ。
その関係が崩れた際、責任を問われるのは従者ではなく主である」
ユウは小さく頷いた。
リリスも、同じように視線を落とさずに受け止める。
「本日の説明は以上。
登録は完了した。以降、従者の同行は正式なものとなる」
「以上をもって、本日の手続きを終了する」
静かに、しかし確実に告げられた言葉だった。
⸻
廊下へ出たあと、ふたりの主とふたりの従者が並んで歩く形になる。
不思議と、そこに気まずさはなかった。
「正式に登録が通りましたね」
マリアが静かに言う。
「これで、堂々と一緒にいられるな」
ユウはそう返しながら、隣を歩くリリスに視線を向けた。
「リリス様も、ティアさんと」
「はい。これで、学園内での行動が取りやすくなります」
その口調には、計算ではなく現実的な判断がにじんでいた。
ふと、マリアの横顔にリリスの視線が向く。
興味というよりも、純粋な観察。
どこか柔らかい好奇心のようなものが、そこにあった。
「……マリアさんは、とても綺麗ですね」
不意にそう言われ、マリアがわずかに瞬いた。
「恐れ入ります」
「隠そうとしても、隠しきれません。
立ち姿がとても印象的です」
マリアは一瞬だけ言葉に詰まり、それでも穏やかに微笑んだ。
「そのようにおっしゃっていただけるのは光栄でございます」
ユウはその様子を横目で見ながら、どこか小さく息を吐く。
(従者としてではなく、一人の女性として見られた一言だったな)
その気づきは、胸の奥でわずかに揺れた。
だが口には出さない。
今はただ、この関係が静かに始まったという感覚を受け止めるだけでいい。
⸻
Sクラスと従者。
主と、その背を預ける者。
今日、その関係は正式な形を持った。
それは命令でも支配でもない。
互いの時間と立場を明確にする、ひとつの約束だった。
そしてこの約束が、やがて幾つもの選択を生み出していくことを――
まだ、誰も知らない。




