プロローグ ― 異世界ダイナリー
プロローグ ― 異世界ダイナリー
「……もう、限界だな」
パソコンのモニターに映る数字は、相変わらず無慈悲だった。
未処理の案件、深夜のチャット、終わらない修正依頼。
時計は午前二時を回っている。
会社のフロアに残るのは、自分だけ。
それがもう何日続いているのか、正直わからない。
五十年生きてきて、得たものは何だっただろう。
名誉?地位?家族?
――どれも、なかった。
ただ、仕事だけが人生だった。
ふっと目の奥が霞む。
視界が暗転し、身体の感覚が遠ざかっていった。
「……あぁ……結局……報われなかったな……」
その言葉を最後に、意識は完全に途切れた。
⸻
次に目を覚ましたとき、そこは真っ白な空間だった。
床も、天井も、壁もない。
ただ静寂だけが満ちている。
「ようこそ」
響いたのは、性別の判別できない声。
振り返ると、そこに立っていたのは人の形をした“光”だった。
「君は死んだ。過労死というやつだ」
「……やっぱりか」
不思議と恐怖はなかった。
むしろ、どこか安心すらしている自分がいた。
「君に、新しい人生を与えようと思ってね」
「転生ってやつですか?」
「よく知っているね」
光が柔らかく揺れる。
「君は多くの異世界物語を読んでいた。
ならば、この世界の理も理解できるだろう」
「……条件は?」
「簡単だ。今度は、自分のために生きなさい」
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
「……一度くらい、誰かの役に立てる人生も悪くないですけどね」
「ならば、君に相応しい力を与えよう」
光が手を広げる。
「スキル《異世界ダイナリー》
君が知る物語の知識を、世界に刻め」
「……チートじゃないですか」
「違う」
光はくすりと笑ったように揺れた。
「努力しなければ、何ひとつ叶わない」
その言葉が、不思議と心に染みた。
「いい人生になるといいね――ユウ」
「……え?」
名前を呼ばれた瞬間、世界が歪む。
視界が落ちていく。
引きずり込まれる感覚。
そして――
⸻
「おめでとうございます、男の子ですよ」
誰かの声。
温かさ。
重さのある身体。
小さな手がぎこちなく動く。
(……生まれた、のか)
新しい人生の始まり。
もう一度、やり直せるのなら。
今度こそ――
大切なものを見失わない。
そう誓った瞬間、脳内に文字が浮かび上がった。
《異世界ダイナリー 起動》
《記録:人生二周目、開始》
⸻
遠い未来。
一人の少女が涙を流す日が来る。
そのとき、彼はきっとこう言うだろう。
「大丈夫だよ、リリス。君は独りじゃない」
これは――
世界に選ばれた少年が、
ひとりの少女を救い、幸せにする物語。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツによる
悪役令嬢、堂々の自己推薦ですわ
ごきげんよう、読者の皆さま。
まず最初に申し上げておきますわね。
わたくしの物語は――
よくある“悪役令嬢もの”ではございません。
なぜなら。
わたくしは
「悪役になりたいのに、なぜか尊敬され続けてしまう」
という、極めて理不尽な宿命を背負わされておりますの。
嫌味を言えば感謝され、
冷たくすれば気品と誤解され、
断罪されようと動けば英雄扱い。
……どう考えても、世界の方が間違っておりますわね?
それでもわたくしは諦めません。
高慢に。
冷酷に。
孤高に。
美しく嫌われる――
それこそが、真の悪役令嬢の生き様ですわ。
ですが、どういうわけか
周囲の令嬢たちは自分を取り戻し、
王都は意識改革を起こし、
黒薔薇の会は“女性の希望”などと呼ばれております。
……誤解も甚だしいですわ。
けれど、だからこそ見ていただきたいのです。
✔ 勘違いが連鎖する異世界コメディ
✔ 美しく暴走する悪役令嬢
✔ 嫌われたいのに好かれる地獄
✔ それでも誇りだけは失わない主人公
笑えて、可笑しくて、少しだけ胸が熱くなる。
そんな「悪役令嬢の理想像」を
わたくしはこの物語で体現しておりますの。
ですから皆さま。
もし
「スカッとしたい」
「振り切ったヒロインが見たい」
「勘違いコメディが好き」
そう思われるなら――
迷う理由はございませんわ。
わたくしの生き様を、
最初から最後まで、しっかりと見届けなさい。
悪役の美学、ここにあり。
尊敬され続ける災難令嬢、
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツの物語を。
……読まずに通り過ぎるなど、
それこそ無礼ですわよ?
ふふん。
それでは皆さま。
物語の中で――お会いしましょう。
誇り高く、気高く、
それでもどこか報われない
最高の悪役令嬢より




