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婚約破棄宣言


 めでたしめでたし。


 で終わることができれば、ミーナの人生最高だった。

 でも彼女はその先も目を開けて、自分の足で立って自分の頭を駆使して生きていくことを要求された。

 君には次期大公妃として覚えてもらわなきゃいけないことがたくさんある。大丈夫だよ、ミーナは賢いから。教師の言うことを聞いていればなんとかなる。

 なんとかってナニ?

 十二歳にして下町の下品なおっさん連中をやり込める手腕だけは一人前のミーナに、フリードは本気でそんなことを思っているのだろうか。

 お城に連れて来られた初日に、ミーナは夢から醒めた。

 目を醒まさざるを得なかった。

 フリードに命じられた女の人に、着てきた服をゴミのように捨てられた。そのときにはもう、ここやべえとこだ、と気づいていた。

 だけど逃げ出すことはできなかった。だってすでに、精神論的な話以前に物理的な自分の現在地を見失っていたからだ。どこをどう通ってここまでやって来たのか、まったく覚えていない。お城というところは、大公様とその家族だけが暮らす場所ではないのだ。広いのも当然である。

 ミーナが暮らす下町から見て、お城は東の方向にある。

 太陽はその日一番に大公家を祝福するのだから。

 つまり西に向かえばいいのだ。正式な出口が分からなくても、適当な窓から外に出て、太陽の位置を確認して西に向かえばそのうち知っている場所に出られる。はずだ。

 だが昼日中からドレスの裾をからげて窓枠を乗り越える子どもの姿が目撃されたら、どんな目に遭わされるのか。分からないから怖くてできそうになかった。

 だからミーナは赤ちゃんのように人の手で体を洗われ、着方も脱ぎ方も分からないドレスを着せられ、出された食事を前に大人しく座るしかなかった。

「ミーナはドレスも似合うな。可愛いよ。今日は疲れただろう。この後はゆっくり寝るといい。後のことは彼女、侍女のローラだ、彼女に任せてある。ローラの言うことを聞いて、明日からいい子で勉強に励んでおくれ」

 そんな台詞を勝手にまくしたてる婚約者を、ミーナは初めて怖いと思った。

 母よりも少し歳上に見えるローラは無表情に部屋の隅に立っていた。感情を見せてくれない彼女も怖かった。

「フリードは、大公世子様なの?」

 確認すると、彼はにっこり笑って頷いた。

「そうだよ。君は次の大公妃様だ」

「…………なんで? そんなの聞いてないよ」

 ミーナの知るフリードは、下級貴族、もしかしたらもう少しいい家の出かもしれないけれど、気楽に下町の食堂に顔を出せる程度の身分だったはずだ。

 玉の輿、を夢見る相手にちょうどいい、しかも王子様みたいに綺麗な風貌の男の人。

 公国を治める大公様の息子だなんて聞いていない。知っていたら、求婚に舞い上がったりしなかった。

 ミーナはそこまで馬鹿じゃないつもりだ。

「今初めて訊かれたから答えた。ほら、そんな不安そうな顔しないで。僕の好きな看板娘の笑顔を見せておくれ」

 フリードはいつもの綺麗な笑顔を見せて、ミーナの頭を優しく撫でた。

 彼が初めて店に現れた、彼女が八歳だったときと同じ仕草だ。彼はお城にいても変わらない、ということか。

「……うん」

「よし、いい子だ。困ったことはなんでもローラに言えばいい。あとは彼だ。ウェーナーは分かるだろう」

 ローラから少し離れた場所に立っていた男の人が黙って頭を下げた。彼はフリードと一緒によく食堂に来ていたから知っている。

「ウェーナーも偉い人なの?」

「次期大公妃の君ほどじゃない。彼は僕付きの騎士だよ。まだ見習いだけどね。彼自身の勉強や稽古の時間以外は、君の周辺警護、兼話し相手をしてくれる。なんでも彼に言うといい」

 無茶を言ってくれる。

 ウェーナーは誰にでも愛想の良いフリードと違っていつもムスっと無口で、怖いひとだと思っていたのだ。

 彼らは歳の頃は同じくらいなのに、中身はまるで違っていた。

 外見だって、フリードのほうが綺麗な顔だし背は高いし、ずっとずっと素敵なのだ。

 無表情なおばさんのローラと無愛想なウェーナー、どちらも怖い。なんてことだ。

「……うん」

 でもそんな小さい子みたいな我儘、言えるわけがなかった。

「いい子だ。好きだよ、ミーナ」

 ミーナもフリードが好きだ。

 だから頑張らなくちゃ。

 拳を握り締める少女の頭を、その婚約者である公子は優しく撫でてくれた。



 頑張ろうと思った。

 だから知識がどうとか礼儀作法がどうとか淑女としての心得がなんとか、呪文のような講義も真面目に聞いて勉強した。

 よく頑張ってるね。そろそろお茶会にでも出てみるかい。

 たまに顔を出して頭を撫でてくれるフリードが、ある日そんなことを言い出した。

 出てみたくなんてなかった。けれど実践も大事ですと教師に促されたから、講義で習った通りフリードの腕に手を添えてお茶会とやらに出席してみた。


 天気の良い日の昼下がり、お茶会は美しい庭園の一画で催されていた。

 若い、といってもミーナよりは歳上、大人になったばかり、といった年の頃のお兄さんお姉さんばかりが着飾っての集まりだ。

 みんなにこやかに笑って談笑しているように見えた。

 ちょっと楽しそう、と思った。並べられたお菓子は美味しそうだし、優しそうなひとばかりだ。

 フリードを見て、かミーナを見て、なのか、綺麗で優しそうなひとたちは、笑うことをやめて戸惑ったように見えた。

 大公世子様が来たから緊張してるのかな、なんてミーナは少し考えた。

 フリードは優しいひとだから、緊張なんてする必要ないのに。みんな知らないのかな。

 それを知っているミーナが教えてあげよう、と心に決めた。

 そうしたら。


「僕は運命のひとに出逢ってしまったんだ。だから君とは結婚できない」


 フリードと同じ年頃の若い男女が集まるなか、ひときわ目立って美しいお姫様に、彼はそうぶちかました。

 いい歳した大人の男が、女性に言うべき台詞ではない。そういうのは、五歳の子がやるから微笑ましいのだ。

 大人がやったらただのアホだ。そんな男、頭を殴って矯正してやるべきた。

 ミーナの運命だと思った王子様は、アホの人だった。

 何言ってんの? バカなの? アホなの? 頭に虫湧いてんの? 治療院、とか行く必要ないのか、侍医呼べよ。

 そんなことを思っても、アホの一味と思われているミーナに発言権はない。

 状況が読めないまま、アホな発言をしたフリードの腕をオロオロと掴むよりできることがなかった。

「…………はあ。それがこの方ですか」

 ほら、綺麗なお姫様も呆れてる。

「そうだ」

(そうだじゃねえよ)

 何を言えばいいのか分からないミーナは、とりあえず腹の中で突っ込んだ。

 もしかして、もしかしなくても、このひとフリードの婚約者だったりするのでは。

 だって今、結婚できないって宣言した。

 フリードがなんの関係もない女の人にそんな宣言しちゃうような、そこまで絶望的にアタマおかしいひとでなければ、そう考えるのが自然だ。

 あれっ? つまり彼は、婚約者がいながらミーナに求婚したということか?

(だだだだめじゃん。駄目じゃんそんなの)

 浮気だ。二股だ。不誠実だ。最低男だ。


 どうしよう。どうしようどうすればいい。

 ミーナの王子様はクズだった。

 フリードの発言に、周囲は騒然とした。

 お茶会は早々にお開きになった。ミーナはオロオロしていただけだった。


 初めてのお茶会は顔に色々塗りたくられ胸には詰め物をされて綺麗なドレスを着せられ出席した。そして唯一知っている人であるフリードにずっとしがみついていた。

 これまで知らない場所に行くときには母親にそうしていたようにだ。

 十二歳のミーナにとっては自然な行動だった。

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