幕間 王都散策 ― 五年が育てた距離
幕間 王都散策 ― 五年が育てた距離
王都の通りは、夕方に向かうにつれて色をやわらげていた。
石畳に落ちる靴音、行き交う人々の声、どこか甘い焼き菓子の香り。
そのすべてを横目にしながら、マリアは静かに歩いていた。
隣には、ユウ・ヴァルロード。
十歳になったばかりの少年。
それでも、その横顔は落ち着いていて、時折見せる表情は――まだ幼さを残しながらも、どこか遠いものを見つめているようだった。
(こうして王都を歩くのも、もう当たり前のようになりましたね……)
仕えて五年。
出会った頃は十三歳と五歳。
ただの幼い主と、奉公に出された貴族の娘。
それだけだったはずなのに。
⸻
「マリア」
「はい、若様」
「人が多いけど……大丈夫?」
「ええ。若様とご一緒ですから」
何気なくそう答えたあと、少しだけ言葉を噛みしめる。
“若様と一緒だから”
その響きは、どこか胸の奥をあたためた。
⸻
露店の前で足を止めたユウが、並んだ焼き菓子を眺める。
「これ、気になる」
「評判の店のようですね。香りもやさしいです」
「甘すぎないといいな」
「若様は、上品な甘さの方がお好きですから」
「……よく覚えてるな」
「当然です。五年もお側にいれば」
それは当然のはずの言葉だった。
それなのに、少しだけ空気が変わった気がした。
ユウは小さく頷き、ふとマリアの方を見た。
「……今日は」
「はい?」
「その、髪……よく似合ってる」
驚いて、思わず瞬きをする。
「え……?」
「いつもきちんとしてるけど、今日は特に」
視線を外しながら、少しだけ照れたように言う。
「……かわいいと思った」
心臓が、ほんの少し早く打った。
「恐れ多いです……若様」
「本当のことだ」
それだけ言って、また前を向く。
(……どうしてでしょう)
胸の奥が、じんわりと熱を帯びていた。
⸻
しばらくして、街の喧騒が少し落ち着く。
夕焼けに染まる空を見上げながら、ユウがぽつりとこぼした。
「……今日は、マリアとこれでよかった」
「え……?」
「こうして歩くのも、悪くないなって思った」
言葉は控えめで、少し不器用で。
けれど、確かにそこには温度があった。
「……はい。私も、です」
その声音は、いつもよりやわらかかった。
⸻
夕暮れに染まる街並みの中。
二人の影が、静かに並んで伸びていく。
主と侍女。
越えてはいけない線は、確かに存在している。
それでも。
五年の時間が育てたのは、信頼だけではなかった。
まだ言葉にできない、けれど確かに芽生え始めた感情。
触れれば壊れてしまいそうな、淡く、静かな揺らぎ。
それはきっと――
未来へと続く、小さな兆しだった。
……ああ、どうも。
ユウ・ヴァルロードだ。
正直に言うと――
俺は目立つのも、騒がれるのも、あまり好きじゃない。
だが、あの令嬢――
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツだけは、別だ。
悪役を自称しながら、やること成すこと全部“善”になる。
高飛車で、完璧で、面倒で……それでも、誰よりも真っ直ぐだ。
笑ってるのか、本気なのか。
計算なのか、天然なのか。
見ているだけで、目が離せなくなる。
そんな彼女が主役の物語なら、
退屈する暇はないと保証する。
気づけばきっと――
あんたも、彼女に振り回されている。
……まあ、悪くない。
むしろ、それでいい。
⸻
『悪役令嬢になりたいのに、全部善行扱いされてしまうんですが!?』
理不尽で、痛快で、どこか優しい。
そんな物語だ。
興味があるなら――読んでみるといい。
後悔は、たぶんしない。




