おねだり
お隣のおねえさん、結婚が決まったんだって!
え、こないだ大失恋したって泣いてたじゃん。
それがさ、今度は大店の跡取りに求婚されたとかで、玉の輿だって浮かれてんの。
なんだあ。結局お金か。
あたしはやだな。お金よりも好きなひとがいい!
あたしも。おねえさんもキタナくなっちゃったね。
友達とする噂話は楽しかった。
結婚式を控えたおねえさんはすごく綺麗で、ミーナたちはそれをうっとりと見ながら準備を手伝った。
なあんだ。好きになったひとがお金持ちだったってだけじゃん。
それって最高。
いいなあ。あたしも顔と性格が良いお金持ちと好き合って結婚したい。
ミーナたちが大人の真似をしてくすくす笑いながらしていた噂話は、多少の毒を含んでいても他愛ないものだった。
嫉妬や好悪の感情から陰口になることもあったけれど、誰かを不幸にするためにしたことは一度もない。
だけどここで囁かれる噂話は、ミーナの心を陰鬱な色で汚そうとする。
あの女の話を聞きまして?
ああ、あのヴィルヘルミーナとかいう、どこの馬の骨とも知れない。
大公世子のご寵愛を笠に来て、ところ構わず我儘放題なんですって!
まああ。フリード様はいつ目を覚まされるのかしら。
あの下品な女、見習い騎士にまで色目を使っているそうじゃない。
婚約者様のほうがずっと素晴らしい女性なのに。
やっぱり下賤の生まれなのでしょうね。商人が嘲笑って言っていたのを聞いたわ。しょっちゅう呼ばれはするが、あの女が選ぶのは趣味の悪い三級品ばかり。物を見る目がないんだろうって。
「フリード様、わたくし欲しいものがありますの。どんなものか、聞いてくださいます?」
「もちろん。僕の姫君。今度は何かな」
換金しやすい、嵩張らない、高価過ぎない、宝飾品。
腹の中でつぶやいて、ミーナはにっこり微笑んでみせる。
そうしていれば、フリードが喜ぶから。
彼は、ミーナが淑女らしく振る舞いながらも、周囲から嫌われることを望んでいるから。
「先日くださったドレスに合う宝石を探しています。せっかく普段から着られる素敵なドレスをいただいたのに、合わせる飾りが無いから着られませんの」
「おや。気が利かず悪かったね。それなら靴も必要なのかな。すぐにでも商人を呼ぼう」
「まあ素敵。ありがとうございます」
ナントカいう人が愛した首飾り、どこそこの国から取り寄せた逸品、炎のとか雪のとか異名が付くような珍しい宝石は却下。
下町の裕福な商人が、奥さんのご機嫌取りにと頑張れば買える程度のものがいい。
いつも偉ぶってる大店の奥さんが自慢していた腕環みたいなのがいい。
ミーナにはよく分からなかったけれど、母や近所のおばさんがうっとりと見たり妬ましげにケチをつけていたあれだ。
あれによく似た腕環と首飾り。靴も買ってくれると言うならもらっておこう。
これならきっと、すぐにそこそこの値で売れる。
「……おまえ、なかなかしたたかになってきたな」
フリードがぽんと贈ってくれた宝飾品の山を見て、ウェーナーが苦笑顔でつぶやいた。
だけど彼は、こんなものもらってどうするんだ、ほとんど使いもしないくせに、なんてことは言わない。
ウェーナーはミーナが口にしない企みをちゃんと分かっている。
彼女が自分の目と耳と頭を使って考えている計画を、聞いてしまったら阻止しなければならなくなるから、何も訊かず何も気づかないふりをしてくれているのだ。
なんでだろう、と思う。なぜ彼は、フリードの騎士なのにミーナの味方をしてくれるのだろうとは思うが、それを訊くこともまた許されないから、ミーナが考えるべきことはどんどん増えていく。
「ウェーナーもまだまだだね。こんなのフツウだよ」
「どこ情報だ」
「近所のおねえさんたち。オトコに買わせたい物があったら、大人しいフリ可愛いフリをするんだよって」
「…………へえ」
悪女に誑かされた大公世子の噂は、もちろん大公の元にまで届いた。
公国の主は、息子が連れてきた女の素性を調べるようすぐさま命じた。
ところがいくら探しても、国内貴族の令嬢に該当する人物は見つからない。
歳の頃は二十歳前後。亜麻色の髪に茶緑色の瞳。
特徴らしい特徴は長身痩躯くらいしかなく、それもそう珍しいものではない。同じような特徴を持つ女性は数多く、その誰もがヴィルヘルミーナとは違っていた。
ある日突然大公世子が連れて来た女性がどこから現れたのか、誰も知ることはなかったのだ。
ヴィルヘルミーナと名乗る女は、フリードの寵愛をいいことに、頻繁に宝飾品を贈らせた。
それは国庫が傾くような散財ではなく、人々に嘲笑われるような安っぽいものばかりだった。
湯水のように金を使うのも困るが、大公世子の愛人がそれでは却って恥ずかしい。
なのにフリードはそんな恋人への寵愛をやめることはなく、幼い頃からの婚約を一方的に破棄すると宣言しただけで宙ぶらりんのまま放っておく。
「フリード様は」
侍女兼厳しい教育係のローラは、時々優しい母の顔をして、ミーナに話をしてくれた。昔話をするように、色々なことを教えてくれた。
あの方は優しい方です、と彼女は何度も言った。
ミーナはそれを、寝台や長椅子でくつろぐ時間にふうん、とつぶやきながら聞くのだ。