【読み切り】ハッピー、ハーレンターンイ!〜恐怖のバレンタイン〜
〜チョコをもらえなかった事を気に病む全ての男性諸君に捧ぐ〜
この国には、古くから伝わる風習がある。
ハーレンターンイと呼ばれるある種の祭り。
その日、女性から黒く苦い嗜好品を飲みこまされた男は、どんな理由があろうともその女性と一度は子作り行為をしなければならないという忌まわしき風習が。
そのような祭りだが、もっともな起源はある。かつて男ばかりが死ぬ病で男の数が激減した時に、苦肉の策として作られたものなのだ。
……しかしその病は疾うに消えた。男女比がほぼ同数に戻った今となっては、もう必要ないものだ。だが今も尚、続いている。男たちの度重なる抵抗にも関わらず。「伝統」だの「文化」だの古臭く意味もない言葉を盾に。
都会では既に形骸化しているが、地方に行くほどその風習は色濃く残っている。俺が住んでいる田舎でもーー
おいおい、「ヤれんならいいじゃん」とか思ったそこの童貞、よく考えろ。世の中若くて可愛い子ばかりじゃないんだぞ?
「可愛くなくても若けりゃ」とか思ったそこのセミ童貞、世の中若い女ばかりじゃないんだぞ?
「俺、熟女専門だから」とか余裕こいてる 寝取り趣味、世の中、熟熟熟女だってたくさんいるんだぞ?
「俺、老体専門だから」とか思ったそこのよくわかんないの、常に好みの相手からのみアプローチがくる訳ないだろうが馬鹿野郎!
ちなみに俺の初めては、二年前の元服の時だった。その日になるまでハーレンターンイの何たるかを知らされずにいた俺は、その日の朝、祭りの開始を告げる銅鑼の音とともに………………
うっ……ぐすっ……っ……すまん…………今でも思い出すと動悸と涙が止まらなくなるんだ。
その翌年は、日が昇る前に都会に逃げようと自転車を万全に整備していたにも関わらず、目が覚めた時にはすでにおばばの顔が眼前に……ぐうっ……っ……っ…………
……すまない。トラウマなんだ……。
後から知ったところによると、どうやら前日の夕食に毒……もとい眠り薬が仕込まれていたらしく……。
だが今年こそは逃げきってみせる。俺は三度も同じ目に遭うようなマヌケじゃない。
計画は万全だ。どうせ今年も薬で眠らせるつもりなのだろうが、そうはいかない。去年は俺が甘かったんだ。当日の朝に逃げるなど。しかも家族が敵に回るとは思っていなかったから……。
だが今年の俺は一味違う。前日から都会に逃げてやる。隣町にちょっと買い物に出かけるふりをして、そのまま安全な都会にまで行ってやる。そしてハーレンターンイの翌日、悠々と帰ってやるのだ。俺を手籠めにしようとしていた奴らと、ハメようとした母と姉をせせら笑ってやるのだ。
今日はいよいよ決行の日。
怪しまれないように荷物は持たない。財布だけ持って、フラっと買い物に行く体で電車に乗る。着替えやなんかも向こうで買う予定だ。ちょっと財布に痛いが、貞操には変えられない。
今はまだ薄明の時。気が逸って日の出前に目が覚めてしまった。まあ寝坊するよりよほどいい。その所為で去年は……うっ…………
外が白んでいく。
晴れやかな気持ちが胸に広がる。
今年こそは!
けれど布団からはまだ出ない。母や姉に気づかれてはいけないから。普段はそこそこ仲のいい家族だが、この件に関しては彼らも敵なのだ。女という女は敵なのだ。……去年嫌というほど思い知った。
布団の中で、ニヤニヤしながら夜明けを待つ。夜が明けてしばらくしたら何気ない顔で朝飯を食って、昼前くらいに電車に乗って……それで都会に行くんだ。貯めておいたお金で最近流行ってるらしい揚げパンを買って、オシャレな店を冷やかしたりして。夜になったら泊まれる貸本屋で一晩明かして。それでハーレンターンイ当日は、のんびりするんだ。こっちでは考えられないけれど、普段通りに外を堂々と歩いて飯を食って……うぅ……視界が滲む……。
それで泊まれる貸本屋にもう一泊して、翌日家に悠然と帰るんだ。母さんや姉さんはどんな顔をするかな?楽しみだ。
それで翌年も、そのまた翌年も、逃げ切ってやるんだ。
俺はもう二度とあんな忌まわしい因習の犠牲者にはならない。絶対にだ。
鳥がギャアギャアと鳴いている。まるで今年の俺を祝福しているようだ。もうすぐ夜が明けーー
グゥワアアン!グォオオオン!グォオオオオオン!!!
突如鳴り響いたけたたましい銅鑼の音に、俺は目を見開いた。
何故、銅鑼が鳴っている!!?
この銅鑼は、ハーレンターンイの開始を告げるものだ。いや元々は防災用だったが、ここ数十年ハーレンターンイの合図にしか使われていない。なのに何故それが今!
俄かに外が騒がしくなった。走り回りぶつかる音。そして叫び声。
「嫌だ!来るなー!」
「やめろー!やめてくれー!」
「俺には恋人がっ……むぐっ……」
「俺には妻子があ゛あああ……」
ガバリと布団から跳ね起きる。
間違いない。ハーレンターンイが始まっている。しかし何故!?
ハーレンターンイで行われる行為は、現在の法律上完全にアウトだ。年に一度その日だけ、奇病により死んでいった男性たちの追悼の為、そんな理由をつけてやっと見逃されているにすぎない。だから日をずらすなどあり得ないのに。
……な……ぜ…………
震える手で部屋の引戸をそっと開けた。
すると床に一枚の紙が落ちていた。
そこには見覚えのある汚い字で
カレンダーの日付に細工しといたZE⭐︎
思い出す。
そういえば先月、何か違和感を覚えた日があったと。
その日に、その日に日付を変えたのか!
っのクソ姉がああああああああ!
思い切り床を殴り付け、息を吐き出した。
落ち着け。冷静になれ。
ハーレンターンイはもう始まっている。逃げなければ。
引戸から顔を出し、左を見る。右を見る。
人の気配はない。
それを確認して俺は走り出した。
部屋でのんびりしてたら喰われる!
日没までどうにか逃げきらなければ!
日が沈めば、始まりと同じ銅鑼がハーレンターンイの終わりを告げる。ハーレンターンイは日の出から日の入りまでだ。そうすれば、司法がまた力を取り戻す。そこまで貞操を守り抜くんだ今年こそ!
無事家から抜け出し、物陰で辺りを伺っている時だった。
「嫌だっ!来るなっ!来るなあー!!!」
叫び声の方に目をやると、八百屋のタ……本人の名誉の為にここはAとしておこう。八百屋のAが必死の形相で逃げているところだった。彼を追いかけているのは、この奇祭専用の特殊な隈取り化粧をした…………!
一昨年の忌まわしき記憶が甦る。
骨ばった肋
弛んだ乳房
萎びた……
恐怖のあまり叫び出しそうになる口を全力で押さえた。どこに俺を狙っている女がいるかわからない。それにアマゾネスたちは情報共有しながら追ってくるのだ。
なんとか叫び声を殺す事に成功した俺の目の前で、Aの首元にαの手が伸びーー
間一髪のところで加速し走り去っていった。諦める気配のまるでないαを引き連れて。
ふと、俺が隠れている物陰の向かいから呻き声が聞こえてきた。
「ぐっ……嫌だ!嫌だあああ!」
泣きじゃくっているのは、警備隊のBだった。そしてBに馬乗りに跨り邪悪な笑みを浮かべているのは…………見なかった事にしよう、我が姉よ……。
Bの押し殺した嗚咽が聞こえる。
悔しいけれど助けられない。何故ならば、アレはこの日ばかりはokなのだから。だから警備隊に勤めるBだって抵抗は許されない。一度黒き物体を飲み込まされてしまえば、もう逃げる事は許されないのだ……。
俺は目を瞑り耳を塞いだ。
しばらくして手を離すと、物音は聞こえなくなっていた。バカな事をしたかもしれない。常に警戒を怠ってはならない日に目と耳を塞ぐなど。でもとてもではないが見ていられなかったのだ……。
幸い俺はまだ見つかっていないようだった。
ほっと息を吐き辺りの気配を探る。
静かだ。
ここにずっと隠れ続けるのも一つの手だろう。だが、先程はあんな近くに姉がいた。ここだとて、いつ見つかるかわからない。周りに人の気配のない今こそ、もっと安全な場所に移動するべきかもしれない。だがーー
迷っている俺の目の前を、見なれぬ男が走って行った。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら。おそらく都会から来た観光客だろう。その後を追うアマゾネスγ、δ、ε。
先ほど言ったように、この奇祭はもう都会では行われていない。その為、その恐ろしさを知らない都会のバカどもが、物見遊山気分で毎年田舎を訪れるのだ。そして一定数のアマゾネスを引き取ってくれる。正直とてもありがたい。何しろ、ハーレンターンイは一人相手をすれば終わり、というものではないのだ。だから凄く助かる。
……恐らく彼らの大半は、二度と参加しようなどとは思わないだろうが。
少しほっとして、思わず周囲の確認もせずに物陰から出てしまった。
途端にチリッと首の後ろに痛みが走る。
慌てて振り返る。だが誰もいなーー
いた。
遠くから、こちらを見ているアマゾネスζ。
ζがニタリと笑った。完全に俺を獲物と見定めた顔で。
ヒィイイイッ!
喉の奥で悲鳴が漏れる。
全身が震える。
嫌だ嫌だ嫌だ!こ、今年こそは逃げきるんだ!絶対に逃げきるんだああああ!
首を前に戻し走り出す。恐怖で脚が絡まり転びそうになりながらも必死に走る。
嫌だ!絶対に嫌だ!あんな思いは二度とゴメンだ!
涙で視界が霞む。
鼻水で息が詰まる。
酸素が足りずに咳き込む。
それでも走る。
けれどヒタヒタと足音が近づいてくる。
見なくても何故かわかった。それはζの足音だと。
恐怖で足が止まりそうになりながらも走る。
今年こそ、今年こそ俺は逃げきーー
「ハッピーハーレンターンイ⭐︎」
すぐ後ろで、ζの嗄れた声がした……。
チョコはむしろもらえない方がいい