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噂話


 無知で無教養で可哀想な娘の預かり知らぬところで、彼女は婚約者のいる大公世子を惑わす悪女として知れ渡ることとなった。


 ヴィルヘルミーナとかいう女の話を聞きまして?

 どこの馬の骨とも知れぬ女が、大公世子様をたぶらかしたって!

 わたくし見ましたわ。その場にいましたの。爽やかな庭園に、場違いな厚塗りをして現れた背の高い女。頭の悪そうな顔でフリード様にべったりしなだれかかって、不愉快なことこの上なかったですわ。

 フリード様はどうなさってしまったのかしら。

 あんな素晴らしい婚約者様を、本気でお捨てになるおつもりで?




「フリード、さっきのどういうこと? あのお姫様、あんたの婚約者じゃないの?」

 美しく着飾った貴族階級の人々からの突き刺すような視線が怖くて、フリードにしがみついたまま、ミーナは自分に与えられた部屋に戻った。

 そこでようやく息を吐くことができて、彼の腕から離れて踵の高い靴を脱ぎ自分の足で立った。

「僕の婚約者は君だよ。可愛いミーナ」

「そうだよ。あたしはミーナだよ。ヴィルヘルミーナなんて立派な名前じゃないよ」

 フリードはそんな名前で、人々にミーナを紹介したのだ。

「君には僕の婚約者としての名前が必要だ。ヴィルヘルミーナならミーナと呼んでもおかしくないだろう」

 ミーナはミーナだ。両親が付けてくれた名は、ただのミーナだ。

 彼はその名が恥ずかしいとでも言いたいのだろうか。

「あたしはミーナだよ……」

「泣かないで、ミーナ。僕もウェーナーもローラも、君をミーナと呼ぶよ。それで問題ないだろう」

 フリードはいつものように優しくミーナの頭と頬を撫でた。

 それでも涙を零してしまう彼女の手を、いつも無口で無表情で控えめなローラがそっと握ってくれた。

「ミーナ様、お着替えをしましょうか。お化粧を落としてしまったほうが気持ち良く泣けますよ」

「……泣いてもいいの?」

 初めて連れて行かれたお茶会は怖かった。

 大人ばかりが怖い顔をしてミーナを睨み、遠巻きにしていた。

 彼女の知っているお茶会は、近所のおばさんやおねえさんが集まってお茶とお菓子を持ち寄り、楽しく笑いながらお喋りする場だ。子どもは外で遊んで来な、と追い出されることがほとんどだったが、外に出る前にお菓子をひとつずつ口の中に入れてもらえるのだ。

 そんな楽しい場所を想像して行ったのに。

 フリードには婚約者がいた。ミーナに求婚なんてしていい立場ではなかったのだ。

 そんなこと、知りたくなかった。

「泣きたいなら泣くべきです。さあ、こちらへ」

 ローラは主人であるはずのフリードとは逆のことを言った。

 泣かないで、と言ったフリードは、侍女の視線を受けて部屋を出て行った。


「ねえ、ウェーナー」

 着替えるために移動する前、ミーナはずっと黙っている騎士に問い掛けた。

「はい」

「フリードは、本当にあたしのことが好きって言ってたの? いつから?」

「……申し訳ありません。わたくしには、分かりかねます」

 お忍びで下町に来ていた大公世子の護衛役は、言葉少に頭を下げた。



 ミーナはフリードのことが好きだと思っていた。

 でもよく分からなくなってきた。

 彼はそれからも定期的にミーナの部屋を訪れて、頭を撫でて勉強の進み具合を褒めてくれる。そして好きだよ、と囁いてにっこり笑うのだ。

 最初のうちは、仕事が忙しい彼はいつ会いに来てくれるだろうかと、与えられた部屋でドキドキしながら待っていた。

 そんな日々はすぐに終わった。

 彼が顔を見せる日は決まっている。多忙な大公世子の予定に組み込まれているのだろう。

 同じ間隔で現れ、仕事のように決まった時間が経つと去って行く。

 だからその日も、そろそろ来る時間だな、と思ってお茶の用意をして待っていた。

「やあ、ミーナ。今日も可愛いね。珍しいお菓子を持ってきたんだ。一緒に食べようか」

「はい、フリード様」

 ミーナは教わった手順で茶を淹れ、作法通りにフリードの前に置いた。

 彼は勉強の成果を披露するミーナを、微笑んで見ていた。

「もう立派な淑女だ。もうすぐ君の十三歳の誕生日だったね」

「はい」

「プレゼントは何がいい?」

 フリードはきっと、何が欲しいと言っても用意してくれるのだろう。なんと言っても次期大公様だ。

「一度家に帰りたいです。お父さんとお母さんにずっと会ってないから、きっと心配しています」

「それは許可できない」

 ミーナはごく普通の希望を口にしただけだ。

 父母にも誕生日おめでとうと言ってもらいたい。離れて暮らした半年の間に成長した姿を見てもらいたい。

 そんな遠方に行きたいと言ったわけじゃない。

 一日で行って帰れる距離に住む両親に会いたいと言っただけだ。

「なんで?」

「君は次期大公妃だ。簡単に出歩いてもいい身分じゃないんだよ」

「なんで? 誰がそんなひどいことを言うの? フリードは偉い人なんでしょう? フリードがいいって言ったらいいんじゃないの?」

「僕が駄目だと言っているんだよ。君が心配なんだ。我儘を言わないでおくれ」

「危ないところには行かないよ。心配ならウェーナーについて来てもらえばいいんでしょう。弟たちもきっと寂しがってる」

「駄目だ。ウェーナー、この子をしっかり見張っておけ」

「ひどい!」

 ミーナが何を言っても、フリードはうんと言ってくれなかった。そしていつものように、時間になると彼女の頭を撫でて去ってしまうのだ。

 無口な騎士はいつものように、主の命令に是と答えるだけだ。



 ミーナは下町育ちのお転婆娘だ。

 半年やそこらお姫様のような暮らしをしたからといって、その本質は変わらない。

 実家の父母に、元気な顔を見せたい。

 それが我儘とは、どうしても思えないのだ。間違っているのは、駄目だと言うフリードのほうだ。

 だから、彼に黙って城を抜け出すのは悪いことではない。

 衣装部屋にあるのは、煌びやかなお姫様ドレスだけだ。これでは走るどころか実家まで歩くのも至難の業である。

 唯一の行動的な服装である乗馬服は、乗馬の練習のときにしか持って来てもらえない。

 だからミーナは一計を案じた。

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