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もうひとつの答え

 誰もいない真っ黄色な空間に甘えて

 一粒だけ涙流してみた


 花びらに縁取られた空は

 雲たちの通り道


 なぁ、


 空は大きなものだったろう

 ビルは高いものだったろう

 俺を見下ろして 向日葵と君

 ・・・・・・同じ天を目指すもの


 彼らは一体

 何の為に咲いているのだろうか

 誰の為に咲いているのだろうか


 誰にも見つけられない

 誰にも愛でられない


 こんな人里離れた場所で

 彼らは一体

 何の為に咲いたのか


 ・・・・・・同じ天を目指すもの


 彼女は一体

 何の為に生きているのだろうか

 誰の為に生きているのだろうか


 誰にも見つけられない

 誰にも愛されない


 こんな隔離された場所で

 彼女は一体

 何の為に生まれたのか



 生まれた意味を探し続けた少女が見つけた

 もうひとつの答えは


 ✻     ✻     ✻



 (まこと)(さち)という少女と出会ってから、もう八年の月日が流れた。十七歳だった幸も先月二十五歳の誕生日を迎え、もう少女とは呼べなくなっていた。


『しばらく休業いたします。  店主 白石誠』


 喫茶店CLOUDの入り口には、三日前からこの張り紙があった。いつも患者、医者、看護師などでにぎわっている店内も、今日は閑散としていた。

 何故客層がそんなに特殊なのか。それはこの喫茶店が位置する場所が、大学付属総合病院の院内だからである。

 白石幸――旧姓恵藤幸は、生まれつき重病を患っており、一度も病院から出たことの無い少女だった。誠はそんな彼女のために、院内に喫茶店を開き、幸もその店で働いていた。

「もしかして、三原さんですか」

「あら、院長先生」

 張り紙を見詰めていた老婦人に、しっかりとアイロンのかけられた白衣をまとった院長が声をかけた。

「やはりそうでしたか。お久しぶりです。しばらくお見えにならなかったから、幸ちゃんたちが心配していましたよ」

 三原のどかは長年幸を担当していた看護師で、退職してからも喫茶店の常連として幸を気遣っていた。

「ちょっと膝を悪くしてしまって。いけませんねぇ、歳をとると」

 苦笑いしたのどかは、再び視線をちらりと張り紙に向けた。

「幸ちゃんの体調が悪化したのですか」

「………」

「そうですか」

 何も言わないことこそが答えだった。

 幸の余命は、とうの昔に尽きているはずだった。しかし、誠の存在のおかげなのか奇跡がおき、何とか一命を取り留めた。辛い治療でも泣き言ひとつ言わず懸命に耐えてきた甲斐もあり、奇跡に奇跡を重ねて今まで生きてきたのである。誠と結婚して五年。もちろんできる限り長生きして欲しいと心から願っていたが、のどかは正直、ここまで幸が生きていられるとは思っていなかった。それほどに幸の病状は重かった。

「今も、幸ちゃんは五〇二号室にいるのかしら。お見舞いしたいのですけれど」

「彼女は今、この病院にいません」

「別の病院に移されたのですか?」

 首を傾げつつ問う。この病院には、幸の病気に詳しい全国でも有数の腕利きな医者が揃っており、別の病院から移されて来ることはあったとしても、こちらから移すことは考えにくかった。

「違います。幸ちゃんは今、ちょっと遅れた新婚旅行に行ってるんです」

 のどかは大きく目を見開いた。

「でもあの子は病院の外には……」

「それでも、一度くらい外に出たかったのですよ。ずっと、出たかったはずです」

 窓に手を当て、雲を見詰めていた幸の姿が、ふとのどかの脳裏に蘇った。

「どこに行ったのですか」

「どこか空気の綺麗な田舎に行くと。流石誠君と言うべきでしょうね」

 少しでも幸の身体に負担がかからないように。愛妻家の誠らしい。そしてきっと幸にも誰にも、幸のためにそこに行くのだとは決して言わないのだ。あくまで自分が行きたいから行くのだと。幸は誠の気遣いを知りつつ、気づいていないふりをするだろう。そうやってお互いがお互いを思い、想い合っている夫婦なのだ、あの二人は。

「早く再開して欲しいですね」

 院長が張り紙に触れて呟いた。名医である院長ならば、わかっているはずだった。病状が悪化している上に外へ出た幸は、もう店に立てない可能性の方が高いことを。それでも、信じて待っているのだ。

「患者さんたちからもスタッフからも、CLOUDを閉めないでくれと文句を言われて困っているのですよ」

「まぁ」

 二人で笑った。幸は元々、病院内の誰もが知っている女の子だった。重病を抱えているにも関わらずいつも明るい彼女に、皆が元気をもらっていた。

 幸に会いたい。そう願っているのは、一人や二人じゃない。

「またここで紅茶が飲みたいわ」


 ✻     ✻     ✻


 ミニチュアと同じだったビルが、ここまで大きいとは思わなかった。車の窓からでは、とても天辺まで視界に入れることができない。

「すごいよ、すっごいよ、すごいよ!」

「お前、さっきから『凄い』しか言っていない」

 誠が笑うと、幸も助手席で笑った。

 ずっと街を近くで見たがっていた幸のために、途中で高速をおり、一般道を走ることにした。本当はどこかで車を降りさせてあげれば喜ぶのだろうが、誠としてはそれをさせることは避けたかった。都会の空気は身体に良くない。どうしても、と幸が願えばもちろん叶えてやる覚悟はあったが、幸は一度も車を降りようとは言わなかった。それはきっと、誠を不安にさせるようなことは極力避けたいという、幸なりの優しさだった。

 次のインターチェンジで再び高速に入り進んでいくと、景色からはどんどんビル群が消え、代わりに緑が増えた。途中のパーキングエリアで後部座席を倒してベッド状にし、幸をそこに寝かせてから出発した。長時間座っていることすら、今の幸には大きな苦痛を伴うことだった。

「やっと起きたか」

 幸が目を覚ますと、そこはもう車内ではなかった。

「ここどこ」

「旅館だよ。今夜はここに泊まる」

 目を擦り、誠に支えられながら上半身を起こすと、障子の隙間から真っ赤な夕焼けが見えた。

「綺麗」

 ふわ、と幸の肩に優しい温もりが乗った。心地よい重み。何かを言おうと息を吸った気配を幸の耳朶が感じたが、結局誠は何も口に出すことはなかった。ただほんの少し、肩を抱く腕の力が増した。


 ✻     ✻     ✻


 旅行二日目。朝食を済ませるなり、幸は靴を履くことすら忙しなく、外へ飛び出した。

「すごいよ、快晴」

 早く早くと手招きする幸。初めて見る陽光をまとった姿は、いつも以上に愛らしかった。わざとゆっくり靴を履いて、二人分の荷物が入ったリュックを背負う。やっとおいついた誠の手を引っ張って、もう一方の手で空を指差した。

「ね、すごいでしょう。こんなに広いんだよ」

 まるで歴史に残る大発見をしたかのように、目を輝かせている。彼女にとって空は、窓に切り取られたものでしかなかったのだ。ガラスの向こう側に広がる世界は、つい昨日まで空想上のものでしかなかったのだ。

「あ、猫だ」

 旅館の庭をのっそりと三毛猫が歩いていた。真夏の日を避けるように陰を縫っている。

「可愛いね」

「幸がね」

 幸の顔を一瞬で大きな影が覆う。誠の作ったその影の中で、幸の瞼がゆっくりと閉じた。蝉の声がやけにうるさい。囃し立てているようで癇に障って、歯向かう様にいつまでもそうしていた。


 ✻     ✻     ✻


 冷房を適度に効かせた車で周辺をドライブしつつ、気が向いたところで降りて散策する。そんなことを繰り返しているだけだったが、二人にとってはとても新鮮で、十分楽しかった。

「誠、何だろうあそこ」

 指差すほうに視線を向けると、一面に黄色い何かが広がる場所があった。

「行ってみるか」

 左折してしばらく進み近づくにつれて、それが巨大なひまわり畑であることがわかった。

 車を止めて出てみる。近くに人の気配は全く無く、立て札なども無い。管理されている場所ではなさそうだった。

「向日葵ってこんな風に咲く花だったんだね」

 幸にとって花は、お見舞いに来る人が持ってくるものでしかなかった。それらはいつも花瓶に生けられているため、自らの力で立っている姿を見るのはこれが初めてなのだった。病人に根のある花を渡してはいけないなんて、一体誰が決めたのだろう。病院に根付いてしまうから。早く退院できないから。そんな迷信のために、幸は自力で生きる花を見られなかった。

「もっと近くに行こうか」

「うん」

 車に鍵をかけ、ひまわり畑に入る。大きく育った向日葵たちは、幸の身長よりも大きなものまであった。

「ねぇ、かくれんぼしない?」

「かくれんぼ……?」

 突然提案された遊びは、とても二十五歳の大人が――ましてや二十八歳の男がするものではなかった。

「私、一度もやったことないの。昔きっちゃんが、とっても楽しい遊びだって言うから院内でやろうとしたのだけど、先生に見つかって怒られちゃって」

 普通なら経験できるはずの多くのことを、幸は制限されてきたのだ。

「いいよ、やろう」

 そう答えると、幸はとても嬉しそうに微笑んだ。


 ざぁぁっという音と共に、黄色い波が誠たちを飲み込む。

「もーいーかい」

 どこかで幸の声がした。

「もういいよ」

 声を張り上げたのなんて何年ぶりだろう。

 偶然見つけたひまわり畑。人っ子一人いない田舎町で、神々しく咲き誇る夏の華。

 こんなに綺麗なのに。

 こんなに力強く己の存在を主張しているのに。

 もしも今日ここに誠たちが来なかったら、その煌めきを誰に認められることもなく、静かに散っていったかもしれない。

 風が運ぶ、濃い夏の匂い。

 土と向日葵の匂い。

 病院の匂い。

「みーつけたっ」

 ぽん、と背中を叩かれる。

 立ち上がって振り向くと、にこにこと笑う、愛する人の姿があった。

「次は誠が鬼だよ。目瞑って三十数えてね」

 頷くと、幸はまた離れていった。

「見ちゃダメだよー」

 大きな声でそう言いながら手を振る。誠も手を振り返して、指示通り目を瞑って数え始めた。

「もういいかい」

「もういーよ」

 一面の向日葵。揺らめく度に、葉の擦れる音が全方向から響く。己の存在を訴えるように。

 ここにいるよ。

 生きているよ。

 向日葵を掻き分けて進む。進んでも進んでも、同じ景色。

 欠けた景色。

 大事な人が、いない景色。

「幸、どこだ」


 ―――返事が、ない。


「幸!」

 何度呼んでも、ただ向日葵の葉擦れの音がするだけ。

「返事をしろ。幸!」

 嫌な汗が、体中からどっと噴出す。

 考えるな、考えるな。そんな事、想像するな。

「幸!」

 呼べば答えてくれるはずの声は、まだ聞こえない。

 早く。早く見つけないと。

「さち!」

 震える声はのどに痞え、向日葵が行く手を阻む。

 足を動かす。手を動かす。目を動かす。全ては一人の人を見つけるために。

 大嫌いな病院にある売店で働くことになって、最初に来た客が幸だった。大量の菓子を買い込む彼女が重い病を患っているなんて知らなくて。入院している子供たちにお菓子を配る彼女は、それをただの自己満足だといって笑っていた。そんな彼女に惹かれた。病気のことを知っても、同情はしなかった。ただ“自分の生まれた意味”を探す彼女のそばにいたいと思った。

 それからずっとそばにいた。

 幸は病院から出られないから、デートもしたことがなかったけれど、それでも幸せだった。

 ただ幸が隣にいる。それだけで。

「………幸!」

 地面に倒れている身体は、胸が微かに上下し、まだ呼吸があることを知らせていた。衝撃を与えないよう注意を払って抱き起こすと、地についていた左半身からぱらぱらと土が落ちた。

「幸、聞こえるか」

 呼びかけながら、リュックから小型の酸素ボンベを出して口に当てる。

「幸」

 細く開いた瞼。その瞳が誠を捉えた。

「わかるか、幸」

 務めて落ち着いた声を出す。幸を不安にさせてはいけない。

「……ま、こと」

「そう、誠だよ」

 応答したことに少しほっとし、ケータイを取り出して電話をかけた。

「もしもし、白石誠です。……はい。………倒れました。意識はしっかりしていますが呼吸が荒くて、今酸素を…………はい。………わかりました。お願いします。…………ありがとうございます。……はい。では」

 幸が目で窺ってきた。

「院長先生に電話した。近くの病院に連絡入れてくれるそうだ。救急車も来る。大丈夫だから、な」

 頭を撫でてやると、小さく笑って頷いた。

 ひまわり畑の中に埋もれていては、救急車が来ても見つけてもらえない。誠の二の前だ。

「車まで行こうか。これ、自分で持てるか」

 酸素ボンベを渡すと、幸はそれを力の入らない手で何とか支えて口元に当てた。

「偉い偉い」

 リュックを背負いなおすと、幸の膝裏に手を入れてそのまま持ち上げた。幸の身体はやっぱり軽かった。

「………こと」

「ん、どうした?」

 向日葵の中をお姫様抱っこのまま進む。

「わ、たしね、」

「うん」

「たく、さんのひ、とに、しあわせになって、って、」

 ―――たくさんの人に幸せになってもらうため

 それは、余命宣告を受けた幸が考え続けて出した“生まれてきた意味”の答え。

「もちろん、いまでも、そう………でも、」

 呼吸が荒くなっている。

「無理するな。もう喋らなくていいから」

 すると幸は首を横に振った。どうしても、伝えたいことがあるらしい。

「うまれた、いみって、そんなにおおきな、こと、じゃなくて、いいのか、も、なって」

 ヒューヒューと抜けるような呼吸音。

「わたし、は、」

 酸素ボンベが、転がり落ちた。空いた幸の手は、そっと、誠の頬に添えられていた。

「まことに、ね、あう、ために、うまれてきたんだよ」

 つぅ、と流れ落ちる雫。

 それは幸のものか。誠のものか。

 二人とものものか。

「かっこいいこたえじゃ、ないけど」

 幸の細い指が、誠の涙を拭う。

「ほんとうのこたえは、きっと」

 しゃがみ込んで強く抱きしめると、応えるように幸が誠の頭を撫でた。

「大好きだよ」

「わたしも、だよ」

 この温もりを、この愛おしい人を、あと何回抱きしめられるだろう。

 あと何回、言葉を交わせるだろう。

「幸の生まれてきた意味が俺と出会うためなら、俺が生まれてきた意味は、幸と出会うため。幸を愛するため」

 幸は、真っ直ぐに誠を見つめた。

「わたし、せかいでいちばん、しあわせだよ」


 ずっと病院から出られなかったけれど。

 ずっと生活を制限されていたけれど。

 ずっと病気と闘わなくてはいけなかったけれど。

 ―――ずっと愛する人がそばにいたから。愛されたから。

「しあわせだよ」

「俺もだよ」

 落ちていた酸素ボンベを拾い、幸に持たせる。立ち上がり、再び歩き出す。

 幸はもう、何も言わなかった。でも、言わなくても伝わってきた。――幸の想いが。

 そして、伝わっているはずだ。――誠の想いが。

 向日葵が風に揺らめく。

 腕の中から、幸の匂いがする。大好きな匂いがする。

 遠くで救急車の音が聞こえてきた。少し歩調を速めて、やっとひまわり畑を抜けると、ちょうど救急車が到着したところだった。


 ✻     ✻     ✻


 夏が終われば、向日葵たちは散るだろう。このひまわり畑も、今日のことが夢であったかのように、消え去ってしまうだろう。

 でも。

 来年の今頃には、また花開く。彼らの残した種が、新たな命を芽吹く。

 幸も、もうすぐその儚い生を終える。誠の心に記憶という種を残して、散ってゆく。

 一年では咲かせられないかもしれない。何年もかかるかもしれない。それでも、いつか。

 幸のことを笑顔で思い出せる日が、いつかきっと来る。

 俺の愛した人は、とても素敵な人だったと、優しい思い出として語れる日が。


 ✻     ✻     ✻


 誰もいない真っ黄色な空間で

 幸せに涙あふれてきた


 花びらに縁取られた空は

 雲たちの通り道


 俺を見下ろして 向日葵と君


 ずっと

 大きな理由を求めていた

 たくさんの人を求めていた


 だけど、

 やっと


 生まれた意味を探し続けた少女が見つけた

 もうひとつの答えは


 たったひとつの

 尊い“オモイ”


 一人のために生きる

 一人のことを愛する


 手を伸ばしても触れられないけれど

 確かにここにある


 君のカラダは

 すぐに消えてしまう


 そして俺のカラダもまた

 いつかは消えてしまう


 どんなに綺麗な華も

 必ず散っていくように


 誰だって

 何だって

 実体のあるものなんて全部


 いつかは消えてしまう


 でも

 触れられない

 実体がないからこそ

 この“オモイ”は消えない



 どこまでも続く空の下


 ふたりは“オモイ”という

 永遠を手に入れた



 Fin.

最後までお読みいただきありがとうございました。

ぜひ感想を教えていただけると嬉しいです。

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