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計画


「魔女」

 思いがけない単語に、ミーナはまたたいた。

 どっかの偉い人が、廊下を歩きながら喋るのを聞いたの。あの女は魔女に違いないって。

 それなら納得できるかも。だっておかしいじゃない。あの、万民にお優しい大公世子様の変わりよう。

 でしょ。そう誰かが言い出して、教会に通報したんですって。

 近いうちに異端審問会が開かれるそうよ。

 そうなったら女がおしまいなのはもちろん、フリード様も調べを受けるらしいわ。

「フリード様も? なんで?」

 どの程度魔女に毒されているのか、異端に染まり切ってしまわれていないか、手遅れでないか、を調べるのよ! 

 大公様も教会には逆らえないわ。大公世子の座はお兄さまに戻されるの。

「フリード様のお兄さま? お身体が不自由だって話じゃ」

 ずっと療養なさっていたけど、近頃立ち上がれるようになったんですって!

 昔はね、悪い噂ばかりだったけど、でも幼い男の子なんてそんなものでしょう。環境を整えてよいお医者様にかかって、ご立派に成長なさったと聞いたわ。


 フリードは異端の疑いにより廃嫡され、異母兄が再び立太子する。

 大公世子の外祖父として長らく政治を牛耳っていた侯爵の影が薄くなる。

 次期大公妃として育てられた令嬢は元婚約者と再会、かつて睦まじく過ごしていた時代を思い出している。


 稀代の悪女、魔女ヴィルヘルミーナ。

 次期大公妃として君臨し、公国を牛耳る。

 そんな彼女の企みは阻止された。

 魔女に狙われた大公世子はその座を追われ、魔女本人は火炙りにされるのだ。




 その話を聞いたとき、ミーナはまさかな、と呑気に思った。


 まさかそんなこと。

 だってミーナは魔女なんかじゃない。

 妖しい術なんか使えないし、薬だって作れない。サバトなんかとは縁がないし、悪魔と契約どころか見たことだってない。

 両親と弟妹とは毎週教会に通っていた。ここに来てからも、フリードがたまに連れて行ってくれている。

 神父様に言われたことは、完璧にはできなくても守るよう心掛けて生きている。

 もし。万が一異端審問されたとしても大丈夫だ。すぐに誤解は解けて解放されるはず。

 むしろ、騙されて連れて来られた、外に出たい家族と会いたいと訴えたら、聖職に就くひとのこと、彼女を助けてくれるかもしれない。


 そうだ。なんの罪もない少女が魔女だなんて、ありえないと誰でも分かるはずだ。

 まさかな。

 なんて自分に言い聞かせても、一日しかもたなかった。

 そんなことを言っていたら、ミーナは魔女として処刑されてしまう。


 知っている。

 ヴィルヘルミーナを知る人々は、みんな彼女を悪い女だと思っていることを。

 彼女のせいでフリードがおかしくなって、貧しい人が苦しめられている。

 あたしのせいじゃない、と言いたくても、ミーナの部屋にはその証がたくさんあるのだ。

 不必要な贅沢品。ほとんどがフリードが勝手に贈ってきたものだが、逃亡資金のため、と腹の中で舌を出しながら、ミーナが彼にねだったものもある。

 ミーナが受け取ったもののせいで、不幸になった人がいるのは事実だ。そんな人たちは、ミーナが本当に魔女なのかどうかなんてどうでもいい。ただ彼女を排除できればそれでいいのだ。


 逃げよう。

 四年間も、考えては諦め、計画しては挫折するを繰り返してきた。

 今度こそ本当に逃げなければ、ミーナは魔女にされてしまう。

 近頃頻発する魔女裁判は異常だ。

 誰も口には出さないけれど、誰もがそう思っている。

 近くで魔女狩りがあったらしい、と聞けば、異端に対する嫌悪よりもまず恐怖に取りつかれる。

 裁判にかけられたその魔女が、苦し紛れに適当な名前、例えば自分の名前を出すことはないだろうか。出さないで欲しい。出されたら終わりだ。そうなったら、自分も魔女の一味として裁判にかけられる。

 そうなったら。

 その先にあるのは死だけだ。


 逃げなければ。

 最初に噂を聞いてから三日が経った。

 ミーナは部屋に運ばれてくる食事のパンや肉の一部をこっそり隠しておいた。冬はもう終わってしまったから多少傷んでしまうかもしれないが、ないよりはマシだ。

 昨日、ひと気のない部屋からこっそり持ち帰ってきた少年の服を着てしまえば、誰もそれがヴィルヘルミーナとは気づくまい。

 いつものように、何気ない顔で大公世子宮を歩き、そのまま外に出るだけでいい。

 できるはずだ。

 きっとできる。今度こそ。今こそここから逃げ出さなくては。

 出来るだろうか、なんて言っている場合ではない。出来なければ死ぬだけだ。

 やらなくてはならない。

(やる。絶対に逃亡を成功させる)

 自分に言い聞かせても、四年の年月を籠の鳥として過ごしたミーナの心はなかなか奮い立たない。


 四年だ。

 十三歳になった日に、一度だけ逃げ出した。

 あの日あのまま遠くまで行っていればよかった。家族が居なくなったと知った瞬間に走り出して、街を出る馬車の荷に乗せてもらっていれば。

 ミーナは外の世界を恐れることなくいられたのに。

 四年の月日は、ミーナを臆病にさせた。大公世子宮での暮らしに慣れさせた。

 ここは自由はないけれど、食べる物も着る物も、温かい寝台もある。今この部屋の外にミーナの居場所はない。

 冷静に逃亡計画を練れば、外には絶望しかないことを考えざるをえない。

 両親の居場所さえ分かれば、なんとしてでもそこを目指せた。換金性の高い宝飾品をごっそり持ち去って、街で路銀に変えればいい。そのお金で旅支度を整えて、同じ方向に向かう商隊を探して交ぜてもらうのだ。

 ミーナの育った街は大公のお膝元だから、人の出入りが激しい。そのくらいは簡単だったはずだ。

 だけど自分の向かうべき場所が分からなければ、動きようがない。当てもなく家族を探す旅に出るほどの路銀は用意できない。


 ミーナは外の世界に怯える自分の心と足を叱咤して立ち上がった。

 怯えることには慣れてきた。だって、この数日で大公世子宮の様子は変わってしまった。

 異端審問官を望む声が、あちこちから聞こえてくる。彼らは本当にやって来るのだ。

 ミーナを魔女として断罪するために、大人たちが大挙してやって来る日はもうすぐだ。


 男の子のような上下衣を着て、長い髪はひとまとめにして服の中に入れてから頭巾付きの短い外套を羽織る。これで厨房に食料を持ってきた下男か農夫に見えるはずだ。

 彼らは貴人の目に付かないよう目立たない通路を使うから、ミーナもそうすればいい。


「ミーナ!」

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