わたくしを溺愛する兄の復讐が地味すぎますわ
わたくしの名前はセシリア・イデキア。名門・イデキア伯爵家の令嬢にして、「お兄様に溺愛され令嬢」でございます。
そして本日は、記念すべき「婚約破棄記念日」となりました。
「セシリア・イデキア嬢。貴女との婚約は破棄させていただきます! ぼく、本当の愛に目覚めたんです……!」
そう叫び、社交界のど真ん中でわたくしを捨てたのは、モウハキヤ侯爵家のご令息、ギルベルト・モウハキヤ。外見こそ整っているものの、中身は湿った豆腐のような男です。
お相手は、あのピンクハニー嬢。金髪くるくるのキュート系女子で、「自称・恋に生きる女」。
彼女が涙ぐんでギルベルトの腕にすがったその瞬間、わたくしは優雅にスカートを翻し、会場を後にしました。泣き顔を見せぬのが、イデキア家の女の嗜みですから。
けれど、心の中では。
いい加減にしなさいよ、ギルベルト。昨日まで詩調のラブレターを送ってきてたくせに!
そんなギルベルトとの婚約破棄を、わたくしが帰宅して最初に報告した相手は──もちろん、兄様でした。
「くっ……許さん! 俺のかわいい妹を婚約破棄するとは……復讐してやる!!」
兄、マリク・イデキア。王室直属の天才魔法使いにして、笑顔の裏に執念深さと几帳面さを隠し持つ、恐ろしいお方。
「復讐」という単語を聞いて、わたくしは戦慄しました。爆破? 氷漬け? 転職妨害魔術? それとも社会的死?
しかし兄様は、静かに微笑んで言ったのです。
「少しずつ、苦しめてやるさ」
「えっ」
◇
そして翌日から、ギルベルトに異変が。
朝、執事が完璧に淹れた紅茶に口もつけず、彼は鏡の前で立ち尽くしていました。
「……なんなんだ、この髪の毛は!」
右前髪が、ほんの少しだけ外に跳ねていたのです。直すには微妙すぎる、だが放置もできない、絶妙な寝癖。
整髪料など使えば髪がべたついてしまいますし、水で整えようものなら、髪型そのものが台無しになってしまいますわ。誰もはっきりと「寝癖」とは申さないでしょうけれど、どこかしら違和感を覚えることでしょう。このままでは、社交界の視線がまるで棘のように痛うございますわ。
──あの令息、鏡を見ずに出てきたのかしら?
──身だしなみに気を遣わなくなった?
──失恋ショックで自暴自棄?
社交界でそのように噂されてしまうでしょう。それが「微妙寝癖」の恐ろしさでもあります。
その日、ギルベルトは三度帰宅して髪を整え、最終的に帽子で誤魔化し、晩餐会に遅刻しました。
わたくしは、遠隔観察魔法でその様子を見ながら、兄様と紅茶を楽しんでおりました。
地味ですわ……でも、精神的ダメージは大ですわね。
そして、彼の受難は続きます。
公文書に署名しようとすると、必ずインクが「しみ」になる。よりによって貴族名の部分だけ滲み、別人扱いされる始末。どんなに注意しても避けられない。まるで芸術。
着替えでは、必ずボタンをかけ違える。気づかずに舞踏会へ行き、大笑いされる。
靴を履けば左右逆。狩りに出かけて指摘され、令息たちに失笑される。
さらに──突然の手汗で書類がふやけて破ける。しかも、よりによって領地税の報告書。「破けました」では済まされず、不正の疑いまで。
紅茶までぬるくなる。味は上品なままなので、文句も言えず──まさに陰湿。
ギルベルトの「じわじわくる不幸」は、誰にも気づかれぬまま、日常を蝕んでいったのです。
そんなある日、兄様が言いました。
「そろそろ、仕上げの魔法だ」
し、仕上げ……!? いよいよ社会的抹殺かしら……?
◇
その夜。
「……鍵、かけたよな? かけたよな……?」
ギルベルトは、自室の引き出しの前に仁王立ちしていました。そこには、「セシリア様との未来の家庭日記」が──。
子どもの名前リスト、理想の朝食風景のイラスト、呼び方案(セシリたん、しーちゃん、セッセ)まで完備。
鍵は、確かにかけました。けれども、なぜか不安になるのが「地味な魔法」のおそろしさ。
……こんなにも恥ずかしい日記が公の目に触れることになりましたら……彼の貴族としての立場が危うくなってしまいますわ……!
ガチャガチャ……
閉まってる。
ガチャガチャガチャ……
まだ閉まってる。
ガチャ……
──取っ手がとれた。
わたくしはその様子を観察しながら、紅茶を啜りました。
「兄様、……地味すぎますわ。でも、確実に気になるやつですの。鍵をかけたかどうかって、一度気になり始めると、外出先でもそのことばかり考えてしまいますわ」
「彼は今後、眠るたびに鍵の夢を見る。己の恥が暴かれる恐怖に苛まれながら、地獄を味わうが良い……」
……悪魔ですか?
兄様は優雅に微笑み、紅茶をひとくち。
「復讐とは、地味であるべきだよ、セシリア。派手な破滅より、静かなる恐怖の方が、長く、深く効くからね」
なるほど。復讐もまた、芸術。
そして、わたくしは誓いました。次の恋では──
日記はつけないわ。万が一に備えて。
◇
その夜、ギルベルトはうなされました。
「……鍵……かけたよね……?」
翌日も、
「……かけたはず……たぶん……?」
さらには、
「……でも、ほんとうに……?」
ついには執事に言われました。
「……もう、日記捨てたらいかがですか」
◇
後日談。
兄様の復讐のおかげで、わたくしは婚約破棄すら笑い話に変えられました。
そして今、新たな恋の予感も……?
「セシリア。新しく惚れた相手は誰だ。フルネームで」
「兄様ストップ!! 地味にいじめる気でしょう!!」
そんなわたくしの日常は、今日も、わりと平和で元気です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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先日、私のコメディー作品のほとんどに、ポイントを付けてくださった方、本当にありがとうございます!
5月23日、24日の朝昼夜の更新で、日間コメディーランキング1位を獲得しました。皆様のご支援のおかげです。
本当にありがとうございます!
泣きそうです ・゜・(つД`)・゜・
泣いてるやん!