指摘
愛人に部屋を与え寵愛するようになった大公世子。
彼は、少しずつおかしくなっていった。
幼い頃からの婚約を蔑ろにした。
王侯貴族の文化というには行き過ぎた浪費をするようになる。
それに比例して、女の装いは派手派手しくなっていく。
苦言を呈した忠臣を遠ざけた。
私財はすべて女の贅沢品に変わった。
それでもまだ足りぬとして、忠臣の代わりに側に侍るようになった享楽者の言葉に大公世子はあっさりうなずく。
弱き者の口を糊するはずであった予算は、彼らの手の届かない場所で回るのみとなった。
世継ぎの公子の堕落は、最初は些細なものと思われた。
女を囲った。まあ年頃になればそんなこともあるだろう。
浪費癖がついた。愛人を持つ男であれば、不思議なことではない。
耳に痛い言葉を嫌い、忠臣を遠ざけた。おや、困ったことになってきた。
公費をわたくしすることにしか頭を使わぬ貴族を重用するようになった。誰ぞお諌めする者はいないのか。
老いた大公の代わりに担ってきた政務を側近に押し付けるように。世継ぎの君の優しくも鋭い目がなくなった今、古くから公国に蔓延る悪臣の言葉に側近は逆らうことができない。
大公世子の名で、いくつもの愚かな政令が発せられた。力無き民を救う法は無視される。食糧や資材、あらゆる富は一部に集中し、苦しむ者は市井にのみならず貴族階級にも増えていく。
何故こんなことになった。
いつから彼はおかしくなってしまったのだ。
女が現れてからだ。
ヴィルヘルミーナ。
あの女が大公世子の前に現れてから、彼はおかしくなってしまった。
あの女が、妖しい力を用いて彼を操っているに違いない。
魔女だ。
素性が知れぬ。悪魔のように蠱惑的、四年経ってもまったく衰えぬ容貌。妖しい力で男を惑わす。
あの女は魔女だ。
魔女を赦すな。
捕まえろ。
異端審問官の前に突き出せ。
魔女を捕らえ、火炙りにするんだ。
ミーナは籠の中の鳥のような四年間を過ごした。
愚かな幼い少女は十六歳になった。
その頃になれば、彼女もローラが言うことの意味が分かるようになってきた。
十二歳のミーナに求婚しながらも、彼女を幼い子どもとしてしか見ていなかったフリード。
彼はここ数ヶ月、決まった時間以外にもミーナを訪うようになった。
そして頭を撫で、手に触れ、ダンスの練習の相手を買って出る。
(今更なんなの?)
そのことを喜ぶ素振りをしながら、ミーナは冷めた目でフリードを見ていた。
今更ミーナに関心を持ってももう遅いということが、彼には分からないのだろうか。
ローラの言うとおり、フリードは優しい青年だった。
暴力なんてもってのほかだし、物腰は柔らかで威圧感を与えるようなことはしない。
ミーナの父の店に通っていた頃からそうだった。
お城に連れて来られてから、彼が本心を隠していたことを知った。
それ以来ずっと、得体の知れない人物だと恐ろしく思っている。
それでも、内情はどうあれ表面上彼は優しいままだった。優しく微笑み、ミーナを気遣う言葉を使う。
そんな彼に今更女として見られても、ミーナは白けてしまうのだ。
ミーナは最初から女だった。
フリードの婚約者になるつもりでついて来た。
何年も愚かな幼い子どもとして扱われ放置されて、同じ気持ちのままでいられるはずがない。
だからミーナは、お茶の時間にローラに用を言いつけたフリードに向かってこう言った。
「ローラが言っていました。ちゃんとした淑女は、結婚するまでは身内以外の男性とふたりきりになってはいけないと。ウェーナーも一緒にお茶を飲んでもいいですか」
十六歳の少女の無邪気な発言に、フリードは一瞬動きを止めた。
「ん?」
「さっきローラが出て行っちゃったから。ウェーナーをここに呼んだら、ローラとの約束を破ったことにならないでしょう?」
もてあそばれてなるものか。
フリードは十二歳のミーナに興味はなかったが、十六歳になったミーナには、当初の思惑とは別の関心を持ち始めている。
とうの昔に彼に対する恋心を捨ててしまったミーナは、そのことに強い嫌悪を覚えたのだ。
ローラの忠告と厳しい目がなければ、何も気づかず彼の言いなりになっていたかもしれない。
「……そうだね」
固まった笑顔に苦味を混ぜたフリードに、ミーナはにっこりした。彼女はすぐに立ち上がり、部屋の扉を開けてすぐそこに立っていた騎士を呼ばう。
「ウェーナー、ウェーナー! 一緒にお茶にしよう」
扉の側に立っていた騎士は、黙って眉をひそめた。
「……それは」
「フリード様もお呼びだよ」
ミーナを見下ろして、感情を読ませない表情のままウェーナーはつぶやいた。
「…………光栄なことでございます」
「何言ってんの、ウェーナー。今日は何食べる?」
ミーナの朗らかな声に、フリードが虚をつかれたような顔をした。
「……日替わり」
動じないウェーナーに、フリードは失笑する。
「はいよ。今日の日替わり」
ミーナはテーブルに戻り、手際良く茶菓子を取り分けた。
フリードに視線で座るよう指示されたウェーナーは、一礼して椅子に浅く腰掛けた。
それは騎士の心得なのだと、ミーナはここに来てから知った。
ミーナの父が営む食堂の椅子に座るときにも、彼は決して膝の裏を椅子に付けたりしなかった。
変な座り方、疲れないのかな。と思っていた。
彼はフリードと年齢が近いために、お忍びの護衛役に選ばれた。その任務を遂行するために、常に周囲を警戒していたのだ。
今は何を警戒しているのだろう。
まさかミーナを、ではあるまい。部屋の外から脅威が飛び込んでくること? 護衛の騎士が主君と同じテーブルを囲んでいるところを、上役に知られることだろうか。
下っ端は大変だ。
「僕も同じものを頼むよ」
「あっ今ので終わっちゃった。フリードはこっちね」
どのくらいまで調子に乗っていいだろうかと、探りながらミーナは別の焼菓子をフリードの前に置く。
「ええっ。ウェーナー、これひとつくれよ」
ミーナを睨むような目で見ていたウェーナーは、自分の皿をさっと持ち上げた。
「駄目だ。これは俺の」
「ケチだな!」
「先に注文したもの勝ち」
ウェーナーが、フリードが身分を隠しているときのような喋り方をした。
ミーナはふたりの様子を観察して、ここまでは大丈夫なのかと安心する。
「ふたりとも子どもみたい。ケンカせず食べたら、食後のデザートも付けてあげるよ」
「だってさ。ウェーナー、仲良く食べよう」
「……焼菓子のデザートってなんだ。果物の代わりに魚でも出てくるのか」
合わせるのが面倒になったらしいウェーナーがぼそりとつぶやく。
「ノリ悪ーい。ウェーナー、そういうとこ良くないよ」
「うっせーガキ」
「ウェーナー、ミーナの言う通りだぞ」
「ねー」
「えー……」
豪華なドレスを纏ったミーナはにこにこ微笑って頬杖を突く。
仕立ての良い貴公子然とした衣装のフリードはそんな彼女の無作法を咎めたりせず、優しく見ている。
王宮騎士ウェーナーは、安定のしかめっ面。
服装を無視してしまえば、ミーナの実家である食堂にいるみたいだ。
「ねえ、フリード」
「なんだい、ミーナ」
フリードはいつも笑顔だ。
だけど今は、いつもと違って本当に楽しんでいるように見える。
だからミーナは、思い切って言ってみた。
たとえ作り物でも彼の優しい笑顔を見るのがそれで最後になるとも知らずに。
「フリードはお兄様のことが大好きだから、あたしのことを連れて来たの?」
ミーナの問いに、フリードは笑顔を消した。
「賢いミーナ。君は僕が思っていたよりずっと愚かで賢かったみたいだね」




