第二十話 社交界デビュー ― 静かに交わる視線
第二十話 社交界デビュー ― 静かに交わる視線
王宮大広間に、澄んだ鐘の音が響き渡った。
「――国王陛下、王妃陛下、御入場!」
重厚な扉が開き、赤絨毯の向こうに王と王妃、そして王太子アルベルト・ルクレインと、その婚約者リリス・フォン・グレイハルトの姿が現れる。
列席していた貴族たちは一斉に頭を垂れた。
「面を上げよ」
国王の低く威厳ある声が、広間を静かに満たす。
「本日は、我が息子アルベルトの8歳の誕生を祝うとともに、公爵家グレイハルトの令嬢リリス・フォン・グレイハルトとの婚約を正式に発表する場として、この宴を設けた」
王の言葉に、場の空気が引き締まる。
「この婚約は王国の未来に関わるものでもある。諸侯には、今後とも変わらぬ忠誠と協力を願う」
静かに、だが確かに頭が下げられた。
続いて王妃が一歩進む。
「本日はお集まりいただき、心より感謝いたします。この場が皆様にとって祝福に満ちた夜となりますよう、願っております」
その声は柔らかく、気品に満ちていた。
⸻
そして話題の中心――王太子アルベルトが前に出る。
「えーっと……今日は来てくれてありがと! それと、リリスが婚約者になったからさ、これからもよろしくな!」
どこか軽率な言葉に、微かなざわめきが走る。
その隣で、リリスが静かに一歩進んだ。
「本日はこのような晴れの場にお招きいただき、心より感謝申し上げます。未熟ではございますが、王国のため努力してまいります」
真面目で、誠実な挨拶だった。
だがアルベルトは、その横顔を退屈そうにちらりと見て、すぐ視線を逸らす。
「あーはいはい。可愛げも面白みのない女だよな」
誰にも聞かれていないと思っているような、その無遠慮な言葉。
リリスは何も言わず、ただ微笑を保った。
⸻
やがて、各家による正式な謁見へと移行する。
「列席各家、順に挨拶を許可する」
国王の言葉により、上位貴族から進み出る流れが始まった。
そして――
「ヴァルロード伯爵家、前へ」
エレノアは静かに一礼し、ユウと共に玉座の前へ進む。
「ヴァルロード伯爵家夫人、エレノア・ヴァルロードにございます。本日は王太子殿下のご生誕、ならびにご婚約、誠におめでとうございます。このような場にお招きいただき、心より御礼申し上げます」
国王は穏やかに頷いた。
「久しいな、エレノア。相変わらず、美しい佇まいである」
「恐れ入ります、陛下」
続いて、ユウが一歩前へ出る。
深く、綺麗な礼。
「ヴァルロード伯爵家嫡子、ユウ・ヴァルロードにございます。本日は王太子殿下のご生誕、ならびにご婚約、心よりお祝い申し上げます」
年齢を感じさせない落ち着いた声音。
王はわずかに目を細めた。
「よく教育が行き届いておるな」
「恐れ入ります」
⸻
ユウは王太子とリリスの方へ向き直る。
「王太子殿下、ご生誕、誠におめでとうございます。ならびに、リリス様。このたびのご婚約、心よりお祝い申し上げます」
アルベルトは気の抜けた笑みを浮かべた。
「ありがとー。お前も面白味がないな」
リリスは小さく微笑み、静かに頭を下げる。
「ありがとうございます、ユウ様」
その声は、わずかに温度を帯びていた。
⸻
やがて社交会は、正式な儀式から歓談の場へと移っていく。
楽団の旋律が流れ、貴族たちの輪が広間に広がる。
だが――
王太子アルベルトはすでにその中心から離れ、同年代の貴族子弟たちと大声で笑っていた。
「こっちの菓子、めっちゃ甘いぞ! ほら、お前も食えよ!」
婚約者の存在など、まるで忘れたかのように。
その頃、リリスは。
誰の輪にも属さず、広間の端に静かに佇んでいた。
銀髪が灯りを受けて揺れ、白いドレスが淡く光る。
その姿は、美しく――
そして、寂しげなものだった。
(……)
ユウは、その光景から目を離せなくなっていた。
胸の奥が、わずかに締めつけられる。
(どうして、あんなにも素敵な女性なのに――こんな扱いをうけてしまうんだ)
祝われるべき立場にいながら、誰からも手を差し伸べられない少女。
その横顔や挨拶時の印象が心に残る。
(……理想的な女性だ。)
ただの感想ではない。
見惚れる、という感覚に近かった。
気づいたときには、足がそちらへ向きかけている。
声をかけるべきだと、理性は告げている。
だがそれ以上に、感情が彼を引き寄せていた。
踏み出せば、この夜は変わる。
踏み出せば、彼女の世界に触れることになる。
宴の光の中で――
一人佇む銀の少女へと、ユウは静かに歩みを進め始めていた。




