第25話 王家への献上 ― 黄金は王の舌に触れる
第25話 王家への献上 ― 黄金は王の舌に触れる
王都へ向かう馬車の中は、静かな緊張に包まれていた。
室内中央には、小ぶりの木箱がひとつ。
幾重にも布で包まれ、揺れを抑える細工まで施されている。それはヴァルロード領から初めて王家へ献上される蜂蜜だった。
だが、ユウの感覚では、それはもはや「蜂蜜」という言葉では足りない。
「緊張しているか?」
オルグレインが穏やかに問いかける。
「いいえ、父上。
この蜜の味は、口にしていただければ自然と伝わります。余計な言葉は必要ありません」
淡々とした口調だが、自信の裏打ちは確かだった。
「……そうだな。お前の判断に任せよう」
父はそう言って、静かに目を閉じた。
⸻
王城・グラン・アルディア。謁見の間。
王と王妃、宮廷料理長、侍従、魔術師らが並ぶ中で、ヴァルロード家の献上品が運び込まれる。
「蜂蜜、か……」
誰かが小さくつぶやいた。
「高価ではあるが、舌触りには難があると聞く」
王家にとって蜂蜜は贅沢ではあっても、満足のいく甘味ではなかった。だからこそ、場にはわずかな懐疑も混じっていた。
ユウは何も言わず、箱の蓋を開ける。
ふわり、と香りが広がる。
獣臭や湿り気のない、澄んだ花の気配。
広間の空気が、明らかに変わった。
王妃が静かに息を呑む。
「……この香り……」
視線が、蜜へと吸い寄せられる。
そこにあったのは、濁りひとつない琥珀色の雫。光を宿し、なめらかに輝いていた。
⸻
銀の匙が王の手へと渡される。
「……蜂蜜、か」
半信半疑の表情のまま、王はそれを口に運んだ。
次の瞬間。
王の動きが止まった。
目を見開き、息を呑む。
「…………っ……!」
ゆっくりと嚥下したあとも、言葉が出ない。ただ、匙を見つめている。
「……これは……」
低く、かすれた声。
「甘い……だが、ただ甘いのではない。
舌の奥に……花の香りが残っている……」
王は視線を上げ、静かに言った。
「……もう一度、取らせよ」
ざわめきが広がる。
王が自ら“もう一口”を求めることなど、極めて異例だった。
二口目を口にし、今度はゆっくりと目を閉じる。
「…………」
やがて目を開き、はっきりと告げた。
「これは、私の知る蜂蜜ではない。
最初から最後まで、濁りのない味だ。
この国で、これほど澄んだ甘味を味わったことはない」
それは王の威厳を保ったままの、明確な驚愕だった。
王妃も蜜を口にし、小さく息を吐く。
「……やわらかい……
口の中に残る香りが、とても静かです」
料理長は言葉を失い、ただ深く頭を下げた。
⸻
「どれほど採れる?」
王の声には、はっきりとした関心が宿っていた。
「現在は限られています」
ユウは落ち着いた調子で答える。
「数を増やせば、この味は失われます。ですので、大量に出回るものにはいたしません」
「では、王家には?」
「必要な分のみお届けいたします。
この蜜にふさわしい扱いをしていただけるなら、それで十分です」
静かだが、確固とした意思だった。
王は小さく頷く。
「よかろう。
ヴァルロード領の蜂蜜を王室御用とする。
採取法および流通は、国家管理の対象と認めよう」
その瞬間、謁見の間の空気が変わった。
これは“献上”ではない。格の承認だった。
⸻
謁見を終え、回廊を進む途中。
王妃が足を止め、ユウへと声をかける。
「……ヴァルロード伯爵家の御子息」
静かだが、よく通る声。
「この蜜は、非常に美しい味でした。
甘さだけでなく、香りの残り方に品があります」
感想として、極めて率直な言葉だった。
ユウは一礼する。
「お言葉、恐縮です。
ですが功は蜂にあります。私はただ、環境を守っているだけです」
王妃は小さく頷いた。
「それでも、形にできる者は多くありません。
陛下も、たいへんお気に召されたようです」
その声音には、事実と評価だけがあった。
⸻
その夜、王は側近にだけ、短く語ったという。
「あの少年は、軽々しく扱える存在ではない」
それ以上は語らなかった。
だが、その一言で充分だった。
あの蜂蜜は単なる贅ではない。
王国の価値を揺らす存在になりつつある。
そして、その中心にいるのは――
まだ9歳の、ユウ・ヴァルロードという少年だった。
ごきげんよう。
物語を最後までお読みくださり、心より感謝いたしますわ。
……と、本来なら作者が出てくる場面でしょうけれど?
特別にこのわたくし、
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツが締めを務めさせていただきますわね。
まずは――
ユウとリリス様の物語。
守る覚悟を持つ男と、誇りを失わなかった令嬢。
なんとも王道で、美しくて、少し眩しい純愛でしたこと。
ええ、認めますわ。あれはあれで“正統派の尊さ”ですわね。
ですが、皆さま。
物語の世界はそれだけではございませんの。
次にあなたを待つのは――
婚約破棄から始まる、もうひとつの運命。
エレノア様の物語
踏みにじられても、静かに、そして確かに立ち上がる令嬢。
理不尽な世界を相手に、自らの誇りで未来を切り拓く女性。
……ふふ。
とても他人とは思えませんわね?
そう、わたくしもまた
この世界で“悪役令嬢”として華麗に生きておりますの。
善行扱い?
カリスマ?
女神?
いえいえ、ただの完璧な悪役ですわ
もしエレノア様の強さと気高さに惹かれたなら、
ついでにわたくしの物語ものぞいてみるとよろしいですわよ?
少し騒がしくて、少し華やかで、
そして圧倒的に美しい世界が、そこにございますから。
⸻
それでは皆さま。
次なる物語で、またお会いできることを願って。
ごきげんよう。
そしてどうか――
次は“エレノア様”と、“このわたくし”にも
ご注目くださいませね?




