帰り道
「ハァ…ハア…」
後ろから追ってくる、煉の顔をした、大きな白い四つ足の獣から逃げながら、私は必死に現世への帰り道を走っていた。熊のようなその体には、アンバランスにも普通の人間の顔が付いており、お世辞にも気持ちがいい見た目とは言えなかった。
「帰って…煉の分まで、私は生きるのよ…!」
私は力強く地面を蹴る。ヒールの踵が折れた。構うものか。なんとしてでも現世へ帰るのよ。
私と煉は両思いのカップルだった。煉は一世を風靡するアイドル。地下アイドル時代から彼を応援していた私は、いわゆるトップオタの1人だった。CDは何枚も買ったし、チェキも何枚も撮った。彼のファンとして恥ずかしくないように美容にも力を入れたし、整形もした。彼は何度も好きだよと言ってくれたし、愛してるとも言ってくれた。ファンレターを何度も送り、何度もライブに足を運び、私はようやく、お忍びではあるが、煉と付き合うことができた。他のファンにバレないように必死だったけれど、それでも彼と付き合う日々は、色褪せない、大切な日々だった。
「コロス…オマエダケハ…オマエダケハユルサナイ…」
「煉がそんなこと言うわけないでしょ!」
私はかかとの折れてしまったヒールを脱ぎ、追ってくる獣に投げつける。ギャンッと言って獣は少し怯んだようだ。素足だろうがかまわない。なんとしても、現世に帰らなければ。
付き合い始めて1年がたったある日。煉が初めて私を彼の家に呼んでくれた。「少し休みなよ」と机にお茶を置き、私をソファに座らせてくれた煉は、ベランダへと出ていった。その日は花火大会だったから、一緒に見る準備をしてくれていたんだと思う。ただ、不幸な事故はそこで起きた。ベランダで作業をしていた彼は、日々の疲れからかバランスを崩し、そのままマンションの下へと落ちていった。15階の高さから落ちた彼が助かるわけがなかった。残された私も彼のいない世界に耐えられず、そのまま部屋で所持していた睡眠薬で自殺したのだった。
「ハア…ハア…まだ見えないわけ?出口は…」
もうどのくらい走っただろうか。ゴールのわからない道を走り続けることほどキツイことはない。さっきの攻撃で獣との距離に少し余裕があるのだけが救いだ。
部屋で自殺を図った私が次に目覚めた時、目の前には優しい顔をした煉がいた。あたりを見渡すと、花畑が広がっており、この世ではないと気づいた私は、思い切り煉に抱きついた。
「わあ、びっくりした。どうしたの」
煉は優しく受け止める。
「ずっとこうしたかった…ずっと…」
付き合っていたといえ、お忍びの恋だった。常にパパラッチに怯えていた私たちは、ハグでさえ、容易に行えなかった。
しばらく抱き合っていた私たちだったが、煉はゆっくりと私を手放した。
「渚、こんなところで死ぬ運命じゃないでしょ。僕を追ってきたんだろうけど、君はまだ生きれるみたいだよ。寿命が残ってる」
「でも、私、煉のいない世界に未練なんて」
反論しかけた私の口に指を当て、煉は暖かい笑顔をして私に言った。
「この道をまっすぐ走り抜けて、白い光に駆け込んだら、元の世界に帰れる。何があっても、最後まで走りぬくんだよ。僕の分まで、しっかり生きて」
そうだった、後を追って喜ぶ彼じゃなかった。自分のことより、ファンのことを考えられる、そんな最高の彼氏だった。そんなことを忘れるくらい、私にとって彼のいない世界は耐えられなかった。
「さあ、もうおいき」
「うん。私、一生懸命生きるね」
私は最後にもう一度思い切り煉に抱きつき、彼に別れを告げたのだった。
「…ハア…ようやく…見えた…」
目の前に白い光が見える。あと50mほどだろうか。ただ、後ろから追ってきていた獣も、私にあと少しのところまで迫っていた。
「オマエヲ…ミチヅレニシナケレバ…オレハ…シンダイミガ…」
「だからしつこいって言ってるでしょ!!!!私の煉が!!!そんなこと!!!私に言うわけないのよ!!!!この化物!!!」
いつからか手に持っていたペンライトで思い切り獣を殴る。ペンライトは獣の鼻にヒットし、獣はうずくまった。私はこれ幸いと、光の中に飛び込み、意識を失った。
「…渚さん!渚さん!わかりますか!先生!意識を取り戻しましたー!」
目を覚ますと、見知らぬ病室にいた。女の看護師の喧しい声が聞こえる。私は、煉のいない世界に戻ってきてしまったのだと気づいた。
「…グスッ…私…生きるよ…煉の分まで…」
私は意識を失う直前に、手に持っていた白熊のぬいぐるみを抱きしめてわんわんと泣いた。




