第十八話 月光の花、その名が届く場所
第十八話 月光の花、その名が届く場所
グレイハルト家の庭園は、春の光に包まれていた。
白いテーブルクロス、淡い花々、静かに注がれる香りの紅茶。
今日は、グレイハルト家主催の小規模なお茶会。
貴族の子女たちが集い、穏やかな時間を過ごすための場だった。
その輪の中に、ひときわ静かな存在があった。
リリス・フォン・グレイハルト。
銀色の髪を持つ、七歳の公爵令嬢。
年齢よりも落ち着いた佇まいで、穏やかな微笑を浮かべながら、静かに周囲の言葉へ耳を傾けていた。
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「ねえ、聞きました? ヴァルロード伯爵夫人のお話」
「ええ……あの“月光の花”が戻ってきたって」
「王都の茶会で、とても話題だったそうよ」
その言葉に、リリスの指がわずかに止まる。
「月光の花……?」
自然に、その名を口にしていた。
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「ヴァルロードの伯爵夫人、エレノア様ですわ」
「本当に五歳は若く見えたそうよ」
「しかもね、髪がとても綺麗で、光が当たるたびに艶が出て……」
話す令嬢たちの声には、驚きと尊敬が混じっていた。
「それだけじゃないの。
存在感が全然違ったって……」
「“美しい”じゃなくて、“格が違う”って」
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リリスは、そっと紅茶に目を落としながら考え込む。
(格が……違う……)
その言葉が、胸に静かに沁みていく。
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「……どんな方なのでしょう」
ぽつりとこぼれたその声に、周囲の令嬢たちが微笑む。
「昔は社交界の中心だったそうよ」
「なのに、とても柔らかくて品があって……」
「怖さじゃなくて、自然と背筋が伸びる感じだったって」
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リリスは、ふと空を見上げた。
想像の中に浮かぶ一人の女性。
光に包まれ、優雅に歩く姿。
「そんな方に……一度、お会いしてみたいです」
それは無意識に出た言葉だった。
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「リリス様が?」
「ええ……ただ、お話をしてみたいのです」
そこにあったのは、対抗心ではない。
ただの憧れ。
純粋な“美への敬意”。
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王太子の婚約者として、日々求められる完璧。
だがそれは「義務による美しさ」だった。
だがエレノアの話には、それとは違う響きがあった。
(私は……あの方のようになりたい)
そう思った自分に、リリスは少し驚いていた。
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「もし機会があれば……」
風に揺れる花のような声。
「私は、その方に美しさの秘訣をお聞きしたいです」
それは幼い少女の、真っすぐな願いだった。
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やがて話題は別のものへ移っていく。
だが、リリスの心に刻まれた名前は消えなかった。
エレノア・ヴァルロード。
月光の花。
そして、その背後にいる“誰か”の存在を、
彼女が知るのは、もう少し先のこと。
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帰り際、馬車へ向かう道すがら。
リリスはそっと手を胸に当てた。
(美しくありたい……本当に、美しく)
それは誰かに命じられた理想ではない。
自分の心が選んだ、初めての憧れだった。
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月光の花の名は、静かに次代へと受け継がれていく。
そして物語は、少しずつ――
ユウとリリスの未来へと近づいていく。




